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みかん、映画「最後の忠臣蔵」を観る     2010年12月18日

イヤ~ずい分さむなりましたな。今日は、土曜日ということで、どうしても、映画が観たくなりました。昨日の新聞で、紹介されていた、「最後の忠臣蔵」を観てまいり申した。

感想は、良かった。凄かった。感動した。侍の志を貫くことの、凄まじさ、切なさ、潔さが、こんなにも人々の心を揺り動かすものなのかと、私は、もう、泣けて、泣けて、久しぶりにハンカチ王女?になりもうした。

主役の役所弘司さんの、目だけの演技が素晴らしかった。顔の表情を変えず、目の表情で演技が出来るのは、本物の役者さんにしか、出来ない。相手役の佐藤浩市さんの演技も素晴らしかった。彼は、明らかに、役所さんの役を光らせる影の役柄になりきっておられた処が、さすがだと思った。

女優の大石内蔵助の隠し子の娘役をされた、新人の女優さん(すんません名前忘れました)の、初々しい演技も華が在り良かったが、役所さんをずっと16年間慕い続ける、安田成美さんの円熟した、演技は、私は見逃せないと悟った。

この映画は、忠臣蔵の顛末を映し出すものではなく、日本人の一番貫き通したい、人間の心棒を浮き彫りにしている。討ち入りで、死ぬのも無情、生き延びるのも地獄。人間とは、いかに生きるのではなく、何のために生き抜くのかということを問うているような気持ちがした。誰かの為に生きることは、並大抵の覚悟では、貫き通せない。そして、そういう生き方をすることは、あまりにも、過酷で、辛い。だが、その辛さをつき抜けた処に、人間の本来持っている情愛という優しさが、生まれるのであろう。

生きるということは、かくも、並大抵の覚悟を持ってしても、大変なことであり、また、それだけ、喜びも深いものなのだ。私は、この映画を観て、そんなことを気づかせてもらえた。

そして、映画の初めから、最後まで、場面場面に写しだされる、文楽の「曽根崎心中」の浄瑠璃は、そんな人間というより、男と女の性というものを描く、キーステーションとなり、この映画のドラマツルギーを見事な形で、アウトプットさせてる効果を放っているのだ。

百聞は一見に如かず。「十三人の刺客」に、匹敵する、素晴らしい日本映画であると、私は確信した。みかん食べながら、みかんは、映画館で、目から鱗と涙の両方を落とし、コンタクトは、しっかりと落ちないように、マスクで防ぐ戦法で、この映画と向き合い、みかんをむいていた、みかんであった。なんのこっちゃ、判らんようになってきたので、この辺でやめておきます。失礼をば致しました。チャンチャン~

                         byみかん

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