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回れ、拡がれ、人の縁(えにし)          2010年8月25日

午前中、絶不調の身体で、高速を車をとばして、お父ちゃんの入院している病院に向かった。なんでも、尿を出している管を交換しようとして、管がはずれなくなったので、別の専門の病院で診てもらうので、来るように言われた。

なんで、そうなったんか、どうして、治療してもらうのか、そんなことも、なんにも判らず、不安な気持ちで、私と母は、岸和田の病院まで、連れて行ってもらった。

人間の不安というのは、2つの段階があることに、気づいた。一つは、これから先がどうなるのか判らないという、不確か性から来る不安。もう、一つは、自分の信頼する、または、信頼したい人が、とても、不安な表情や態度をとられて、こちらも、その雰囲気が伝わってくる不安。

幸い、一緒に行ってくださった、看護師さんは、ベテランの方で、本当は、父のことを心配してくださっているのが、判ったが、そんな不安な表情を、全く見せないで、私達と同行してくださった。

幸い、父の身体から抜けなかった管は、診察してくださった医師に依って、あっという間に抜けてくれた。「よかった!」その場に居る、みんなが、そう、叫んだ。

これこそ、本当の共感の喜びと言うものであろうか?傍で、大きな器具を持って、スタンバイされていた、もう一人の医師も、ほっと、安堵してくださった。

私は、(もし、この管が、どうしても取れへんかったら、どないしはんのやろ?やっぱり、切開手術ということになるのかなあ・・・)と、本当に、救われた気持ちと、そうならなかった、感謝の気持ちで一杯になった。

医学の発達と進歩は、こんなにも、人々に喜びと、生きる希望を与えてくれるのだ。そら、確かに父は、寝たきりで、口から、食べ物を食べることもできない。でも、父の、大きなパッチリと開いた眼を見ると、確かに、身体は寝たままで、口もきかれへんけど、生きているのだ。いや、生かされているのだ。

私は、久しぶりに会った父の元気そうな様子を見ることが出来、また、病院の職員の方々が、本当に親身に父のお世話をしてくださり、入院してもらった時は、本当に、辛かったけれど、この病院にお世話になって、本当に良かったと思う。

母も、父が生きていてくれていることが、唯一の支えのようになっているので、私は、人様のご縁を大切にしながら、回りまわって、そして、拡がり続けていって、これからの、日本の高齢者の方々が、安心して暮らせる世の中になっていって欲しい。

いずれは、自分が、行く道だ。父が元気で、私が、まだ、今より、もっと若くて、生意気(今でも充分生意気でっけど・・・)な時、祖母のことで、喧嘩になり、その時父が、「人間は、誰でもいつかは、年老いていくもんや。そやから、お祖母ちゃんのことをもっと大切にせなあかんやないか!」と、言われて叱られたことがある。

その父が、今は、やっぱり年老いて、寝たきりになって、病院のお世話になっている人の一生も、また回りまわって、自分に還ってくるもんなんや。その為には、今という、この時を精一杯、大切に生きて、周りの人に、優しくなれる自分でありたい。

そんなことを考えながら、私は、今日も、たくさんの方と出逢わせて戴いて、今日、一日の自分の人生を振り返り、また、明日へと、突き進んで生きたいと想う、みかんであった。おぬし、かっこええのお~

                   byみかん

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