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みかんの母国語考            2010年9月26日

今朝の毎日新聞に、来年度からいよいよ、小学校で英語の授業をするということで、テキストの写真が写った記事が載っていた。小学生に、英語の文法ではなく、会話を楽しんで、親しめるようにするのが、目標だということだ。

私は、小学校で英語を学ぶことには、別段、肯定も否定もしない。ただ、一つ言いたいことは、国語教育を絶対に、疎かにしてはいけないということだけは、声を大にして叫びたい。

「国家の品格」の著者で有名な、数学者であられる、藤原正彦氏の「祖国とは国語」(新潮文庫)を是非読んで戴けたら、有り難い。

私は、この、新田次郎さんと藤原ていさんのご子息である、著者の満州で生まれて、日本に、苦労して(お母さんが)引き揚げて来られて、自分のルーツを探しに行く、その熱意は、自分が日本人であること、そして、母国語である日本語の根底に流れている美学を、日本の現代社会の危機の打開策を、「国語教育絶対論」にリンクさせているのだと感じた。

藤原氏は、また、「教育を立て直すこと以外に、この国を立て直すことは無理である。」と言い切っている。私も、全く同感である。そして、「国語こそが、全ての知的活動の基礎であると述べている。情報の伝達方法として、読む、書く、話す、聴く、が最重要であり、これが確立されずして、他教科の学習はままならない。(中略)読む、書く、話す、聞くが全教科の中心ということについては、自明なのでこれ以上触れない。」とまで、はっきりと断言されている。

また、筆者は、「それ以上に重大なのは、国語が思考そのものと深く関わっていることである。」という切り口で述べて、「人間はその語彙を大きく越えて考えたり感じたりすることはない、といって過言でない。母国語の語彙は思考であり情緒なのである。」と結論づけておられる。

この文面を読んだだけで、母国語を愛する私は、本当に涙が出るほど、共感する。つまり、今の教育の荒廃は、母国語の崩壊に近いものなのではないかと危惧するのは、私だけであろうか?

私には、2歳の孫がいるが、孫は、本当に、親や、その回りの大人の言うことを、その通りに、オウム返しして、言語を覚える。だから、「三つ子の魂百まで」どころか、お母さんのお腹の中に宿っているその時点から、すでに、赤ちゃんは、お母さんや、その回りの大人の言葉を聞いているのでは、ないだろうか?何が言いたいかと云うと、人間はその子を取り巻く環境に依って、人間形成が決まってくる。勿論、遺伝的な要素も影響するが、私は、殆ど、その子供さんが、どのような環境で、どのような、言語を聞き取り、どのような心で触れあい、どのような地域で育ち、どのような食べ物を食して成長したかということで、人間形成が為されるのだと思う。そして、その一番大切な要素が、教育なのだ。使っている言語なのだ。

いささか、頭でっかちな書き込みになったが、私は、大真面目である。英語が話せることは、本当に素晴らしい。数学の幾何問題を解くことは、パズルをするような爽快感がある。科学の新しい発見や発明をすることに、喜びが湧く。だが、それらは全て、日本語という、母国語を遣って、培った言葉の力に依って、勝ち得たものに外ならない。

私は、紙芝居を演じることで、出来るだけ美しい日本語をお伝えしていきたいと、想っている。また、紙芝居を伝えることで、日本語の素晴らしさを実感して戴きたいともかんがえている。何故なら、日本語ほど、豊かで美しい言語はないと、自負しているからだ。私達日本人は、日本人同士、また、外国人に対しても互いの違いを認め合い、尊敬し合い、そして、対話することの大切さを、切に願う。何故なら、言葉が違っても、同じ、人間という万物の霊長たる尊厳は、皆、平等であると信じているからである。対話は、人間としての大切な責務である。対話のない処には平和は存在しない。母国語を大切に語り伝えることで、安寧な時代の復活が図れるのではないだろうか。

                     byみかん

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