戦争を知らされない子供達 2010年6月30日
真夏のような暑い真昼間に、出勤の為家を出る。すると、門のポストの中に、箕面の紙芝居まつりの案内が入った、分厚い封書が入っていた。「遂に、来たか。」私は、その封書をカバンの中に収めて、駅へと急いだ。
明日は、「ピース大阪」で、初めて平和紙芝居をさせて戴く日やし、なんか、嬉しいけれど、プレッシャーやなあ。箕面の紙芝居まつりは、うちの誕生日の7月11日やし、しかも、その日は、参議院議員の選挙の投票日や。7月に入ったら、また、慌ただしい日々が続くのか。
せやけど、贅沢言うたらあかん!紙芝居をやらせて戴くことに、感謝の気持ちを持ち、自分の与えられた役割を、精一杯務めさせて頂くのや。
特に、ピース大阪で、平和紙芝居を演じさせて戴くことは、自分は戦争体験はしていないが、父や母が、青春時代の真っ只中を謳歌することもなく、特に、母は、大阪大空襲で焼け出された経験があり、何時も、戦争の時の話を聞かされていた私には、その体験を受け継いで、次の時代を担う子供達に、二度と戦争の悲惨な目に遭うことのないように、伝えていく義務がある。
うちらは、若い頃、「戦争を知らない子供達」と云う歌が流行って、そう呼ばれていたけれど、今の子供達は、そんな戦争があったことも知らされていないのではないか?「戦争を知らされていない子供達」をこれ以上、増やさない為にも、私達、大人の責任は重大だ。
最近、命の大切さを伝えていかなければならないということを、く叫ばれているが、戦争ほど、残酷で人を殺し合い、命を粗末にする典型的なものはない。
抑止力云々よりも、この国を本当に、よくしようと想うのなら、そんな考え方は、私は、断じて受け入れたくない。真の平和とは、力の均衡ではなく、話し合いこそが、一番大切であると、うちは、いつも想っている。
強さだけでは、ポキッと折れてしまう。本当に大切なのは、竹のようにしなやかな、柔軟性だということだと、うちは、思うのだが、如何であろうか?
byみかん
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント