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青空視観の紙芝居談義           2010年9月25日

テレビのニュースで、愛媛県の八幡浜という処で、「みかん検定」というのが行なわれたと、報道された。

昨今、いろいろな検定が為されているが、なるほど、「みかん検定」とは、いいアイデアだと、感心した。みかんは、日本人にとても親しまれている果物で、「こたつにみかん」という組み合わせが、よく合う。

私の名前を「みかん」と名乗らせて戴いたのも、蜜柑のあの、橙色の暖かな色が、人々の心に、なんとも言えない、ほっこりとした気持ちにさせてくれる。そして、蜜柑のあの、甘くて、ちょっと酸っぱい、なんとも言えない味を思い出すだけで、唾液が口の中から出て来る、この不思議な果物の名前を名乗らせて戴いた。

そして、青空視観(みかん)という名前は、私の生涯の恩師であられる、マジックのボランティアを戦後ずっと続けて来られた、大河満子次(ましじ)先生が、名付けてくださったのだ。

私は、この素晴らしい名に恥じないような、紙芝居の実演を皆様に観て戴くべく、芸の道を模索し、努力を惜しまず、精進していきたいと、想っている。

イチロー選手が連続200本安打を達成したのは、野球の天才でも、スポーツの才能に長けていたからでもない。毎日の弛まぬ、地道な努力の積み重ねの結果を出せたのだと想う。「天才は、99パーセントの努力と1パーセントの才能から成る」という言葉が在る。

自分が天才などとは、勿論、毛頭思ってはいないが、何かを成し遂げる為には、忍耐、努力、継続、そして、勇気、この四つの心が大切であると、何時も、大河先生がおっしゃってくださっている。

私は、これからも、大河先生の教えを守り、日本で生まれた紙芝居という、素晴らしい文化を世界中の人から愛され、そして、紙芝居で、みんなが幸せになれるように務めさせて戴きたいと願う。

今、人気爆発のテレビドラマ、「ゲゲゲの女房」に登場されて、時の人となられた、漫画家水木しげるさんも、街頭紙芝居の絵描きをされていた。

漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の元になった紙芝居が「墓場キタロウ」という作品である。そして、その「墓場キタロウ」は、もとは、「子育てゆうれい」という、幽霊が、赤ん坊を墓の中で産んで育てたという昔話をヒントにして作られたということだ。

昭和の始めに生まれた街頭紙芝居は、不況な時代の失業者の日銭を稼ぐ手立てとして、始められた。そして、その時代の娯楽や、甘いものに飢えていた子供達に、爆発的な人気を博したのである。「黄金バット」の紙芝居が、その火付け役となったっことは言うまでもない。この辺の紙芝居の成り立ちは、加太こうじ著の「昭和紙芝居史」に詳らかに述べられているので、ご興味のある方は、一読されることをお奨めする。

話が、長くなったが、何が言いたいかと云うと、紙芝居は、この荒廃しつつある現代社会に、必要不可欠な文化であると自負している。何故なら、一言で言えば、紙芝居は、現代社会に一番欠けている「共感の心」を呼び戻す、コミュニケーション文化そのものであるからである。

人間は、人と人との温かい触れあいや、温もりの中で育まれて、初めて人間らしい生き方を出来るのではないだろうか?孤立社会が生む現代社会の問題をオールクリア出来るのは、紙芝居であると、私は信じている。紙芝居を謗ることなかれ。紙芝居を糾うことなかれ。文化として、大人の方でも鑑賞に堪えられる、素晴らしい作品が、紙芝居にはたくさん在るのだ。

ダイヤモンドの原石を磨くが如く、青空視観は、今日も、素晴らしい紙芝居と出逢うことを信じて、亀の如く歩むのである。ああ、しんど~道は遠いなあ・・・けど、がんばるぞ!

                    byみかん

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