紙芝居のバリヤフリー 2010年12月13日
12月13日月曜日雨・・・私は地下鉄御堂筋線に乗り、江坂に向かった。今日は、今度の日曜日に、教会で紙芝居を実演されるという、目の不自由な仲間のKさんに、出前講座?をさせて戴く為、ガイドヘルパーのNさんのお宅に、お伺いすることになっていた。
Kさんは、とても前向きな方で、「点字毎日」という、点字新聞で、これまた、目が不自由なHさん(私と紙芝居同期の方)が、紙芝居をされるという投稿の記事を読まれたのが、きっかけで、紙芝居に感心を持ってくださり、私の教室に、今も通ってくださっている。
紙芝居は、ヘルパーのNさんが、全て、点訳してくださって、それを指で読まれて、演じられるのである。勿論、舞台も購入されて、本格的に紙芝居を始めようとされている、大切な時期であるので、私も、凄く責任を感じ、少しでもKさんが、楽しく、いろいろな紙芝居を、さまざまな処で、実演して戴くお役に立てればと、今日、初めて、紙芝居の出前講座となったのである。
今日練習する紙芝居は「あひるのおうさま」で、前回は「おおきくおおきくおおきくなあれ」という紙芝居だったので、比較的、裏の字数も少なく、参加型の紙芝居だったので、やり易かったようだ。
だが、「あひるのおうさま」は、物語の紙芝居で、登場人物の台詞と、ト書きとが書かれているので、まず、これを区別して、読むのが大変だ。また、登場人物の役柄の気持ちになって、演じて戴かないといけないので、全体の物語の構成を、まず、把握してもらうことが、重要なのだと、私は実感した。
紙芝居のバリアフリーを図るべく、私は、どのように練習させてもらったら良いのか、一生懸命考え、やっぱり、鸚鵡返し式にするのが、一番良いと悟り、第一場面から、言葉を出来るだけ細かく区切って、しかも、感情を込めて、私の読んだ通りに、繰り返して戴くようにした。
何も、自分の演じ方が、100パーセント完璧だとは、思っていないのは、百も承知だが、何しろ、私も、手探り状態で、必死のパッチであったから、この方法が、一番てっとり早いし、確実なのだと考え、練習を繰り返した。
そして、紙芝居のそれぞれの場面の絵が、どのような絵なのかを説明しながら、練習をさせて戴いた。そして、何回も練習をしていくうちに、熱心なKさんの努力の成果が、みるみる現れて来た。
一緒に聞いてくださっていた、ヘルパーのNさんも「凄く良くなりましたよ!」と、おっしゃってくださった。私も、そう言ってもらえて、とても、嬉しかった。
練習が終わった後、三人で、いろいろなおしゃべりをしている時のKさんの笑顔を拝見して、本当に私は、ここに来させて戴いて、良かったと心から思った。
私は、視覚障がい者(あえて、こう表記させていただくことをおゆるしください。)のことを、改めて、何も解っていないし、努力をしていなかったことを、反省した。
でも、私は思った。そういうふうに、心の中に線引きをしてしまうことの方が、返って、ネックになるのではないだろうか。私の目の前に座って、笑顔で普通の人と、全く変わらない気持ちで、接することが、心のバリアフリーとなって、自然体で、お付き合い出来るのかもしれないのだと、漠然とだが、理解した。
紙芝居のバリヤフリーとは、つまり、心のバリヤフリーに繋がるのだ。私は、KさんとNさんから、こんな大切なことを、教えて戴いたのだ。外は雨模様だったが、私の心は、青空のように、爽やかに、澄みわたったような気持ちになれて、嬉しかった。
byみかん
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