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純粋だったらいけんのですか?          2011年7月24日

うちは、ひとが良くて、一本気で、曲がったことが嫌いで、融通が利かんような人やけど、それやったら、いかんのですか?

不器用で、世渡りが下手で、お世辞やじょうずが、上手く言えず、堅物ですが、それやlったら、あかんのですか?

うちの、お父ちゃんが、昔、「田辺ヤス」と言われて、ヤクザではありませんが、無鉄砲を絵に描いたような人間で、お母ちゃんが、これまた、生真面目過ぎて、その上お人良しで、人のいい人間で、おまけに、二人とも、自分がこうと想ったら、自分の考えを曲げない堅物人間なのです、

そんなDNAを受け継いだうちは、皆さんのご想像にお任せ致しますが、電車道みたいな人間ですが、お天道様の下を、堂々と歩くことを、誇りに思うように生きていきたいと、何時も、おもうとります。

純粋と、無菌状態とは、また、別だとうちは、思います。「はだしのゲン」のお父さんの言葉のような、「麦」のような生き方をしていきたいと、おもうとります。「踏まれても、踏まれても。霜や風説に耐えて生きていく、逞しい麦のように、うちはなりたいのです。

それは、純粋な生き方かどうかは、判りませんが、時には、したたかに、時には、開き直り、大地に根付く、麦の穂のように、生きていきたいんです。

大阪で生まれたさかい、人情には厚く、しかも、ユーモアがあり、ど根性が備わって、本ねで生きていく、そんな、大阪人をめざしたいのです。

くそ真面目を絵に描いたような、母ちゃんは、今、自分の「老い」と必死で戦っています。そんなかあちゃんに、もっと、アホになれと、言っている自分が、ほんまに滑稽ですねん。

なぜかと云うと、誰もが、一度は、必ず通らなければいけない道なのに、人事みたいに、説教じみたことを、自分の母親に、一所懸命言っている自分が居るからです。

人生って、気持ちが造ってくれるものなのですね。

                  byみかん

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