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みかん淡路人形浄瑠璃を観る            2010年3/9

凄まじい荒天の中、母と私は、淡路島に在る、「淡路人形浄瑠璃館」で、どうしても、人形浄瑠璃の「傾城阿波鳴門」の巡礼歌の段を観たかったので、一番前の席で、このお芝居を鑑賞させて戴いた。

何ゆえ、この人形浄瑠璃のこの演目のこの「巡礼歌の段」かと尋ねられたら、(誰も聞いてへんけど)昔、母が、演劇少女だった頃、このお芝居を女学校に行っていた時に、することになったそうだ。

所が、初めは、母が巡礼おつるの母親の、おゆみの役をすることになっていたのだそうだが、おつる役になる人が、自分はどうしても、おゆみの役を演じたいと言って、譲らなかったのだそうだ。

人のええ母は、おゆみの役をその人に譲り、母は、おつるの役を演じたという、曰くつきのお芝居で、何時も、その話を母から聴かされていた私は、そのお芝居を、是非、母と一緒に観たいと想っていた。(思い込んだら、試練の道を~ちがうがな・・・)

私は、このお芝居の内容は、大体、母に聴いて知っていたが、いや、実際に観ると聴くとでは、こうも違うのかと、改めて驚いた。おつるは、最初から、おゆみのことを自分の母親であると知って、おゆみに逢いに行ったのだとということが解り、このお芝居はただの母子の情愛を表現しただけの内容ではなく、人間は、どう仕様もない現実と向き合って生きていくのだが、最後に、諦めて出て行くおつるを追いかけるおゆみの姿こそ、母というよりも、人間としての勇気(たとえ、我が子に災難がふりかかろうとも、親子を名のること)を描いた、美しい作品であることを実感した。

何時の間にか、私の横に座っていた母が、もう、60年以上も昔に覚えた、おつるの台詞を、そっくりそのまま声を出して言っているのに驚いた。母は、その時本当に、おつるになっていたのだろう。

お芝居の後に、舞台の背景が、襖を開ける様に、次々と日本の色とりどりの美しい絵が描かれて、変化していくのは、誠に圧巻であった。私は、「これも、紙芝居のルーツの一つかもしれん。」と思った。江戸時代の末期から、覗きからくりという、寄席芸が生まれたが、丁度、その背景の変化は、まるで、覗きからくりの穴の中から観た、場面の転換の変化を楽しむ要素を取り入れているように、思えたからだ。

お芝居が終わって、母は、とても喜んで、「昔と少しも台詞が変わっていない!」と感動した。さもあろう、伝統芸能と云うものは、こうして、人から人に、脈々と伝わってきて、今、現代、こうして、私達が、そのお芝居を楽しむことが出来るのだ。

私は、伝えていくことの尊さと、伝統の芸能文化の奥深さを改めて、この人形浄瑠璃のお芝居を観ることで、教えられた。「紙芝居の学びも、まだまだこれからやなあ」と、改めて、自分の分を思い知らされたが、そのことの気づかせてもらい、淡路人形浄瑠璃を観劇をすることで、感激したみかんであった。さぶ~外はどしゃぶりの雨やんかいさ!

                byみかん

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