家康の故郷を訪ねて・・・ 2011年3月22日
徳川家康の故郷である、愛知県の東岡崎に行って来ました。そこで、絵本や紙芝居を販売しているお店を経営されている、浅井さんにお会いするべく、震災で日本中の人々が、大変な思いをされている時でしたが、思い切って、行って参りました。
その方のお店「ちいさいおうち」では、毎週月曜日に絵本や紙芝居のお話会をされているので、厚かましくも、是非、そのお話会で、紙芝居を実演させて欲しいと願ったことと、前回、徳川家康館を見学させてもらった時、家康の言葉と出逢い、私の魂が、岡崎に向いていたのでしょう、近鉄特急と、名鉄電車に乗って、一泊どまりで、行っ来て、本日の夕方に帰宅しました。
結果は、思い切って行かせていただいて、本当に良かった。久しぶりにお会いした、浅井さんは、とってもお元気そうだったし、お店には、お話会の時間になると、次々と子供達が、集まってくれました。私は、「くれよんさんのけんか」「ききみみずきん」「ごきげんのわるいコックさん」「ねずみきょう」そして、最後に、「よいしょよいしょ」の紙芝居を、厚かましくも、ひとりで最後まで、演じさせて戴きました。
「ねずみきょう」の紙芝居の時は、子供達も、私と一緒に「おんちょろちょろ、おんちょろちょろ」と大きな声で、言ってくれて、とても嬉しかったです。そして、最後の「よいしょ よいしょ」の紙芝居を終えて、皆さんに、お礼の挨拶をして、ほっとした時に、一人の女性が「山口さん!」と、声を掛けてこられました。見ると、なんと、私が、図書館のボランティアになりたての頃に、一緒に活動していたKさんだったのです。
私は、びっくりしました。Kさんは、ご主人のお仕事の関係で、日本全国をあちらこちらに移り住んでおられて、確か、大阪から、静岡に行かれたはずだったのに、なんで、岡崎におられるのか、良く飲み込めなかった。
kさんも、静岡から、岡崎に3年くらい前に移られて、来月には、もう、富山に、また変わられるとのこと。Kさん曰く「浅井さんに電話して、大阪から、紙芝居をしに来る人が居てるというので、山口さんの名前が、頭を過ぎったけど、やっぱりその通りだったね。前も伊豆の修善寺の講座で、会ったけど、ほんとうに、また、会っちゃったね。」と、全く変わっていない、標準語の言葉で、落ち着いて、おっしゃった。
そうなんです。大阪で、一緒に活動していた時も、私の、この電車道みたいな性格で、突っ走ろうとする時、何時も、彼女が、赤信号を灯してくれて、「ちょっと、待て!」みたいに、客観的にアドバイスをしてくれていたのです。
一番思い出に残っているのは、彼女が障がい者さんの授産所で、ボランティアをされていて、そこの方々と、キッズソーランを踊るというので、その時、左手を骨折して腕に包帯をぶら下げていた私が、一緒に踊らせて欲しいと頼んだら、「お医者さんの許可をもらってからね。」と言われたので、私が、病院の先生にお尋ねして、お許しを戴いたので、彼女の指導で、皆さんとご一緒に、キッズソーランの練習を必死で、やったのが、まるで、昨日のように思われてきた。
本当に、人のご縁というのは、不思議なものだと、つくづく思った。結局、その日の夕食も、次の日の昼食も、浅井さんと彼女と私と三人で、一緒に食べて、東岡崎の駅まで、車で送ってくださり、私は、彼女に見送られて、とても、爽やかな気持ちで、岡崎を後にした。
徳川家康の生まれた、岡崎城を、浅井さんが案内してくださり、二人で、天守閣に昇った。お城の上から見る、岡崎の町は、本当に、眺めも素晴らしくて、家康も、幼少の頃から、人質として、他国にやられて、このお城に、どれほど帰りたかったことかと、思い遣ると、故郷というのは、人間の心の原点であり、自分自身の存在と向き合う処なのだと感じた。
東北の震災に遭われた方々も、一日も早く、自分の生まれ育った土地が、復興し、また、日常の平凡だけど、当たり前の幸せな生活が出来る日が来ることを、心から祈っております。
byみかん
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
私は今日、大学生の娘と名古屋城に行ってきました。ちなみに今いる所は長久手古戦場近くです。なにか不思議〜

投稿: いそちゃん | 2011年3月24日 (木) 00時11分
いそちゃんさん、こんにちは!そうなんですか、いそちゃんさんも、娘さんと愛知県に行かれたのですね。愛知県や岐阜県は、日本が戦国時代だった頃に、多くの戦が為された処で、今の日本の国も、震災と原発の放射能と、必死に戦っているのですね。
今こそ、日本人の底力の踏ん張り所なんだなあと、実感しています。いつも、書き込み、ありがとうございます。
みかん
投稿: | 2011年3月25日 (金) 03時26分