今の世は平成の幕末か? 2010年11月17日
私の好きな論語に、「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」という言葉がある。何故、この言葉が好きなのかと云うと、これは、なんでも熱中し過ぎて、我を忘れて、冷静さを失った時に、この言葉を、自分の戒めの言葉として、問い返すのだ。
尤も、この言葉が、今の自分の行動にあてはまるかどうかを見極めるには、まだまだ人生勉強が必要だ。
その「過ぎたるは及ばざるが如し」という現象が、今の世の中でも、蔓延っている。物と情報が氾濫し、自分の思い通りになりたいことは、たいがい叶えられる。食べたい物は、スーパーや、コンビにに行けばすぐに手に入るし、知りたい情報があれば、パソコンで検索すれば、すぐに判る。友人に伝えたいことが在れば、メールを送るだけで、すぐに知らせることが出来る。
こんなに豊かになったのに、何ゆえ、最近の新聞を見ると、中学生の少年が相次いで、自殺を図ったり、先日は、小学校6年生の女の子が、同じように、自ら命を断つのであろうか?
それらのニュースを聞くにつけ、見る度に、胸が潰れるような、悲しい気持ちになる。日本人は、武士の心得というものがあって、死ぬことを潔しとして、美化する傾向がある。
その上、今の現代社会の日本人は、ほとんどの人が、信仰する宗教というものがない。(自分も含めて)では、何を、一体信じたら良いのか?それは、自分自身の心しかないのである。これを、私は、「絶対的価値観」と、自分で勝手に名付けた。
自分を信じることは、なかなか大変なことだ。だが、自分を信じることが出来て、初めて人を信じることが出来るのでは、ないだろうか?
私自身も、自分自身を卑下し、人間が信じられないと思ったことがある。そして、死を選ぼうとしたことも、嘗てはあった。そんな自分を救ってくれたのは、子供達の声であった。生死の淵を彷徨っていた時、子供達の声が、はっきりと私の耳に聞こえて来たのだ。
私は、その時、「こんなことをしていてはいけない。子供達が、私の紙芝居を見ようと、待ってくれている!」と、はたと、気持ちを切り換えることが出来て、そこできっぱりと、死神と別れることが出来たのだ。
信じてもらえなくても、別段、構わない。何が言いたいかと言えば、「絶対的価値観」を持つことは、そんなに難しいことではない。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」を実践すれば良いのだ。一見、矛盾したことを言っているようだが、物事を一方向からばかり見てしまうと、どうしても、ネガティブな感情が、先行してしまう。自分自身の主軸を定めるべく、物事の本質を見極める心「絶対的価値観」を通して、いろいろな見方をする柔軟性を持つことが、一番素晴らしいと、私は思う。
こんな、混沌としている時代だからこそ、世は、平成の幕末に似たり。不安な気持ちを持つことは、否めないが、個の確立と、他との協調心を養うことが、今の時代に、急務なのではないだろうか?
いささか、理屈っぽくなったみかんである。いか~ん!柔らかに、しなやかに、爽やかにまいりませう。
byみかん
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