ちょっと、待った! 2010年6月26日
大阪の女子中学生が、投身自殺した。遺書をしたためての、覚悟の自殺のようである。悲しい。これから、花も実も在る人生が待ち受けているかもしれないのに、生きていることが、そんなにつらかったのであろうか?
以前にもお話させて戴いたことがあるが、わたしも、或る一時期、生きていることがどうしようもなく辛くて、辛くて、雨の降りしきる中を、近くのお寺へ駆け込んだことがある。
その時、そこのお寺の御住職が、私におっしゃってくださった言葉がある。それは、「貴女が、今、そうして苦しんでおられる時も、心臓が動いていて、あなたの命は、必死で生きようとしていることを、忘れないでください。」と言う様なことを、私を座敷に上げて、おだやかな口調で、お話して下さった。
私は、その時、自分の命が、自分のものであって、自分のものではないことを悟ったような気持ちがした。それからも、紆余曲折しながら、いろいろな辛い思いをして、もう、本当に死んでしまいたいと思って、海の波止場で、身を投げようとしたこともあった。
こんなことを言うことは、本当にお恥ずかしいことであるが、その時、私は、本当に辛かった。だから、自殺される方を、決して責める気持ちにはならない。ただ、唯一、私がその時、死を思いとどまったのは、何時間も波止場で、横たわって、生死を彷徨っていた時に、子供達の声が、突然、耳に聞こえて来たのだ。
私は、その時、はっとして、「自分は、こんなことをしている場合ではない。私の紙芝居を観てくれる子供達が、待ってくれているのだ。」そう思い返し、すっくと、起き上がり、無事に家路に着いた。
だから、こんな私みたいな、ノー天気な人間でも、辛い時に、ふと、死神がとりつくことがある。だから、この女子中学生が、何故、死を選んだのか、そこまでは気持ちが、判らないが、少なくとも、これだけは言える。
自分の命は、自分だけのものではない。神様から授かった大切な、たった一つしかない、かけがえのないものである。生きていることが、死ぬより辛いと思うことが、誰しもあるだろうが、あなたが死んだら、あなたを産み、育んでくださったお母さん、お父さんは、どんなに辛い思いをするでしょう。あなたの周りの人々が、生涯、その深い傷を背負って、これから生きていかなければならないのです。
偉そうなことばかり申しましたが、私も、一度ならず、二度も三度も、死にたいと思ったことが、何度かありました。でも、そんな私を、死神から引き離してくれたのは、自分と向き合うことが出来たからなのかもしれません。もちろん、家族や周りの方々の温かい思い遣りが、在ったからです。
こんな私の話なんか、なんの役にも立たないかもしれませんが、私は、毎年、自殺者が、十年以上も、3万人を越え、あたら、将来の在る若い命が消えてしまうことが、本当に辛くて悲しいのです。勿論、高齢者の方の自殺も後を断たないことを、憂いております。
今、本当に辛くて、辛くて、死を選ぼうと思われている方がおられたら、どうか、他の選択肢はないものか、考え、自分の悩みを聴いてくれる人が、周りになかったら、「命の電話」というところで、24時間、あなたの話を聴いてくださいます。
死ぬことは、一瞬の苦しみ、痛みですけれど、あなたを愛する人々は、死ぬまで、その十字架を背負っていかなければならないことを、どうか、忘れないでいてください。自分も死のうとした人間が、こんな生意気なことを申しまして、本当に申し訳ありません。
「照れる日も在れば、雨の日も在る」~人生一度~
byみかん
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