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ピースおおさかで紙芝居を演じさせて戴いて   2010年9月9日

今日は重陽の節句。なんのことかは、よく判らない方もおられるかもしれませぬが、なんでも、昔は菊の花びらをお酒に浮かせて、お祝いをしたそうです。

そんな、おめでたい日に、平和の資料館「ピースおおさか」で、紙芝居を子供達に観て戴きました。有り難いことです。

たくさんの子供達が、紙芝居が始まるというので、講堂に来てくれました。でも、紙芝居が始まると、すぐに出て行く子や、一つ目の紙芝居をMさんが演じてくださった後、不肖、私、みかんの実演の番になりますと、潮がひいたみたいに、バタバタと、出て行くではあ~りませんか?でも、一番前の何人かの子供達と、その周りの、数人の子供達が、残ってくれて、真剣にうちの紙芝居を観てくれていました。

私は、一人の真剣な眼差しをして、じっと見入っている少年が居たので、彼とアイコンタクトをとりながら、必死で、演じきりました。彼の目の瞳の輝きが、私の折れそうな心を立ち直らせてくれたのでした。(もちろん、観てくれている子供達全員に心を込めて演じさせて戴きました)

紙芝居って、本当に不思議ですね。こんな、小さな舞台に入っている絵を観ながら、演じ手が、お話を語ることで、みんなが、集中し、コミュニケーションを図ることが出来、そして、それが、土台となって、共感の空気が、会場に漂うのが、実感出来るのです。

あんなに、子供達が出たり、入ったりして、バタバタとしていても、誰も私語もなく、また、観ている子は、しっかりと、紙芝居のお話の世界を、みんなで共有出来ているのです。

最近、マスコミなどにも、紙芝居のことを、いろいろと取材してくださったり、とりあげて戴くことが多くなりました。

でも、ここで、はっきりとさせて戴きたいのは、私の目指しているのは、やはり、観る人が、感動し、心の奥底の魂に深く刻み込まれるような、そんな紙芝居を私は、演じさせて戴きたい。また、知っていただきたいのです。

紙芝居は、演じる人の生き様そのものが、もう、丸ごと表れます。だから、ほんまもんの紙芝居を演じないと、観る人の心に深く入っていけない。また、紙芝居は、集団で観るものだからこそ、尚一層、作品の中身が本物であることが、大切です。

少々、堅苦しい話になりましたけんど、本日、ピースおおさかで紙芝居を演じさせて戴いて、改めて、そのことを身を持って、感じ取りました。

正直言って、今日の紙芝居の実演では、いろいろ、自分なりに、苦しみ、悩み、もがきましたが、やっぱり、あの少年の瞳の輝きを思い起こし、自分なりの結論に至りました。

面白い、楽しい、ほっとする紙芝居も、確かに必要でしょう。でも、最後に残るのは、やはり、心の琴線に触れることの出来る作品が、ずっと、永遠に、これからも、語り継がれていくのではないかと、想います。また、そう、ありたいです。

みかんは、くさっても鯛ではなく、種が残ります。残った種を蒔くと、また、芽が出て、白い花を咲かせ、美味しいみかんをたわわに実らせてくれることを信じて、うちは、これからも、紙芝居の花を咲かせる為に、歩み続けて参ります。何時も感謝の気持ちと、無我の境地を忘れずに、邁進しとう存じます。ありがとうございます!

                   byみかん

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