念ずれば花開く 2011年7月13日
落語家の桂三枝師匠が、来年の7月に、師匠の師匠?(ややこしいなあ)の桂文枝の名前を襲名されることになった。新作落語を編み出し、若い頃は「イラッシャ~イ!」「オヨヨッ」などの、ギャグで、若者の人気を笑福亭仁鶴師匠と、二分した、あの、三枝師匠が、遂に、大きな名前を襲名される。誠におめでたい限りである。
桂三枝師匠のことを初めて知ったのは、従姉妹が深夜のラジオ番組で、「めちゃくちゃ面白い人が出演してるで!」と、教えてくれて、従姉妹の家に泊まった時、毎日放送の「ヤングタウン」の土曜日の公開番組を聴かせてもらって、一目、ちゃうわ!一耳で、「面白い人やなあ~」とファンに」なった。私が、まだ、ヤングではなく、小学生の時だったが、それから、すっかり、ラジオの深夜番組の虜になってしまった。
程なく、テレビで、日曜日の夜「ヤングオーオー」という番組が、桂三枝師匠の司会で始まった。知る人ぞ知る。もう、日本中の若者が、その番組に熱中した。そして、笑福亭仁鶴師匠は元より、月亭八方・桂文珍・桂きん枝、各師匠方三人組の「ザ・パンダ」のトリオや、漫才のオール阪神巨人師匠、中田カフスボタン師匠と言った、今の上方のお笑い会、否、日本のお笑いをしょっておられる面々が、デビューされた、凄い番組であった。
そんな番組、今では、正直言って、もう、登場しないでしょうね。それは、やっぱり、三枝師匠と仁鶴師匠程のカリスマ性を持った噺家が、登場していないからでは、ないでしょうか?そして、当時は、仁鶴師匠と三枝師匠をよく、比較されたものでした。正直言って、私は、その時、仁鶴師匠の落語やトークの方が、人気が在ったように思われたのでした。
でも、三枝師匠は、一つ先の時代の噺家を目指していたことに、全く気がついていなかったのです。多分、三枝師匠は、物凄く苦しんで、新作落語を創ってこられたのだと想像致します。落語の普及と、新作落語の創作と、そして、落語の定席「天満の繁盛亭」の創造。そして、いよいよ、大恩師、桂文枝師匠の名前を襲名と、ほんとうに、これは、三枝師匠の努力の賜物だと想います。
でも、それだけに、大きな名前を襲名される、プレッシャーみたいなものは、かなり感じられていると思うのです。でも、新しい落語のスタイルを構築した、三枝師匠だからこそ出来る、新たな、上方落語の世界が広がっていくような、希望がみえます。
三枝師匠の色紙「念ずれば花ひらく」を、床の間の掛け軸に飾って、何時も、心のささえにして、いつか、紙芝居という、芸術の花を開かせたいと想い続けて、青空視観(みかん)は、今日も、明日のピースおおさかでの、平和紙芝居の練習に励み、家族に、「やかましい!」と、怒鳴られながらも、とっくんに日付が過ぎているのも気がつかずに、自分であきれかえっている、みかんであった。
みなは~ん!ピースおおさかへ、来ておくれやす!て、言うか、もう明日に備えて、はよ、ねえや!
byみかん
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