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2010年7月

真夏の夜のみかんのひとり言         2010年7月31日

すいません。ブログの更新、ちょっとさぼっていました。と、言うのは、あんまり暑いので、最近は、一階の仏壇の間(娘達は、大奥と呼んでいる)で休んでいます。

それで、外出や、仕事から帰宅して、夕ご飯を食べて、お風呂に入ると、もう、お布団敷いて、バタンキューの日々が、続いとりました。

せやけど、なんでんなあ。このブログは、絶対に書かないといけないというものではないのですが、一人でも見て下さる方が、おられるのだと思うと、やっぱり、続けさせて戴きたいと、今日も顔晴って、書かせてもろてます。

ほんま、ありがとうございます。何時も言うてることで、くどいようですが、完全無欠な人間なんて、世の中に居てないのやから、自分で自分の可能性を信じて、自分の心に素直に生きていければ、素敵ですね。

せやから、人からどう見られてるかて、そんなん、私も全然考えないなんて、言えませんけど、少なくとも、自分ことを、もう一人の自分が、見守ってあげて、「よう、がんばってるなあ」とか「そこまで、無理せんでもええでえ」なんて、自分自身と会話出来るようになったら、素晴らしいですね!

昔の私は、自分のことを、凄く責めていました。自分のことが嫌いやったし、性格も後ろ向きやった。今は、なんで、こんなに不思議にも、自分に馬鹿正直に向き合い、馬車馬みたいに、突っ走るのかと考えたら、やっぱり、そこに、紙芝居との出逢いと、紙芝居を通じて、多くの方々とのご縁で、なんとか自分のことが、肯定出来るようになりつつあります。

今は、スピードや効率や、簡便さが、重視されて、なんだか、人間関係でしんどい人が、たくさんおられるようです。それは、メールやパソコンで、文字の上でしか、会話をしない人が増えてきたことも、関係あるのでしょうか?

本来、人間関係というのは、人と人とが、直接向き合って、会話するのがいいのだと思うのですが、今の時代は、そんな関係を結べる機会が、少なくなってきているのでしょう。

そう言う私も、皆様と、この、だらだらとした、まとまりのない作文で、自分の思いを発信させて戴いているのですが、やっぱり、毎日、いろんな方と出会わせて戴いて、お話させて戴いている時が、一番、楽しいです。

今日も、子供達と一緒に、百人一首をしていたら、時間の経つのを忘れるぐらい、楽しい時を過ごさせて戴けました。

家に帰る道で、近所の言葉の不自由な方に出会ったら、身振り、手振りで、私に、一生懸命、何か伝えてくださるのだが、勘の悪い私は、何のことだか、最初は判らなかったのだが、ようやく、下の娘が孫を連れて、我が家に来ていることが判り、娘が来たことも嬉しかったが、私は、その方とコミュニケーションを図れたことも、嬉しかった。

私は、その方に、片手を挙げて、ありがとうと言って、挨拶して、家路に着いた。

何が言いたいかと云うと、言葉がなくても、直接、人と触れ合うことで、人間は立派に、心が通わせられることを、体験できたことに、感動したのだ。

だから、今、独り、孤独に苛まされている方が、もし、おられたら、とにかく、挨拶をしてみよう。「こんにちは」でもいいし「おはよう」でも「オッス!」でも構わないから、大きな声でなくてもいいから、明日の朝、初めて出逢った人に、まず、挨拶をしてみませんか?

きっと心の中に、すこうし、爽やかな風が吹くと、いいですね!きっと吹きますよ!

                 byみかん

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シンプルイズベスト            2010年7月28日

はは、呑気だねえ~

単純がいい。なんにもないのがいい。シンプルイズベストや!人間関係も、整理整頓がひつようやななあ。

あんまり複雑に考えるから、しんどいねん。こんなくそ暑い時に、ごちゃごちゃ、言わんときましょう。細かい、どうでももええことを、なんか、正義の味方みたいに、言われると、胸くそ悪い。

あんたが、良くても、みんながそうとは、かぎらへん。憶測で、決め付けられるのは、もっと迷惑や。自分が、世界の中心に居ているみたいに、勘違いする人間も、よく居てる。

そんな、えらそうなこと言うているうちかて、自分勝手な人間や。みんな違うから、お互いの違いを理解することは、難しいけど。違うと思うだけでも、ええんちがうん?

自分と同じ価値観を押し付けるから、しんどいねん。みんなちがって、みんな良い。難しいことは、判らんけど、賢く生きるよりも、自分に正直に生きる方が、生き易いなあ。

暑い夏、そんなに怒ったって、よけいに暑くなるだけ。シンプルイズ、すずしい~!がええんやおまへんか

                     byみかん

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武士道と坂本龍馬             2010年7月27日

本屋さんで、子供にも解る武士道の本を購入した。私は、論語の本にしようか、どちらにしようか迷ったのだが、何故か、その本に魅かれて、買ってしまった。

武士道なんて、とても、堅苦しい考え方だと、思われる方もおられるだろうが、私は、この本を読んで、武士道とは、義を重んじ、そして、卑怯なことを、憎み、慮の心を尊ぶ。つまり、日本人の本質的な心が、この武士道に、全て含まれているのだと考える。

私は、そんな、武士道の心を、爪の垢程も、持ち合わせては居ない、未熟者だが、志だけは、大風呂敷を敷いて、その、風呂敷を、きっちりと結ぼうと想って、おそらく、生涯、死ぬまで、格闘するだろう。

そして、結び目が、だんご結びになって、ほどけなくなっては、誰かに助けてもらいながら、この大風呂敷を、いつか、しっかりと、結び合わせて、この世を去る時には、次の世代の人達に、きっちりと、手渡したい。

武士道についての、詳しいお話は、また、後日、機会があれば、ゆっくりとさせて戴きたい。とにかく、私は、平成の世の中を洗濯したい。なんて、生意気なことは、申しません。でも、自分の人生は、しっかりと、自分の手で、掻き分けて、拓いていけたら、素晴らしいなあと、想っています。

紙芝居の道は、険しくて、自分で、手探り状態で、模索していますが、礼を尽くして、義を重んじ、正々堂々とお天道様の下を歩きながら、にこやかに、慮の心を持ちながら、出しゃばり過ぎず、でも、みんなに、迷惑かけながら、ありがとうという、感謝の気持ちを忘れずに、自分の心に素直に、生きていきたいです。

坂本龍馬は、そんな生き方が、出来たのでしょうね。私は、まだまだ、まだまだ、まだまだ、です。憧れるけれど、遠い存在ですけんど、憧れるのは、赦されるでしょうね!

ねっ!青空みかんさん!

                  byみかん

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気付即行動                2010年7月24日

我が恩師、大河満子次先生のお言葉を、私はいつも、へこたれそうになった時、自分の心に刻むように心がけている。

    気付即行動

思いついたらすぐやろう

  理性は行動を鈍らせる

  常識は行動を留まらせる

  これが成功の近道だ

こんなに暑くて、チョコレートみたいに、溶けそうな日が続くと、どうしても、気持ちが後ろ向きになり、行動するのが、疎かになる。

そんな時、心の中で、師のこの言葉をつぶやくのではなく。朗々と、大きな声で誦じると、勇気百倍、元気もりもりと、湧いてくるから不思議だ。

言霊て、こんなことを言うのかな?うちにとっての、成功とは、紙芝居を、立派な芸術性を持った文化として、確立させることで、全ての人々の魂を呼び覚まし、美しい日本人の心を取り戻し、豊かで、幸せな国にすることなんや~ 未来を担う子供達のために!・・・なんて、かっこええこと言うてるけど、ほんまは、うちは、物凄い、粗忽者で、シャイな性格ですねん。

明日の全興寺さんの紙芝居も、また、一杯、冷や汗かくやろなあ~ いやほんま、たのんまっせ!みかんはん!

                  byみかん

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みかん、国語力の復活を乞う!      2010年7月23日

電車の中で読もうと、古い書籍の中から、引っ張り出して来た文庫本を見て、目から鱗が落ちた。本の題名は、「祖国とは国語」(藤原正彦著 新潮文庫)だ。

この本を読んで、今の日本の国の危機が、国語の語彙力の低下に原因が在ることを、論理的に検証されている。私も、全くおんなじ想いで、出来るだけ美しい母国語である日本語を、次の世代を担う子供達にお伝えしたいという気持ちで、紙芝居という文化を通じて、実践させて戴いている。

何故国語力が、大切なのか、筆者は、五つの理由を挙げている。

1)小学校の国語教育の再生が国家の浮沈から救う。

2)国語は全ての知的活動の基礎である。

3)国語は論理的思考を育てる。

4)国語は情緒を培う。

5)祖国とは国語である。

著者の藤原正彦氏は、数学者であるにもかかわらず、何故にこれだけ、国語力を養うことが、今の日本を救うことになるのかは、私は、この本の上記の五つの項目の文章を読んで戴くだけで、歴然と、ご理解戴けると想うのだ。

今や、グローバル化や、IT社会などと、謳われているが、果たして、どれだけの人間が、わたし含めて、英語を話すことが出来、コンピューターを、自由自在に駆使出来るであろうか?私たちの日常の会話は、依然として、日本語である。それどころか、最近は、なんでも、メールや、パソコンをで打ち込むことが出来(私も御他聞に漏れずだが)自分の手で、字を書いたり、人と直接話をすることも少なくなり、コミュニケーション力が、著しく衰えている。

これは、やはり、言葉の語彙力と、言葉のやり取りの機会の減少によるもので、例えば、一人暮らしの若者が、一日中、誰とも話さないでも、コンビ二でお弁当を購入したり、自動販売機で、飲み物を買ったり、電車の切符を券売機で買い、自動改札口から出入りする。会社に行って、パソコンの前に座り、一日中、仕事をし、退社後、同僚と飲みに行くこともなく、疲れ果てて、マンションの自分の部屋に帰り、また、パソコンの前で、インターネットをして、戯れる。

こんな生活していたら、口から、言葉なんか発する機会が、全くないじゃあありませんか?先日も言いましたが、みかんは見た。街の横丁での男の人同士の、殴りあいの激しい喧嘩を、たくさんの人が見ていて、うちが、「誰か、警察に通報しましたか?」と尋ねても、みんな、知らん顔。唯一、通報したのが、隣のコンビ二の店長さんと、うちだけやった。

これって、ほんまに、恐いことですよねえ。他人のことは、興味はあるけど、関わりになりたくない。日本人の本来の風習である、「人様のことを我が事のように思う感性が、今の時代、消えてしまいつつあるのやと、危惧します。

どれだけ、学校の成績が良く、立派な大学を出て、エリートの職に就いても、人間としての思い遣りの心を育むのは、知識ではなく、どれだけ、国語力を育み、古典や文学に親しみ、情緒豊かな人間になれるかということが、大切やと想います。

確かに、今の時代、英語も大切です。だけど、英語を学ぼうとしたら、根本的な国語の読解力や、作文力が培われていなかったら、英語は理解出来ません。何故なら、考える時、頭の中を駆け巡る言語は、自国の言葉、日本語そのものなのですから。

どんなに、難しい数学の証明問題も、どんなに複雑な化学の実験も、みんな、日本語で考えるでは、ありませんか?日本語で、まず、論文を書いてから、英訳するのでは、ありませんか?

うちは、大学院に行っていないから、ようわからんけど、どんなに偉い博士でも、みんな、日本の博士は、日本語で教えられるのでは、ありませんか?中には、英語だけの授業や、英語だけを話さないといけない企業もあるそうですが、どうして、日本語で、英語を教えては、いけないのでしょうか?日本語で、英語の仕組みを教える方が、もっと、解り易いし、理解出来ると、私は思います。

まず、日本語、国語ありきでは、ないでしょうか?何故なら、私たちは、この美しい自然に囲まれた、日本という国に生まれたのですから、お母さんのお腹の中に居る時から、聴いている言葉ですから、もっと、美しい日本語を、ずっと、これからも遣っていきたいでは、ありませんか?大切にしたいとおもいませんか?

               byみかん

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熱中症にご用心!             2010年7月21日

早朝の地震に驚いたが、飛び起きることもなく、しかし、朝からのうだるような暑さにはかなわじと思い、しぶしぶ、起きて、出勤する。

「暑い。朝からなんで、こんなに暑いねん!日本は、一体どうなるのやろ?」と、ぶつくさつぶやきながら、職場の学校へ向かった。なんとなく、2,3日前に熱中症になりかけた時、血液中の塩分が薄くなるから、貧血になるのだということを思い出し、ポカリスエットを、念の為に買って行った。

学校へ到着するや、定刻の15分前だというのに、子供達は既に、来ていた。プール指導があるので、遅れたら大変。うちは、あわてて、部屋を開けた。

部屋に入るなり、真っ先に冷房のスイッチを入れる。ほんまに、有り難い職場や。贅沢云うたら、バチが当たる。今日も、精一杯、子供達の安全と健康に気をつけて、働かせて戴こう。

夏休みが始まった日や、プール指導があると云うことで、次々と子供達が入室して来た。みんな、元気かな?しんどいと言ってる子には、ポカリスエットで、早速、水分補給を図る。

うち、思い出した。子供の頃、大きくなったら、看護婦さんか、学校の保健室の先生になりたかったことがある。なんか、そんな、他愛もないことを考える暇も、殆どなく、うちは、子供達の遊んでる様子や行動を見ながら、子供達の顔色や、健康状態を気遣った。

やっぱり、みんな、この暑さに、だいぶ参っているのかと、思いきや、疲れているのは、私ぐらいなもんで、みんな、元気に、無事に、一日を過ごしてくれた。しんどくて、早く帰宅した子も、大事なかったようだ。ほんま、良かった。

みんな、暑い夏休みになりそうやけど、熱中症にならんように気をつけて、楽しい思い出一杯の夏休みになるといいね!私も、倒れんように、顔晴るわ!全然痩せへんけど・・・あんまり関係ないか~

               byみかん

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宴会してええんかい?           2010年7月19日

人生の幸せは、物質的な豊かさではなく、如何に自由闊達に、楽しく有意義な時間を同じ気持ちを持っている方々と過ごすかということだと、思います。

今日は、紙芝居仲間の方々と、難波で、そんな時間を過ごさせて戴けて、凄く幸せです。こんな宴会をさせて戴くのは、初めての試みで、正直、皆さん、集まって下さるか心配でしたが、よんどころのない急用で、欠席された方もおられましたが、うちも入れて、十名の楽しい宴を催しました。

昨日から、熱射病のような症状で、あんまり体調は、芳しくなかったのですが、笑いが、免疫作用を起こすというのを、実践できたような、愉快な時間を、紙芝居仲間の方々と過ごし、本当に、暑さにあてられていた身体が、笑うたんびに、悪い気が抜けていくような、不思議な体験をしました。

南京玉すだれの実演あり、バナナの叩き売りの紙芝居あり、終戦後の体験の貴重なお話もあり、本当に、紙芝居をされる方は、、皆さん、素晴らしい才能や、貴重な体験をお持ちで、うちは、改めて、感動しました。

自分の想いを表現するには、いろんな方法が、在るとおもいますが、その中でも、紙芝居は、上手下手というレベルなんかではなく、その方の今まで生きて来られた、姿勢そのもの全てが、等身大に、紙芝居を演じることで、表わされるのだと、うちは思います。

だから、こんな貴重な時間を皆さんと共に過ごすことが出来、本当に有り難かったです。今日、お忙しい中を来てくださった皆様、本当にありがとうございます。

残念ながら、本日起こしになれなかった方々、次の時は、是非、みんなであつまりましょう。その日が来るまで、楽しみにしています。

楽しくなければ、続かない。おもしろくなければ、あきてしまう。興味ば湧かなければ、深めることが出来ない。紙芝居は、そんな、皆様の、飽くなき探究心に対して、きっと、ご期待にそうことの出来る、魅力在る文化だと、うちは、自負しています。

どうか、青空視観の紙芝居の会の皆様が、これからも、喜んで戴ける作品を、魅力ある演じ方で、人々の心を魅了し、愛と勇気と希望を、子供達が持てる時代に、うちは、していきたいと想っています。

携帯のメール一つ、まともによう返さん、不器用で、どんくっさい私では、ございまが、ハートだけは、熱いので、何卒よろしゅうおたのもうします。最後まで、お付き合い戴き、ありがとうございます!

                    byみかん

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「踊る大捜査線」再び登場す         2010年7月17日

先日、このブログで、映画「踊る大捜査線」を観に行き、織田裕二の演技に深く感銘を受けたことを申し上げた。そして、今日も、テレビで、7年前の「踊る大捜査線」の映画を放映された。今日の映画のテーマは「リーダー」そして、一番最新の今回のテーマは「死」だ。

時代が変化し、人々の価値観も変わってきている。それは当たり前のことだが、織田裕二の普遍的な、自然体の演技と、彼を取り巻く脇役の方々の演技の輝きは、変わらない。ただ、一人、いかりや長介さんの存在の有無を除けば・・・

人間の生きているという存在が、これ程顕著に表わされた、いかりやさんの演技はないと、不思議な気持ちがした。まるで、自分はもう、この世からもうすぐ存在しないことを予期するように、長介さんは、映画の中でも、若い人達に、自分の職務を委ねて、立ち去ったのだ。

私は、テレビを観ていて、いかりやさんは、もう、既にその時に、自分の死が近いことを知っていたのではないかと、実感した。そんないかりやさんの、立ち去っていく後ろ姿を見ると、「うちらも、もっと、しっかりと生き切って、次の世代の人々に、バトンタッチせんといかんなあ。」と、しみじみ思った。

最後に、織田裕二が、今回の映画を紹介する時に、「ぼくらは、いろいろなことを乗り越えて、そして、生き続けなければいけない。」というようなことをおっしゃっていた。

この地球という星に生まれ、あまた生き物が居る中で、人間だけが、他の生物の命を戴いて、自分は、何物にも命を奪われないで、生きている。そんな、畏れ多い、罪深き人間として生まれたからには、生きることを全うする義務が在る。

そして、自分の生まれて来た存在の意味や価値を、自分自身に問いながら、毎日を精一杯生きる権利が在るのだと、うちは想う。

なんや映画の話題から、哲学的な話になってしまう、支離滅裂なところが、このブログの特徴でおます。

本物の紙芝居の作品も、そんな人間の生きる意味と喜びを現した作品が、たくさんあります。そして、紙芝居は、そんな作品を演じる人間の、今まで生きて来た姿勢と心が作品世界を通じて演じられて、初めて完結されるのです。

映画もお芝居も、落語も漫才も絵画もダンスも、すべての本物の文化に言える事は、人間の生きる意味を込められているけれども、その渡し方が違うだけなのです。これは、紙芝居文化の会の代表であり、紙芝居、絵本作家の、まついのりこさんが何時もおっしゃっている言葉です。

そんなほんものの文化に込められている、作家の世界を私達は、「光の源」と言っています。その「光の源」が作品の中に在るか、ないかで、ほんもの紙芝居(文化)であるかどうかが、問われるのです。

「踊る大捜査線」の映画に関して言わせて戴ければ、織田裕二が、ほんものの役者なのです。そして、脇役や、脚本も、みんなほんものだから、これだけ人気があって、評判になるのです。

どんなに役者さんが上手く演技をしても、作品の中身が本物でなければ、おもしろくありません。また、その逆もそうなんです。だから、ほんものの文化を創ることは、本当に産みの苦しみがあると想います。

ほんものの文化の価値を解る人(自分にも戒めて)が、一人でも多く増え、この、日本という国が、身も心も豊かな国になることを、私は切に願い続けます。文化を大切に想い、伝え続けることを怠っては、この国は、滅びるでしょう。

                   byみかん

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ただの階段のエスカレーターなのか?     2010年7月15日

今日、地下鉄に乗って森之宮に在る、ピース大阪で、紙芝居を実演させて戴いた。紙芝居仲間の方が、一緒に実演して下さり、見学にもお二方来て下さり、半分充実した気持ちで、帰りの地下鉄に乗った。

すると、なんと、途中の駅で、谷町線に乗り換える時、下りのエスカレーターが動かない。みんな、妙な気持ちでエスカレーターを徒歩で降りておられた。うちも、生まれて初めて、動かないエスカレーターを足早に歩いて降りた。

すると、そのとき、うちは思ったのだ。「なんや、エスカレーターて、動けへんかったら、ただの階段と一緒やんか!」便利なようやと思ってたけど、動かなくても、これと言って不便なことはない。(下りは)

それから、うちは、天王寺で、久しぶりに映画を観た。織田裕二の「踊る大捜査線」だ。この映画を見終わった後、うちは、何故、自分が中途半端な、ふっきれない気持ちでいたのか、気づいた。「そうや、ボランティアには、ボランティアの役割がある。うちは、思っていることの半分も言えなくて帰宅しようとしたのだ。」

それは、8月の紙芝居は、実演しないと、職員さんと決めさせて戴いたのだが、うちは、終戦月である、8月だからこそ、ピース大阪で、紙芝居で平和をお伝えさせて戴く意義が在る。それでなかったら、大阪の空襲で一万5千人の方、広島、長崎の原爆で亡くなられた、数十万人の方、先の戦争で亡くなられた、何十万人と云う方の御霊が、浮かばれない。その方達の尊い死が在って、うちらは、こうして65年間の間、戦争のない国で暮らすことが出来ているんや。

私は、動かないエスカレーターではない。なかったら困る人間になりたい。自分の存在なんて、たかが知れているけんど、紙芝居という表現文化を通じて、平和の尊さを継承させて戴きたい。「踊る大捜査線」の織田裕二は、犯人役の小泉今日子を逮捕する。ただ、その為だけで、危険を顧みず、勇敢に、しかも、たんたんと、自分の役割を果たした。あの演技は、本物や。

うちも、そんな自然体で生きたいけど、根が熱いから、なかなか、頭も固いけんど、勇気を出して、もう一度、天王寺から、森之宮のピース大阪に戻って、担当の職員さんに、8月も是非、紙芝居をやらせてくださいと、お願いした。(ほんま、ガムテープや)

職員さんも快く、引き受けてくださり、うちは、心から感謝の気持ちで一杯になった。そして、その時、下りのエレベーターだって、それなりの意味は、在る。世の中で必要でないものなど、存在しない。みんなちがって、みんないい。金子みすずやないけど、なんか、うちは、胸の中の空気が、一杯ふくらんだような、爽やかな気分になって、家路に着いた。

家に帰ったら、やっぱり、下の娘が、二人の孫を連れて来ていた。みんなちがって、みんなかわいい!私は果報者だと、心底嬉しかった。ありがとうございま~す!

                 byみかん

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日本列島水浸しの教訓            2010年7月14日

今日も日本列島は、激しい雨に見舞われ、各地で災害が発生した。毎年、この時期になると、このような豪雨に遭い、甚大な被害に、人々は不安と絶望の彼方にうちひしがれる季節に、今年も残念ながらなってしまった。

なってしまったなんて、無責任な言い方はしたくはないのだが、今年の雨の特徴は、まるで、スコールのような雨が、滝のように空から、或る狭い場所に降ってきて、その土地を悉く、水で覆い尽くすという、やっかいな雨だ。

言わば、男性型の梅雨と言うのであろうか?(最近は女性も強くなってきたが・・・)せやけんど、うちは、テレビのニュースを観ていて、一つだけ気になることに気づいた。それは、被害に遭われて、残念にも亡くなられた方や、行方不明になられた方が、みんな、70歳以上の高齢者の方々だということだ。

若いもんは、みんな、都会に出て、山村で暮らしておられる高齢者の方々にとって、河川の氾濫や、裏山の土砂崩れで、水浸し、土砂災害に遭うかもしれないという恐怖を抱いておられるお気持ちは、なんとも言えない遣る瀬無さを実感するのだ。

私は、幸い、街中に住まいしていて、そのような恐怖を味わったことがないが、私が、高校生の時(ずいぶん昔のこと)は、まだ、学校の水はけが物凄く悪くて、水浸しの中を、ずぶ濡れになりながら、登校したのを覚えている。

とにかく、これは、自然の摂理と言ってしまえば、それまでだが、私達は、先祖代々、この風水害と戦いながら、その時代、その時代を、一所懸命戦いながら生きて来た。

もうすぐ、梅雨が終わり、最後の自然の現象と向き合いながら、うちら人間は、自然に対して、改めて畏敬の念を抱き、被害が、最小限度にとどまることを、私は願って止まない。

如何に文明、科学が発達しても、自然は私達に敬虔の念を忘れてはいけないことを、知らしめてくれる、有り難い指導者であることを、ゆめゆめ忘れてはならないのだ

                   byみかん

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箕面のみかんは、すっぱいの巻        2010年7月12日

昨日、マイバースデイは、見事に冷や汗もんの一日でございました。私達、青空視観の紙芝居の会、御一行様?は、第22回箕面紙芝居まつりに参加させて戴きやした。

うちは、遅れたらあかんと思い、日曜日の朝、6時半に起きて、9時には、待ち合わせ場所の箕面駅に着きやした。(なんのこっちゃ?)待っている間に、年配の仲間の方が、なんと、駅の屋根の柱にツバメの巣を発見されたのです。巣の中には、可愛い雛鳥が4羽程鳴いて居ました。なんか、ほっとするなあ。

うちらは、いざ、紙芝居まつりの会場へ乗り込みました。(喧嘩とちゃうちゅうのに)本日は、うちも含めて、6名が紙芝居を実演させて戴く予定になっている。

会場には、ゲストの紙芝居作家の先生方や、紙芝居コンクールの審査委員長で、京都女子大学教授で、児童文学研究の大御所、中川正文先生の作品などが、ずらりと並べられてあった。

私は、自分の実演よりも、会の皆さんのことが気になって、見学の方のカレー券を地下の食堂に購入しに行ったり、雨が降ってきたので、スタッフの方が外の玄関の実演の場所が変更になると言われて、確認をしに行ったり、もう、自分のことは、後でいい。とにかく、皆さんに、紙芝居を存分に演じて戴いたり、いろいろな紙芝居を観て戴くことに、徹しよう。

そう、心に決めたーと言えば、ものごっつうかっこええけど、うちは、あきらかに、実演する紙芝居を謗っていた。つまり、紙芝居をなめていたのだ。(美味しくないけど・・・)

中川正文先生の講演が終わり、紙芝居の実演が始まると、三ヶ所に分かれて、実演が為される。先ほど言った。外の玄関横と、中のロビーと、奥のホール。この三ヶ所で、全国から集まられた、紙芝居の演じ手が、一同に紙芝居を演じるのであるから、大したものである。

私は、仲間の会の方の実演を観ることに気持ちが行き、もう、そわそわ、どきどき。まるで、自分の子供の発表会みたいな気持ちやった。せやから、自分の演じるホールでは、紙芝居を観ていなかった。

無事に、皆さんの実演が済み、(みなさん本当に素晴らしかった)いよいよ、自分の番やと思って、ホールに入った時、ちょうど、ゲストの絵本、紙芝居作家の長野ヒデコ先生が、紙芝居を演じられるところであった。長野先生はいろいろとお話されて、いよいよ、紙芝居を実演される時に、「ごめんなさいね。この舞台、暗くて全然見えないので、紙芝居を立てて、演じてもいいですか?」という内容のことを言われた時、私は、頭をハンマーで、思いっきりガーンと殴られたような戦慄を覚えた。

「え~っ!舞台の後ろが、見えへんなんて、クリープを入れないコーヒーのようなもんやん(古い)どないしょう~」私は、もう、頭の中が真っ白になった。

いよいよ、うちの番がやって来た。本日実演させて戴く紙芝居は、昔話「たけいっぽんしおいっしょう」もう、いっしょう後悔するわ。何故に、本番前に舞台を確認しとかなかったのかと・・・もう、後のまつりだ。

うちは、やけくそで口上を述べ、紙芝居の実演を始めさせて戴いた。見えないぞ。字が見えん。もう、こうなったら、今まで練習してきた記憶を辿るだけや。あっ!なんということであろうか?間違って間の場面を引き抜いてしまった。実演が中断された。私は「すんません」と小声で言って、素早く元の場面に戻し、実演を続けた。

だが、違う場面を抜いてしまったことが、実演中、ずっと頭の中でひっかかり、一度失敗すると、それを引き摺ってしまうのが、うちの週間、ちゃうは、ウイークポイントなのだ。場面を抜く度に前を覗いて、絵を確認する。そして、暗闇の中に隠れた字を、勘を頼りに読む。

こんな演じ方では、とても観られたものではない。うちは、やっと、最後までなんとか、演じ終わり、もう、早く客席に引っ込みたくて、たまらなかった。「こんな日もあるさ!せやけど、あんだけ見えへんかったのに、まあ、最後までようがんばったで。みかんはん!」などと心の中で、自分で自分を慰めて、気持ちをリセットすることに努めた。

箕面の紙芝居の実演は大失敗巻で、青空みかんのみかんは、人生、そんなにあまくはないと、紙芝居を演じる前に、子供達に自分がしゃべっておいて、一番、あまくなく、失敗という、すっぱいどころか、苦い経験をさせて戴き、また、成長させてもらえた、みかんであった。

青空視観の会の皆様、お疲れ様でございました。来年もまた、是非、みんなで、紙芝居引っ提げて、御一緒にいきませう。チャンチャン!

                       byみかん

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15の君と、十代のあなた達へ       2010年7月10日

拝啓、十五の君と十代の貴方たちへ

毎日、暑い日が続くと思ったら、いきなり滝のような雨が怒涛のように降り、本当にお天気まで狂ってしまった、今日この頃ですが、如何お過ごしでしょうか?

また、君達と同年代の女の子が、親を焼き殺してしまいましたね。・・・・・本当にやりきれない気持ちで、一杯です。

明日は、いよいよこの国の運命を大きく決める選挙が、行なわれようとして、大人達が、騒いでいる時に、こんな悲惨な事件が起こってしまいました。

私は、この二日間、自分なりに、一所懸命、無い頭を抱えて考えました。「君達の声を真剣に聴いてくれる大人が、一人でも居たら、こんなことにはならなかったのではないのだろうか?」

大人だけではなく、友だちでもいい、先輩でもいい、誰か、一人でも「なんにもでけへんけど、あんたの話だけでも聴くぐらいやったら、なんぼでも聴くでえ」と、言ってくれる人が居なかったことが、とても残念でなりません。

もし、今も、いろんなことで、悩んでいて、もう、しんどいくて辛いねんと、思っている方が居たら、下記の処へ電話をしてみてね。どんなことでもいいよ。とにかく、電話口で、自分の思いの丈をぶつけてみよう。そしたら、アドバイスなんかいらんやん。自分で自分の思いを客観的に見えてくるかもしれん。話している時に、いや、まてよ、こんな考え方もできるなあそう思えなくても、少なくとも、自分は決して独りぼっちやないんやん。電話口の人が、自分の話を真剣に聴いてくださることで、行き止まりのトンネルから、一筋の明かりが見えて来るかもしれん。

そんな気持ちになんか、なれるわけないわ。自分の気持ちなんか、誰にも解ってもらわれはへんと、思ってしまうかもしれんけど、少なくとも、自分の思いを誰かに話すことで、気持ちが、ほんの少しでも楽になれるかもしれん。何か言いたい時や行なうときには、次の三つのことを考えてすることが大切やと、或る人に教えられたことがある。

1)それを言えば(行なえば)自分にとっていいことか?

2)それを言えば(行なえば)相手にとっていいことか?

3)それを言えば(行なえば)みんなのために役立つことか?

あやまちをあらためなかったことが、本当のあやまちである

あやまちとは、漢字で「過ち」と書く。即ち、過ぎ去ったことを悔い改めないことが、真のあやまちなのである。人間は、そのおろかな過ちを繰り返して来て、何度も、悔い改めようと努めることが、出来るか出来ないかで、その人間の生涯が懸かってくるのであるのだという、自分なりの結論に至った。

なんか、小難しゅうなりましたが、「チャイルドライン」の電話番号をお知らせします。

0120-99-7777 月~土 16時~21時 18歳までの方

本当に、悩んでいる人は、一度、この番号にかけて、自分の思いを、兎に角聴いてもらってください。そして、これだけは言わせてください。君は決して、独りではないよ。少なくとも、あなたの家族は、あなたのことを本当は、愛しているのです。ただ、表現の方法が上手く表わせず、コミュニケーションが上手く機能していないのかもしれないと、一度、考えを、仕切り直してみる目を持てると、素晴らしいですね。

なんにも解らんくせに、えらそうなこと一杯言って、ごめんなさい。でも、みんなに、幸せになって欲しいと願っていることだけは、本当です。♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:

                  byみかん

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紙芝居だけは濡らすな!             2010年7月7日

七夕の日は、不思議と何時も、雨が降るようだ。今年も、やっぱり、雨が降った。だが、幸い、昼間に物凄い、ゲリラ雨に見舞われただけで、夜の空は、穏やかだった。どうやら、今年は、織姫様と彦星様は、天の川でお逢いすることが出来たのではないだろうか?

そんな昼間の、どしゃ降りの雨の中を、私は、バイクで、住吉区の大空小学校で、紙芝居仲間の方と一緒に、子供達に、紙芝居を観てもらって、帰り道に、思いっきり、雨に見舞われた。もう、洋服はずぶ濡れで、ヘルメットから、水が滴り落ち、見通しも悪く、スリップしないかと、こわごわ、家路に向かって、ひた走っていた。

来る時も、少し雲行きが怪しかったのだが、なんせ、初めてお伺いする学校で、もし、道に迷って遅刻したら、大変な御迷惑をおかけすると思って、「どないぞなる」と、相変わらず、アバウトなO型の乗りで、バイクで行くことにした。舞台が重いので、バイクで行くのが、一番助かるのだ。

大空小学校で、子供達は本当に、紙芝居を心から楽しんでくれたようで、先生方も喜んでくださって、私も、本当に嬉しかった。この学校では、オープン講座という授業を設けられて、私達や、学生さん、地域の方々が、ボランティアで講師を務めて、子供達に、さまざまな授業を受けてもらうという趣向である。

他の講師の方々と、控え室で交流をさせて戴き、もう、その時は、雨がふっていたのだが、私達は、少し小止みになった時を見はからって、学校を後にした。

一緒に、紙芝居を演じてくださったAさんと、校門の前でお別れをして、私は、バイクを走らせた。紙芝居の入っている袋の上に、濡れないように、タオルのハンカチを覆った。私は、、あんまり雨がひどいので、暫く、お店のテントの下で雨宿りをしていた。しかし、雨は、一向に止みそうにない。

「ええい!ままよ」と、私は、もう、思い切って降りしきる雨ん中を、走り抜けた。ただ、紙芝居が濡れないことだけを祈りながら・・・幸い、紙芝居は風呂敷の中に、舞台と一緒に包んでいたので、その上にタオルをかぶせたのが良かったのか、家に着いて、ずぶ濡れのまま、真っ先に袋から、風呂敷に包んだ紙芝居を、おそるおそる取り出した。すると、なんと嬉しいことに、紙芝居は全く濡れていなくて、無事だった。

「あ~よかった!無事やった。」そう言って私は、ほっと安堵して、それから自分の服を着替えた。全く、ほんとうの紙芝居馬鹿とは、自分のことだと我ながら、あきれかえった、みかんであった。Aさん、お疲れ様でした。私は、お別れするとき、慌てていたので、傘を持っておられたかどうかお尋ねもせず、本当にすみませんでした。お陰様で、子供達との楽しい一時を、一緒に過ごさせて戴き、幸せでした。ありがとうございます。

                     byみかん

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今年の選挙は短期決戦          2010年7月5日

いよいよ、今度の日曜日、7月11日が、参議院議員の選挙の投票日である。今朝の新聞でも、投票に行くと答えた人が、75パーセントもおられた。

今回の選挙程、多くの政党が出馬し、各党が、悲喜こもごものマニフェストを打ち出し、正直言って、どの政党がどんな独自性を持っているのか、私は、いささか混迷して、ごっちゃになって、頭の中が、整理できていない。

多分、そんな方が、少なくないのではないだろうか?だけど、もう、今度の日曜日には、結果が表れる。立候補者が、必死だが、こちらも、これからの、子々孫々までの生活が懸かっている、大切な選挙であるので、しっかりと、政見放送なり、新聞などを拝見させて戴いて、慎重に選ばせて戴きたい。

せやけど、なんでんなあ。昨年の夏の衆議院議員の選挙は、スパンが長かったけど、今回は、ほんまに、あれよ、あれよと云う間に、国の大切な代表をえらばんといかん。

うちら、有権者に課せられている責任は、相当重たいと、覚悟しとかないけまへんなあ。

皆さんも、是非、投票に行き、国民の唯一の参政権である、清き一票を投じようでは、あ~りませんか?

                    byみかん

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しんどいなんていうてられへん!          2010年7月4日

久しぶりの休日、だが、うちは昼から、扇町にある、キッズプラザさんで、ボランティアさんの紙芝居グループでの講座に、行かせて戴いた。

ご縁が在って、キッズプラザさんで、紙芝居を演じてくださるようになって、今年で三年目になる。紙芝居の明日を担うべく、今日もボランティアさんが、集まってくださった。

私は、少し緊張して、恥ずかしくも、漢字がかけなくて、恥をかき、冷や汗をかいた。本当に、お恥ずかしい次第です。

今日も、熱くかたりたいのだが、何時も、しょうもない日記もどきの作文で、すんません。

だけど、このような、日々の小さな積み重ねが、私の心を支え、突き動かし、行動を起こす原動力となるのだと想います。

今年の夏も暑くなりそうですが、しんどいなんて言うてんと、我が師、大河満子次先生のお言葉「気付即行動 おもいついたらすぐやろう

    理性は行動を鈍らせる

    常識は行動を留まらせる

    これが成功への近道だ」

この言葉を、しっかり胸に刻みながら、明日も、紙芝居を通じて、たくさんの方々とご縁を結び、豊かな人生を築いていきたいと想います。だけど、一番、かなんのは、うちのかあちやんやろなあ・・・まいど、まいど、おんなじ紙芝居の練習に付き合わされてるのです。母ちゃん、いつもありがとう!

                     byみかん

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闇の中の日本丸             2010年7月3日

或る古本屋で求めた本に、こんなことが書かれていた。

 訓練j艦隊に属する二艘の軍艦が、悪天候の中、軍事演習のため数日間にわたり航海を続けていた。・・・中略・・・暗くなってから間もなく、ブリッジの見張りが次のように報告した。

「艦首のl右舷側の進路に光が見えます」

艦長「停止しているのか、船尾の方向に動いているのか」

見張りの答え「停止しています」

艦長「その船に対し、信号を出せ。衝突の危険があるため、二十度進路を変更せよ、と」

相手の信号が返ってきた。

「そちらのほうが二十度進路を変えるように」

すると、艦長が再び命令した。

「信号を送れ。私は艦長だ。二十度進路を変えるように」

すると、「こちらは二等航海士だ。そちらのほうこそ二十度進路を変えるように命令する」

と返事が返ってきた。

艦長は怒りだし、

「信号を送れ。こちらは戦艦だ。二十度進路を変えろ」

と叫んだ。

点滅する光の信号が返ってきた。

「こちらは灯台である」

我々は進路を変えた。

「7つの習慣」スティーブンソン・R・コビィー著 キングベアー出版より

達も、今、日本丸という、船に乗って航海しているのだが、果たして、視界のない海の真っ只中で、灯台であると、的確な判断をして、自分から進路を変える、本物の艦長を、今度の選挙で、よくよく考慮して、選ばなければいけないのではないだろうか。

艦長であることの上に胡坐をかいて、自分から進路を変えようとしない人間の、なんと多いことか・・・(私も含めて)

今の日本、右も左も、真っ暗闇じゃあござんせんか。灯台にぶつからないように、皆様で力を合わせて、よくよく、自分達の進路を、見極めてまいりましょう

                     byみかん

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7月のみかんの予定            2010年7月2日

毎日、うだるような暑い日が続きますが、皆様、お元気でしょうか?今月も、暑さに負けず、青空視観は、紙芝居を皆様にお届けさせて戴きたいと想います。何卒、宜しくお願い申し上げます。いつも、ありがとうございます。

                    記

7/4(日)  午後    「キッズプラザ」紙芝居グループ勉強会

7/7(水)  午後    大阪市立南住吉大空小学校「オープン講座」

7/11(日)  終日      箕面紙芝居まつり

7/19(日)  午後    難波紙芝居教室 OkATビル4階

7/24(土)  午後   田辺紙芝居教室 すずき住建様田辺サロン

7/25(日)  午後    全興寺紙芝居  大阪市平野区

7/28(水)  午前    田辺親子サロン 田辺会館

今月から、ピース大阪で紙芝居をさせて戴くことになりました。

7/9(金) 7/15(木) いずれも午前中を予定しております。

お陰様で、活動の場が増えて、本当に嬉しい限りです。日々勉強、日々練習の気持ちを持ち続け、しかし、決して、驕らず、腐らず、へこたれず、疲れたら休むといいう気持ちで、なんとか、この暑い夏を乗り切りたいと想います。皆様も、くれぐれも、ご自愛下さいませ。

                   byみかん

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戦争を知らされない子供達          2010年6月30日

真夏のような暑い真昼間に、出勤の為家を出る。すると、門のポストの中に、箕面の紙芝居まつりの案内が入った、分厚い封書が入っていた。「遂に、来たか。」私は、その封書をカバンの中に収めて、駅へと急いだ。

明日は、「ピース大阪」で、初めて平和紙芝居をさせて戴く日やし、なんか、嬉しいけれど、プレッシャーやなあ。箕面の紙芝居まつりは、うちの誕生日の7月11日やし、しかも、その日は、参議院議員の選挙の投票日や。7月に入ったら、また、慌ただしい日々が続くのか。

せやけど、贅沢言うたらあかん!紙芝居をやらせて戴くことに、感謝の気持ちを持ち、自分の与えられた役割を、精一杯務めさせて頂くのや。

特に、ピース大阪で、平和紙芝居を演じさせて戴くことは、自分は戦争体験はしていないが、父や母が、青春時代の真っ只中を謳歌することもなく、特に、母は、大阪大空襲で焼け出された経験があり、何時も、戦争の時の話を聞かされていた私には、その体験を受け継いで、次の時代を担う子供達に、二度と戦争の悲惨な目に遭うことのないように、伝えていく義務がある。

うちらは、若い頃、「戦争を知らない子供達」と云う歌が流行って、そう呼ばれていたけれど、今の子供達は、そんな戦争があったことも知らされていないのではないか?「戦争を知らされていない子供達」をこれ以上、増やさない為にも、私達、大人の責任は重大だ。

最近、命の大切さを伝えていかなければならないということを、く叫ばれているが、戦争ほど、残酷で人を殺し合い、命を粗末にする典型的なものはない。

抑止力云々よりも、この国を本当に、よくしようと想うのなら、そんな考え方は、私は、断じて受け入れたくない。真の平和とは、力の均衡ではなく、話し合いこそが、一番大切であると、うちは、いつも想っている。

強さだけでは、ポキッと折れてしまう。本当に大切なのは、竹のようにしなやかな、柔軟性だということだと、うちは、思うのだが、如何であろうか?

                    byみかん

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