底冷えのするさむ~い朝。私は、昨日の手づくり紙芝居講座で、張り切りすぎて、痛めてしまった右足を引き摺りながら、森ノ宮の「ピースおおさか」さんへお伺いした。
新年早々の、実演であったが、大勢の小学生の児童さん達に、紙芝居を観て頂き、とても嬉しかった。本当に、ここ、ピースおおさかさんで、このような平和紙芝居を実演させて頂けrることは、私にとっては、考えられないことであった。
紙芝居文化の会に入会して、紙芝居の勉強を始めて間もない頃に、大津の紙芝居講座で、まついエイコさんの作品「二度と」を観た時は、私の身体の中に、衝撃が走った。
「えっ?、こんな紙芝居が、あるなんて・・・この紙芝居を、大阪で、出来るのだろうか?」と・・・
どうして、そう思ったのかは、はっきりとは、判らなかったが、恐らく、その頃、大阪では、紙芝居自体を文化として、しっかりと受け入れてもらえないような土壌が、あったように思われる。
絵本と比較すると、やはり、一段下のものであるように考えられていたのが、正直な気持ちである。でも、今や、紙芝居は、世界中の人の注目される文化となっていった。
夜、帰宅して、ポストを覗くと、外国からの郵便が、入っていた。それは、昨年の夏に、ピースおおさかで出逢った、スペインから来られた女性からのお便りであった。
昨年夏、いつものように、紙芝居を演じさせて戴くために、ピースおおさかさんの玄関の前を通ると、外国人の女性が二人、開館を待っておられた。私は、夏休みなので、観客の方を一人でも多くしたい、また、外国の方に紙芝居を観てもらいたいという想いで、身振り手振りで、紙芝居をすることを、彼女達に告げたのだ。
すると、二人の内の一人の方が、紙芝居と言う言葉に、とても喜んでくださり、館内で、私達の紙芝居を観てくださり、親交を深め、お互いの住所を交換したのだった。
紙芝居に、国境はない。いや、人と人との繋がりに、国境や言葉の壁があっても、心の壁はないのだ。心は、通じる。魂は繋がっていくのだ。
私は、英文のレターと、悪戦苦闘しながら、また、辞書と格闘しながら、彼女に、お礼のお手紙を書こうと想う。
ああ、こんなことなら、学生の時に英語を、もっと一生懸命、勉強しとくのだった。日本語も満足に扱うことの出来ないみかんであるが、これからは、アルフアベットと、仲良しこよしになりたいと、英語にチャレンジすることを誓う、みかんであった。日々、感謝!




byみかん
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