近江商人の教え「三方よし」 2012年6月11日
「売り手よし、買い手よし、世の中よし」という「三方よし」の教え・・・これは、昔からの近江商人の心構えである。つまり、商いというものは、売る者、買う者、そして、世の中にとって利益をもたらすものでなければならないという、教えである。
近江と言えば、やはり、近江八幡を思い起こす方が、多いと思うが、私は、明日から、一泊だけ、近江八幡の紙芝居の仲間の方にお会いしに行く。
、近江商人は、拠点を近江に置き、全国で商ったそうで、やはり、それゆえ、どことなく大阪人の気質も、近江(滋賀県)の人のそれとは、近しいことを実感出来る。
粘り強くて、丁寧で、そして、誠実であることである。(ええとこ、ばっかりやな~)
江戸時代の大阪の商人の子どもの為の、「壊徳堂」という寺子屋が、在った。其処で、町人の(主に商売人)の子供達が、先ほどの、近江商人の心構えを礎にした教育を、受けていたのでは、ないかと推察する。
私は、明日、琵琶湖の畔に位置する、近江八幡の風光明媚な自然を愛で、そして、近江人の文化に触れることを期待する。
そして、大阪市の水瓶である琵琶湖と向き合うことで、改めて、大阪の人は、元より、近畿に住む人々は、琵琶湖の水の恩恵を受けていることで、生かされていることを、改めて、再認識したいと想う。
現代社会では、残念なことに、近江商人のような気骨の在る商人(あきんど)は、大阪では、だいぶ少なくなってしまっているように思われるのは、果たして、私だけであろうか?
否、今の世の中全体が、戦後以来の不況に喘ぎ、先行きの見えぬ不安に駆られている。私は、そんな閉塞した、やりきれない社会を、なんとか打開する手立てはないものかと、昔の人々と語らい、お知恵を拝借出来ないものかと云う気持ちで、近江八幡に出向いてみようと想う。
昨日の休日の白昼、大阪の街のど真ん中で起きた、痛ましい無差別殺人が起きたことを鑑み、本当に、この国は、何処へ行こうとしているのか?何ゆえ、このような理不尽な事件が次々と起こるのか?その答えが見つかるかどうかは別として、近江八幡の美しい風景の中に、自分の身を置き、「近江商人の教え」の中に、そのヒントが隠されているのではないかと推察し、案内をしてくださる、紙芝居文化の会の連続講座で、意気投合したKさんMさんと、久しぶりにお会い出来るのを楽しみにしている、みかんであった。近江牛を食べるのも楽しみ!(また、目方増えるで~)
byみかん
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