どないしてん!?大阪人 2010年3月30日
桜の花も綻び、ようやく春が訪れようとしている、今日この頃、偶然かどうかは、定かではないけど、大阪で、悲惨な事件や事故が起きている。
スイミングスクールのバスの運転手さんが、子供達を乗せて走行中に、急に苦しまれて、バスが壁にぶつかり、炎上したり、公立高校の教頭先生が、大麻を所持して、捕まったり、火葬場の職員が、火葬費の差額を不正に着服したり、心づけのお金をもらっていたり、大阪市営の地下鉄が、トラブルで、二度も続いて、通勤時間に運休して、(うちも、谷町線がストップして、なんぎしたわ。)本日、鶴見緑地線の運休の原因説明のお詫びの会見があった。
他の府県の方から見ると、なんや、大阪て、お金にきたなくて、訳のわからん人が一杯居て、住みにくい街みたいに思われるのが、一番辛い。せやけど、大阪人として、ここは、一つ、みなはん、襟を糺して、考えなあかん、踏ん張り処でっせ。
考えたら、大阪の名物て、たこ焼きと、カニ道楽と、新世界くらいしか、思いつかん人が、ぎょうさんおられるみたいです。せやけど、私から言わしてもろうたら、大阪の一番自慢出来ることは、大阪の「人間」そのものだと思うのです。
確かに、今は、大阪に集中して、大変な出来事が、ぎょうさん起きているようです。だから、これは、大阪人の一つの試練ですわ。橋下知事も平松市長も、うちら大阪に住むみんなが、試されているんです。
昔から、大阪は、上方と言われ、上は、つまり、京の都や奈良の都を指すのでしょう。上の方やから、上方とは、よう言うたものです。うちら、上方の人間は、一番、人間くさい人間が集まっているようで、どうしても、本音でものごとを捉え、合理的にものごとを考えるから、計算高いみたいに思われますけど、何より、「情」というものを大切にする、風土でした。
せやけど、現代は、何故か、変に凝り固まった人間が増えて来て、権利や主張ばっかりを重視して、人様を思い遣るという心が無くなって来たのも事実です。
だからこそ、先日の虐待然り、バス事故然り、教頭の大麻所持然り、火葬場の職員の不正然り、地下鉄の運休然り、みんな、共通していることがあります。それは、人間を大切に思わないくなって来たことです。
効率や、成績や、お金に執着し過ぎて、人と人との温かい、ぬくもりの在る触れあいが、無くなって来たから、こんな事故や事件が起きるうんとちがいまっか?大阪人は、結構、デリカシーが無さそうで、ナイーブにでけてるさかい、その影響を受け易いのかもしれまへんなあ。自分をごまかすことがでけへん。実に、自分に正直な人間が多いので、その打撃をモロに受けてしまうのでしょう。
うちは、何も、大阪人の弁護をするのではありまへん。ただ、大阪人の一人として、これが、氷山の一角で、このような現象が、全国ネットで起きることを、危惧しているのです。
事件や事故が起きて、大切なことは、そのような悲惨な事件や、事故や、醜い不正が二度と起きないようにする為の、問題解決の能力です。マニュアルや、専門家に任せるのではなく、もっと根本的な、人を大切にするという、基本に立ち返ることが、重要やと、うちは思います。
生意気なことばかり、申しましたけど、何が言いたいかというと、今の時代で一番忘れ去られている、大切なことて、人間には、心があるということだということを、うちらは、今、一度、考えることが必要やということです。生身の人間やからこそ、本当に困ったり、しんどかったら、助けてもらう勇気と、困っている人に手を差し延べる優しさのゆとりを、私達は、大阪人に限らず、取り戻す時が来たのやと、うちは、最近、とみに想うのです。
byみかん
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