手帳こそ我が命 2011年5月19日
最近、歳の性か、日々に追われる為か、定かではないのですが、なんか、人の名前が思い出せないとか、何かを取りに、二階に上がり、何を取りに来たのか忘れて、下に降りて、思い出し、二階に上がると、また、思い出すという、始末です。
そんな私ですので、もう、手帳に、予定を記録しておくのですが、その手帳が無いと、もう、全く、明日のことも判らないという、情けない私です。また、手帳には、もう、いろんな物を挟んで、挟んで、挟み倒して、パンパンに膨れているのでございます。
仕事のシフト表や、領収書に、名刺、住所録、おまけに、父ちゃんの写真も挟んでいるので、もう、ハンバーガーみたいに、真ん中が膨れております。
手帳のカレンダーには、大切な予定が、書かれているので、もう、心の友というよりは、支えですね。予定があることは、それだけ、人様との繋がりが在るということで、ほんまに、有り難いことやと、思うております。
そんな、私ですが、明日のことも、予測がつかず、ちょっと、想定外の出来事があると、パニくってしまう、小心者なのでございます。
予定は、あくまで未定。どんな時でも、「今」を精一杯生きていくことが、大切やと、段々と実感出来るように、なってきました。遠い、昔の過去の思い出を懐古するのも良いけど、遠い未来の、でっかいことを夢見るのも時めくけれど、うちは、毎日のこの、平凡な日常の生活の中の、小さな喜びに、感動したり、笑顔でいられることを感謝して、明日という日を迎えたいと想います。
皆様にも、どうか、明日も、素敵な日常生活の喜びと幸いが、たくさん訪れることを、願っております。私の手帳は、そんな、幸せな日常の積み重ねの幸せが、たくさん詰まっているのだろうと、何時も想うのです。
byみかん
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント