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2010年3月

どないしてん!?大阪人             2010年3月30日

桜の花も綻び、ようやく春が訪れようとしている、今日この頃、偶然かどうかは、定かではないけど、大阪で、悲惨な事件や事故が起きている。

スイミングスクールのバスの運転手さんが、子供達を乗せて走行中に、急に苦しまれて、バスが壁にぶつかり、炎上したり、公立高校の教頭先生が、大麻を所持して、捕まったり、火葬場の職員が、火葬費の差額を不正に着服したり、心づけのお金をもらっていたり、大阪市営の地下鉄が、トラブルで、二度も続いて、通勤時間に運休して、(うちも、谷町線がストップして、なんぎしたわ。)本日、鶴見緑地線の運休の原因説明のお詫びの会見があった。

他の府県の方から見ると、なんや、大阪て、お金にきたなくて、訳のわからん人が一杯居て、住みにくい街みたいに思われるのが、一番辛い。せやけど、大阪人として、ここは、一つ、みなはん、襟を糺して、考えなあかん、踏ん張り処でっせ。

考えたら、大阪の名物て、たこ焼きと、カニ道楽と、新世界くらいしか、思いつかん人が、ぎょうさんおられるみたいです。せやけど、私から言わしてもろうたら、大阪の一番自慢出来ることは、大阪の「人間」そのものだと思うのです。

確かに、今は、大阪に集中して、大変な出来事が、ぎょうさん起きているようです。だから、これは、大阪人の一つの試練ですわ。橋下知事も平松市長も、うちら大阪に住むみんなが、試されているんです。

昔から、大阪は、上方と言われ、上は、つまり、京の都や奈良の都を指すのでしょう。上の方やから、上方とは、よう言うたものです。うちら、上方の人間は、一番、人間くさい人間が集まっているようで、どうしても、本音でものごとを捉え、合理的にものごとを考えるから、計算高いみたいに思われますけど、何より、「情」というものを大切にする、風土でした。

せやけど、現代は、何故か、変に凝り固まった人間が増えて来て、権利や主張ばっかりを重視して、人様を思い遣るという心が無くなって来たのも事実です。

だからこそ、先日の虐待然り、バス事故然り、教頭の大麻所持然り、火葬場の職員の不正然り、地下鉄の運休然り、みんな、共通していることがあります。それは、人間を大切に思わないくなって来たことです。

効率や、成績や、お金に執着し過ぎて、人と人との温かい、ぬくもりの在る触れあいが、無くなって来たから、こんな事故や事件が起きるうんとちがいまっか?大阪人は、結構、デリカシーが無さそうで、ナイーブにでけてるさかい、その影響を受け易いのかもしれまへんなあ。自分をごまかすことがでけへん実に、自分に正直な人間が多いので、その打撃をモロに受けてしまうのでしょう。

うちは、何も、大阪人の弁護をするのではありまへん。ただ、大阪人の一人として、これが、氷山の一角で、このような現象が、全国ネットで起きることを、危惧しているのです。

事件や事故が起きて、大切なことは、そのような悲惨な事件や、事故や、醜い不正が二度と起きないようにする為の、問題解決の能力です。マニュアルや、専門家に任せるのではなく、もっと根本的な、人を大切にするという、基本に立ち返ることが、重要やと、うちは思います。

生意気なことばかり、申しましたけど、何が言いたいかというと、今の時代で一番忘れ去られている、大切なことて、人間には、心があるということだということを、うちらは、今、一度、考えることが必要やということです。生身の人間やからこそ、本当に困ったり、しんどかったら、助けてもらう勇気と、困っている人に手を差し延べる優しさのゆとりを、私達は、大阪人に限らず、取り戻す時が来たのやと、うちは、最近、とみに想うのです。

                 byみかん

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門真市の虐待を憂う              2010年3月29日 

また、大阪の門真市で、虐待されて、尊い2歳の子の命が奪われた。もう、これ以上、掛け替えのない命を粗末に扱うな!子供達の人権を尊重しよう。子供は、決して親の私有物ではないのだ。

一個の人格を持った、立派な人間として、扱われなければならない。命を失うまで、子供に暴力を振るうのは、犬畜生にも劣る行為だ。

ここまでに、至る迄に、なんとか、虐待を発覚できなかったのか?どうにかして、命を救えなかったのか?本当に悔やまれる。

自分の無力さを、鑑みて、ここに、、ドロシー・ロー・ノルトが著した「子どもが育つ魔法の言葉」(PHP研究所)の一節を紹介させて戴きたい。

   子どもはみんな、違うんだ

覚えておこう

子どもは、成長の設計図を持っている

子どもは、その子の速さで伸びる

子どもは、その子の時間で育つ

子どもは、その子の図案で実る

子どもは、その子の歩はばで学ぶ

子どもは、その子の資質でいきる

子どもは、その子の頭で考える

子どもは、その子自身の人生の約束を果たす

子どもは、みんな、違うんだ

子どもを励まそう

自分を大事にするように

人との違いを生かすように

全力でぶつかるように

良い実をむすぶように

愛の心を感じるように

この世の違いを認められるように

命を敬うように

確かな未来をつかむように

忘れないでほしい

その子は、この世にたった一人しかいないのだ

子どもはちがう

一人ひとり、みんな違う

そんな子どもがいるから

この世はすばらしい

違いがうまれる

私は、虐待が、もう二度と再び、起こらないためには、その子の命は、この世でたった一つの尊いもので、あって、その命は、たとえ、自分が親であっても、継母であっても、パパ父であっても、それを脅かしたり、犯したりすることは、決して許されないことであると思います。

そして、何故虐待が、起きるのか?何故、亡くなってしまうまで、発覚出来ないのか?もっと、ここまでになるまで、どうして、防ぐことが出来なかったのかを、社会全体で、考えることが大切だと、私は思うのです。

家庭の孤立化、虐待の連鎖、教育の荒廃、格差社会、等など、いろいろ原因があろうかと思います。抜本的な解決策を、なんとか、みんなで考え、一日でも早く、虐待のない社会になって欲しいと願ってやみません。子供さんは、地域の宝です。未来そのものです。皆さんで、一緒に考えましょう。どうすれば良いのか・・・

                 byみかん

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紙芝居「セロひきのゴーシュ」          2010年3月27日

今日は、小春日和のとてもいいお天気に恵まれ、田辺サロンで紙芝居教室を開かせて戴いた。私は、ロシアの昔話の「黒いパン」を実演させて戴いた。

この紙芝居は、近くのお寺の文庫に在る物をお借りしているのだが、子供さんが、選んでくださった、本当の信心や博愛とは、どのような、立派な福祉施設を建てることよりも、本当に空腹の人々に黒いパンを分けることの、慈悲の心の大切さを教えてもらえる、大人が観ても、素晴らしい作品である。

生徒さんの一人が、宮澤賢治の作品「セロひきのゴーシュ」の紙芝居を演じられた。この作品にも、本物の音楽や芸術を極めるには、まず、ドレミを学ぶこと、つまり、基礎をしっかりと身につけないといけないということが大事なのだということを、教えてくれる。そしてまた、どんな芸術でも(紙芝居にも言えることだが)心がなくては、人々の気持ちを感動させることが出来ないのだ。

宮澤賢治は、こんな凄い大切なメッセージを、百年近く前から私達に伝えようとしていたのだ。本当に、この人の感性は、時代の先端を駆け抜けていくように思われる。

このお話は、私が幼稚園の時、母が、毎月、一冊ずつ買ってくれた童話の中に載っていて、小学校2年生の時、学校の国語の授業で、この作品を学んだので、その本を学校に持って行ったのを、覚えている。

でも、気の弱かった私は、結局、その本をみんなに見てもらえなかって、黙って持って帰ったと、記憶する。

そんな思い出の作品を、今、紙芝居という形で再会し、実演してもらって、改めて、この作品の素晴らしさを認識し、宮澤賢治ワールドの斬新さと、紙芝居の奥深さを、また一段と知らされ、自分自身の勉強の方向性や、常に、原点に立ち返ることの重要性を実感した、みかんであった。

春の便りが聞こえたら、もう、ゴールデンウィークのイベントの準備に精を出し、多くの方々に、紙芝居を演じることと、観ることの醍醐味を実感して戴くべく、コツコツと励んでいこうと想うのであった。ああ、孫ちゃんたち、ごめん!ばっちゃんが、紙芝居バカで・・・

             byみかん

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マイスイートハニードウターのこと        2010年3月26日

私は、長女と話す時に、おちょけて、「お帰り!マイスイートハニードウター!」と呼んでいる。それが、どないしてん!という、突っ込んで来られる方も、おられるかもしれないが、私にとって、彼女は、大切な娘であり、そして、「スイートハニー」という、言葉を付け沿え添えることで、何故か、自分の心が満たされるので、ご勘弁いただきたい。

そんな、彼女も、今、人生の岐路に立ち、いろいろと大変なようだが、彼女に対しては、うちは、口出し、手出し、しないつもりでいる。(なかなか難しいけんど)

彼女も、もう、27歳の立派な?大人の女性であるから、自分の人生は、自分で選択して、歩んで行ってくれたら、良いと想っている。

誰かの為に、こうなったとか、あの時、ああしておけば良かったと、人様に責任押し付けたり、過去のことを引き摺ることのない、前向きな人生を歩んでいって欲しいとおもう。

マイスイートハニードウターは、彼女なりに、自分の人生設計を考えているのだと思っているのだが、彼女の願いは、お金に困らない生活がしたいそうだ。

ちょっと、マイナー人生設計だとは、思うけれども、うちは、彼女の歳だって時は、もう、二人の娘の母親で、無我夢中で子育て真っ最中の時期だったので、何も考えていなかったから、「まっ、いいか」

マイスイートハ二ードウターよ、暫くは、ゆっくりと休んで、自分のこれからの人生る有について、考えるのもいいし、いろんな本を読んだり、映画を観たりして、自分探しをしてみるのも一考かと、おかんは思う。

人生に於いて、休息や、立ち止まることも、必要なのかもしれない。突っ走ることしか知らない、おかんが言うのもおかしいが、まあ、ゆっくりと、ぼちぼち、次の仕事を探しなはれ。

働くことの出来る有り難さを発見出来たことだけでも、大きな意味があるさかい・・・

              byみかん

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まだ生まれぬ我が孫へ                2010年3月23日

もうすぐ産まれて来る我が孫へ

貴女が生まれて来るこの時代が、こんなに大変な時代になってしまい、本当に、私は時代を生きる成人として、とても、申し訳ない気持ちです。

私、一人の力では、どうにもならないけれど、貴女が、青春を謳歌する、乙女の年頃になる頃には、絶対、希望溢れる、生き生きとした、明るい社会になれるように、今から努めます。だから、どうぞ、安心して、この世に生を受けて下さいね。

貴女だけではなく、これからの時代を生きる、全ての人々が、自分の将来に夢を持ち続け、それに向かって、突き進んでいくことが出来るように、私は、これからも、紙芝居の舞台を持って、走り続けます。

どんなに、絶望することがあっても、生きる力を育んでいく社会を、みんなでどうすれば築くことができるのか、考えましょう。

どんなに挫折することがあっても、気持ちを切り換えて、立ち直れるまで、自分と向き合える気持ちを大切に出来るのか、みんなで考えましょう。

自分を大切に想うことで、相手のことも大切に想い遣る心が、みんなに備わる環境を整えていきましょう。みんなで協力して。

まだ生まれぬ我が孫へ、貴女が生まれる頃には、きっと、桜の花が、とても綺麗に咲くことでしょう。

そんな桜を愛でながら、貴女の寝顔を見ることを、私は、喜びとするでしょう。

貴女のお姉ちゃんと一緒に、私は、貴女の安らかな寝顔を拝見しいしい、お姉ちゃんと貴女の未来を夢見て、胸がキュンと鳴るかもしれませんね。

今は、お母さんのお腹の中で、守られているけれど、この世に生まれて来た、その瞬間から、貴女の人生が、始まるのです。

貴女の人生が、豊かで、生まれて来て良かったと思える社会という道場を、共に歩みましょうね。

おばあちゃんは、ちょっと、慌て物で、不器用で、お人よしだけれど、貴女が、人生の選択に悩んだ時は、うんと、貴女のお話を聴くことが出来るように、気力と体力と優しさを備えられるようにしておきますよ。

こんな時代だからこそ、みんな、精一杯生きているのだけれど、何故か、空回りしている世の中を、もうちっと、しっかりと大地に根づく生き方が出来るように、耕していきながら、ばっちゃんも、紙芝居で、いろんな人と出会い、楽しく生かされていこうと想います。

お父さんと、お母さんを大切にしてあげてくださいね。貴女の大切な、大切な親だから・・・:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

                 byみかん

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紙芝居の世界へようこそ!            2010年3月22日

このブログをいつも御覧戴き、ありがとうございます。私は、紙芝居の世界にどっぷりと浸かってしまった人間です。だから、紙芝居と出逢ってから、いろんなことが起こりました。

どんなことでもそうですが、好きはことを、とことん突き進んでいると、いろんな不思議な化学反応を起こすのです。紙芝居も然り。

御存知のように、紙芝居は、日本で生まれた素晴らしい文化です。その文化の歴史を紐解き、また、いろいろな作品と出あわせて戴いたお陰で、自分では、考えも及ばない出来事が巻き起こるのです。

それは、人との不思議な出逢いと別れ。生死をさまよう体験。人間の素晴らしい叡智と愚かさの気づき。生意気なようですが、どんな芸術でもそうですが、私は、紙芝居の世界に入り込んで、いろいろな出来事と遭遇し、また、これからも、体験するでしょう。

それは、自分が生まれてきたことの意味を見い出し、その証を刻んでいく、ほんのまだ入り口に立っているだけかもしれないし、自分が、これから、後、どれだけ生かされるかは、解らないけれど、少なくとも、自分が生きていて良かった、人様に助けられながら、でも、紙芝居という芸術を普及させて戴くことで、世の中が少しで生き易くなることのお役に立ち、次の世代の方々に引き継いで戴けたら、こんな嬉しいこは、ありません。

昨日も、難波市民学習センターで、紙芝居教室を開かせて戴きました。正直、紙芝居を学んでくださる方が、おられるだけで、本当に有り難いのです。そして、皆さんが、本当に真剣に紙芝居に向き合っておられることが、私には、何よりの喜びです。

紙芝居を謗らず、だけど、楽しく、これからも、紙芝居の学びを皆様と共に、歩んで行けたら、幸いです。私自身も、まだまだ修業中の身ですが、紙芝居を一つの学問として、理論と実践を土台に、現代社会に必要不可欠なものであると信じ、模索しながら、動いていきたいと想います。

現代人に一番大切な、実体験とコミュニケーション力を提供する紙芝居は、今、一番、旧くて、新しい、メディアなのです!

                   byみかん

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今、枚方パークが人気!        2010年3月20日

近所のスーパーフレストで、カウンターにひらかたパークの、割引券が、置いてあった。

よく見ると、私の大好きな、機関車トーマスのイベントが、どうやらこの遊園地で、催されるらしい。私は、その割引券を手にすると、何故か、むしょうに、ひらかたパークに行ってみたくなった。

最近、関西の遊園地が、次々と閉演され、今、頑張っているのは、私の知る限りでは、枚方パークと、岬公園くらいか?他にも、在ると思うのだが、名前が思いつかない。

職場で、その割引券の話をすると、なんでも、今、結構、ひらかたパークが人気が有って、若いカップルも、よく見かけるのだそうだ。

これは、大阪には、USJがあるが、そこそこの入場料や、アトラクションにそこそこのお金が要るし、正直、ディズニーランドみたいに、そんなに何回も足を運ぶ程の、規模もない。地方のテーマパークも、ことごとく、無くなっていき、今、また、この手軽に日帰りで行ける、遊園地が、スピットを浴び始めたのかも知れない。

エキスポランド、あやめ池遊園、狭山遊園、玉手山、宝塚ファミリーランド、等など、うちらが小さい頃に、連れて行ってもった遊園地は、みんななくなってしまった。

だけど、おっとどっこい、京阪電鉄さんは、企業努力されて、機関車トーマスの電車の車両を走らせたり、家族だけでなく、若い人にも、足を運んでもらえるような、企画を企て、なんとしてでも、ひらかたパークの存続に、力を入れておられるのが判る。

「おけいはん」の京阪電鉄は、京都の探索などにも、力を入れておられるのが、駅のポスターや、パンフレットを見ても、よく、判る。

がんばれ、ひらかたパーク!遊園地は、みんなの憩いの場。触れあいの居場所だと、うちは想う。テーマパークにない、遊園地の持ち味は、今、こんな忙しない世の中だからこそ、遊園地に行って、ゆっくりと、休日を満喫して、楽しい思い出つくりに寄与出来れば、この息苦しい現代社会も、ちったあ、風通しが良くなるのではないかと、遊園地が、元気になってくれているのが、嬉しくなって来る、みかんであった。

                   byみかん

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ぼちぼちいこか~               2010年3月19日

金曜日、久しぶりの休日や。せやけど、やらないといけない雑用が山ほどある。でも、この身は一つやさかい、出来ることは、一つずつしかでけへん。=と、開き直ることもある。

まずは、自分の身体のメンテナス。これが、一番大切!そう想い、最近は真面目に、鍼灸院に通っている。この鍼や、やいとが、結構、うちの身体に合っているようで、腕の良い、女性の先生に、いつも、うちの、このコチコチになっている、身体を、必殺の鍼で、打ち込んでもらう。

だから、最近は、血のめぐりも、だいぶ良くなって来たのか、かちんこちんやった頭の血流も良くなってきて、柔軟な発想を産むところまでは、いかないが、初対面の方とも、なんとか、会話が途切れないように、出来るようになって来た今日この頃である。

とにかく、今日しておくことは、と、考えて、その6割くらい、出来たら良しとしておくように、気持ちを切り換えるようにしている。今日は、紙芝居教室の田辺サロンの場所を提供してくださっている、すずき住建の社長さんとお会い出来て、良かったと思っている。

紙芝居に理解を示して下さり、田辺事務所を教室に提供してくださって、もう、丸二年になる。地域に根差して、活動させて戴きたいと想い、なんとか、細々と続けてこられたのも、社長さんのご理解の賜物であると、感謝している。

その、紙芝居教室のチラシの印刷も、今日、やっと、阿倍野市民学習センターで(ここが、一番印刷代安いの)済ませ、早速、阿倍野市民学習センターにも、刷りたてほやほやのチラシを置かせて戴いた。

後、銀行と、区役所と、図書館へ、紙芝居を返却しに行きたかったけど、今日は、これで良しとしよう。しっかり、晩御飯のお買い物もして、よう、やった。お休みの日やけど、それなりに、ぼちぼちと、一歩前に進めたやんかいさ。みかんはん!あんた、明日の朝、早いねんやろ。もう、お風呂にゆっくり浸かって、ぐっすりと、おやすみやす。今日も自分で、自分を労わってあげることが出来たことに、満足する、みかんであった。

                byみかん

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温故知新                   2010年3月18日

今の形式の紙芝居は、今から、凡そ80年程前の1930年に、東京の下町で、当時の世界大恐慌と、関東大震災に拠る、多くの失業者の方々の日銭を稼ぐ為の飴や、駄菓子を子供さん達に売る道具として、偶然に生まれたのが、街頭紙芝居です。

人間は極限まで困窮すると、想像もつかない知恵やアイデアが生まれるのです。紙芝居も、それまでは、今のぺープサートのような紙の人形芝居をしていた人達が、警察の見回りが来ると言うことで、なんとしてでも、食べていかなければならないと、考え、考え、考えぬいたのが、ハガキ大の紙に絵を描いて、それを持って、町に出て、子供達の遊んでいる処で、であったら、見せて飴をうろう。警察が来たら、すぐに逃げられるという、まさに、どん底生活を強いられた人々が、自分達の持っている物を活かし、そして、新しい形式の物を生み出した、最たるものが、紙芝居なのです。

紙芝居という、場面を抜いて、差し込むという形式は、世界中のどこにもないそうで、外国の方が、紙芝居を初めて観ると、絶賛されるそうです。この「抜く」という概念が、外国の人の頭の中には無く、前の画面を抜くことで、次の画面が見えて来るという形式は、日本の建築様式で、襖や、障子、雨戸などの、引き戸文化から来ているのではないかと云うことです。

いずれにしても、紙芝居は、日本人の叡智の結晶と言っても、過言ではないと、自負しております。この、世界に誇る紙芝居を、私達日本人の手で、現代社会にも受け入れてもらえる、素晴らしい文化であることを信じて、新しい紙芝居の時代の幕開けを図らせて戴きたいと考え、私は今日も、紙芝居と向き合い、稽古に励んで参りたいと想っております。

何卒、宜しくお願いもうしあげます!ありがとうございます。

~今月の紙芝居教室の日程~

3月21日(日)  13時30分~16時30分  大阪市立難波市民学習センター

           第3会議室 「紙芝居の歴史を紐解く」(実演紙芝居ご持参下さい)

3月27日(土)   14時~16時   田辺サロン(地下鉄谷町線田辺駅東和病院向え)

            すずき住建様田辺スタジオ (実演紙芝居ご持参下さい)

受講料は、いずれも、一回 千円です。受講希望の方は、当日、来館下さるか、下記の電話に、必ず、ご連絡先番号をお知らせ下さるように、お願いいたします。

お問い合わせ、お申し込み先 06-6621-2467(FAXも) 「紙芝居大好きの会」

皆様と共に、紙芝居のことを、楽しく、体系的な理論と実践を礎に、学びたいと想います☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:*

                  byみかん

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みみずだっておけらだってあめんぼだって~    2010年3/16

「手のひらを太陽に」という歌を知ってますか?「ぼくらは、みんな生きている 生きているから歌うんだ~」という歌詞で始まるこの歌を唄うと、とっても元気が出ますよね。

この地球上の生き物は、みんな、生きています。人間はもとより、「みみずだって おけらだって ~あめんぼだって、みんなみんな生きているんだ、友だちなんだ ~」と言う、この最後の、どんな小さな生き物も、生きていて、そして、友だちだという、こんな考え方が出来る、この歌の発想が、素晴らしいなあと、私は思います。

だって、この地球上に生きている人間なんて、自分達の星だ、世界だと考えているけど、果たして、それは、ほかの生物も、そう思っているのでしょうか?と、言うか、本当に、私達人間が、この地球を支配しているのかと言うと、それも、疑問に思います。

だから、他の生物の命を戴いて、私達人間は、生かされている、生きさせて戴いているという、謙虚な気持ちにならないと、とんでもないことが、起きると危惧しているのは、私だけでしょうか?

うちらは、人間は、友だちの命をもらって、生かされているのだから、友だちの分まで、大切に生きていくことが、友だちに対する、友情の証なんやと思うんです。

せやから、今、人間は、ものごっつう大変な時期に差しかかっているのやとおもいます。うちらは、みんな、生きている。生きているから、しんどいことも、腹の立つことも、ストレスたまることも、あるんやさかい、そこのところ、「ああ、生かしてもろてるからなんやなあ~」なんて、仙人みたいに、悟りなはれと、言うているのではおまへん。

どんな出来事や、人間関係でも、みんな、顔が違うみたいに、いろんな見方があるうんやなあと、ちょっと、頭を柔らかくして考えたり、時には、立ち止まって、自分自身や友だちの息使いを感じることも必要なんとちゃうのかなあと、おもいますねん。

うちら、現代人は、ちょっと、急ぎすぎた。時間に追われ、情報に翻弄され、人間関係に気疲れして、疲弊しているみたいでんなあ。ちょっと、休憩しても、よろしいのとちゃいまっか?そんな、偉そうなこと言うている私自身も、なんや、この頃、時計を見ることが多くなり、手帳を開く回数も頻繁で、融通のきかん考え方することが増えてきたと、反省している、おさるさんのようなもんです。かたつむりや、かめさんと、もっとお友だちに、なりたいけど、今という時間を精一杯、生かされていることも事実でんなあ。いつものことながら、まとまりのない、作文になりましたです。ハイ

               byみかん

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TUNAMIは恐ろしい!            2010年3月14日

皆さん、最近、地震がまた、多く発生していると思いませんか?昔から、この世で一番恐いものは「地震、カミナリ、火事、おやじ」と、言われていましたが、本当ですな。

火事もおやじも恐いけど、一番恐いのは、やっぱり、天災でんなあ。特に地震は、予知でけへんで、急にやって来ます。せやから、逃げられへん。そして、地震が起きた後、何より恐いのが、そう、津波です。

地震と津波は、ワンセットという、昔からの教えを、私達は忘れ勝ちになりますが、地震大国、日本に住んでいたら、是非、このことは、忘れないようにしたいものです。

そして、もし、地震が起きて、津波が来ることを想定したら、どうすれば良いかと申しますと、高い所に避難してください。そうすれば、助かる確率が高くなります。

江戸時代の終わり頃、本当にあった話で、国語の教科書にも載っていた逸話「いなむらの火」という物語があります。

和歌山県の海辺の村で、村人達が、稲の豊年を祝う祭りの支度をしているのを、小高い山の上で見守っていた、村の荘屋、浜口五兵衛が、いきなり地震に見舞われた。そして、海岸の沖の方を見て、驚いた。なんと、海の水が一面に、ずーっとひいていくのが見えたのだ。「津波が来る!」とっさに察した五兵衛は、村人達に知らせる為に、なんと、大切に実らせた稲の穂の束に、火を点けたのだ。

そして、村人達を自分が居る、山の上まで導き、津波から、400人の尊い命を救ったという、本当にあった話である。私達は、この昔の人の叡智から、津波だけではなく、本当の勇気というものを学んできたのであろう。

今日も、東北の福島県の沖合いで、地震があった。そして、まず、震度の震度が報道され、そして、津波が来るかどうかの予測を報じられた。

このように、私達は、地震の起きる、まるで、活火山の上で生活をしているようだというい気持ちを持ち、そして、海に囲まれた島国であるからして、地震が起これば、必ず、津波が来るかもしれないということに気をつけ、それに備える心構えが大切なのだ。

紙芝居でも「いなむらの火」と云う、作品が在る。この作品を、一人でも多くの方々に観て戴きたいと想う。この作品は、現代社会を生きる私達にとって、一番大切な日本人の心を教えてくれると私は、信じているのである。

                  byみかん

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皆さ~んお元気でっか?~            2010年3月13日

皆さ~ん、お元気でっか?~えっ?テンションがえらい高いけど、どなしたん?て、聴いてくださるんですか?おおきに。別に、理由はないんです。ただ、最近のコチコチ頭と、身体が、柔らかくなるように、昨日も、寝る前に、ストレッチを始めたと、申しました。

それで、今から始めるので、ちょっと、自分に気合をかけてあげたんです。すんません。しょうもないことで、テンションあげて・・・

私、今日の朝、通勤電車に乗ってて、初めて降りる駅、乗り越してしもうたんです。こんなこと、生まれて初めてで、「わっ!どないしょ。遅刻や。」と動揺したんです。ほんで、頭の中で、いろいろと、別のルート考えてたんですけど、やっぱり、「一駅だけやったらUターンした方が、一番早いわ。」という、結論に達し、次の駅を降りると、一目散に走って、階段を昇って、降りて、反対の元来た方向の電車に乗って、次の駅で降りたんです。そして、足早に、乗り換えの京阪電車の駅へ、急いで改札を抜けて、階段をまた、急いで下りたら、なんと、いつも乗っている急行に乗れたのです。

そこで、私は考えました。「人生も、こんな回り道の繰り返しを続けながら、私は、生きているんやろうなあ・・・」と、誰しも、失敗することは、数知れず在るけど、大切なのは、その失敗してから、どうするかということや。と。

特に、うちみたいに、不器用で、おんなじような失敗を繰り返しているような人間は、やっぱり、気がつくのが遅いのです。そんな自分やけど、まあ、自分のことが好きになれたから良かったと思てます。

そんなこんなで、今日も、無事に一日を過ごすことが出来たので、自分の身体を、うんと労わってあげるべく、今から、ストレッチしまっさ。

皆さんも、お元気で、ゆっくりと、休んでください。そして、明日も良い一日になったらいいすね!おやすみなさい。☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:*

             byみかん

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三つの棒を持とう              2010年3月12日

しかし、せやけど、なんでんなあ。あるお寺の掲示板に「若いときは、しんぼうと、びんぼうの2つの棒をしっかり持っておけ」という言葉がかかれてましたんや。

うちが、この言葉と出逢ってから、だいぶ経ちますけんど、まあ、歳は、若いとは言えまへんけど、びんぼうの棒は、在るのは、自信を持って言えまっけど、しんぼうの棒を持つことは、なかなかむずかしいでんなあ。

犬でも、歩けば棒に当たるのに(当たる意味が違うがな)、うちは、堪え性がないさかい、最近は、瞑想みたいな、神がかり的なことは、でけまへんけど、寝る前に、あんまり、身体が、カチンコチンで硬いさかい、ストレッチもどきと、深呼吸をして、心身のバランスを保つように努めてますねん。

まあ、三日坊主にならんように、まずは、一週間つづけられたら、自分でよくやったと、自信をつけて、もう少し、続けてみようと考えているのでおます。

しかし、なんでんなあ。最近、お陰様で、紙芝居の活動が、広がっていくことを、有り難く思っておる次第ですねんけど、やっぱり、無理はせんと、自分の身の丈におうた、地道な活動を継続させて戴くことで、紙芝居で、少しでも、楽しんで戴けたら、それだけで嬉しいでおます。

どんなことでも、継続していくことは、大変なエネルギーが必要ですが、全力疾走で走っていたら、ぶっ倒れてしまうので、「ぼちぼち登れ、富士の山、終着駅は始発駅、。始発駅は、終着駅。」この繰り返しを続けて行くことで、より良い、豊かな人生を過ごすことが出来、たくさんの、紙芝居の仲間の方や、支えて下さる方と共に、歩んでいけたら、うれしいでんなあ。

つならない、つぶやきを、ながながと、読んでくださって、ほんま、おおきに。今週の日曜日は、久しぶりに休むことが出来るので、長女と一緒に映画を観に行きたいと、思てます。

なんでも、どーしても欲しい、洋服が在るそうで、久しぶりに、息抜きさせてもらいます。

今日は、近所のスーパーで、いかなごを買って、釘煮を作りました。みんなで、分け分けして、家族と、来月、出産を控えている次女に、栄養を摂ってもろて、丈夫で、元気な孫が生まれることを願うております。

皆さんも、3月の節目の時を迎え、いろいろと、大変でしょうが、お身体に充分気をつけて、春になって、桜の花の下で、お花見を、みんで、楽しみたいでんなあ。

若い人も、人生の先輩も、子供達も、きぼうという棒を持てたら、嬉しいでんなあ。

                 byみかん

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再び「ええやんか音頭」             2010年3月11日

ええやんか、ええやんか、ちょっとくらい大目にみたり、漫画ばっかり読んでても。

ええやんか、ええやんか、ちょっとくらい待ったり~や、ご飯食べるの遅くても。

ええやんか、ええやんか、ちょっとくらい我慢したり、言うこときけへんでも、自分が産んだ子供やさかい。

ええやんか、ええやんか、ちょっとくらい笑ったり、どんなに怒られても、あんたはんのことが大好きやねんから。

ええやんか、ええやんか、細かいことは、気にせんと、泥だらけで汚い足は、一杯遊んだからでっしゃろ。

みんな、大人になったら、なんでわすれんねんやろ?自分が子供の時のきもち。

飼い犬や、飼い猫の気持ちは、解っても、我が子は、何故に自分の思うように、ならへんのか?

そうや、そうや、大人になっても、みんな自分も子供やったこと、全部、無かったことにするんやなあ。不思議やなあ。

せやから、ちょっとくらい、ええやんか、ええやんか、完璧にでけへんでもええやんか。

ええやんか、ええやんか、たまには、みんなで、あほなこと言い合って、冗談言うて、お腹抱えてわらいまひょ。

ええやんか、ええやんか、細かいことは、こだわらんと、ご陽気にまいりまへんか?みんなで、たのしく、突っ込みましょう。ボケましょう。

大阪人、二人そろたら、漫才師

ええかげんが、良いかげん

風呂かて、熱すぎたら、しんどいさかい、ほど良い温度でいきまひょか?

マニュアル通りでのうて、かまへんで。自分で、アドリブ考えて、自由闊達、大歓迎。

ええやんか、ええやんか、今日も一日、平和に過ごせた。ありがたや、ありがたや。

え~、再び、みかんの、「ええやんか音頭」でした。お粗末様でございました。

                 byみかん

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若者よ夢を抱こう!              2010年3月10日

クラーク博士の「少年よ大志を抱け!」という言葉は、とても有名だ。だが、この先行きの見えない不確かな、閉塞感に満ちた現代社会を生きる若者に、将来に夢を抱けと言うのは、酷な話なのだろうか。

私は、必ずしも、そうは思わない。少なくとも、日本は、今、平和な国で、戦争をしていない。不況で、格差社会が顕著ではあるが、食べ物は、スーパーや、コンビ二に行けば、殆どの人が、自分の食べたいと想う食品を買い、食べることが出来る。

では、何ゆえ、こんなに、暗い時代と言う風になってしまったのか?それは、先行きの見えない不安と、あまりにも情報が氾濫している落差の歪みと、人間関係の希薄化が、若い人達だけでなく、全ての人々に、未来に希望が持てなくしてしまっているのかもしれないと、私は考える。

だが、本当にそうなのか?夢を持っても、実現出来ない、そんな薄情な世の中なのか?報われたいと想う気持ちは、誰しも持っているが、それは、やはり、努力という種を蒔かないと、芽が出ない。

生意気なことをいわせてもらえるのであれば、今の若い人(全ての人ではないが)は、がんばることに疲れている。ネット社会や携帯メール関係等の、顔の見えない関係、つまり、昨日、NHKの番組で、偉い大学の先生がおっしゃっていた、誰だか顔の判らない「匿顔のコミュニケーション」と言うそうだが、そういう関係に疲れてしまい、ストレスを溜め込み、その関係を維持する為に、膨大なエネルギーを費やしてしまって、将来のことまで考える気持ちの余裕がなくなってしまっているのかもしれない。

なんか、話が小難しゅうなりましたが、うちも、若い時は、やっぱり、自分に自信がなく(今はひらきなおってるけど)劣等感の塊みたいな所があって、自分は勉強も、運動も、人間関係も上手く出来ない、何をやっても駄目な人間なのだと、落ち込んで、悩んでいました。

だけど、何故か、子供さんが好きで、演劇が観るのと演じるのが好きで、毎日、演劇部で活動しながら、2時間もかけて電車通学していて、結構、学生生活を楽しんでいたように、思います。

学校の先生になりたいと想って、勉強したけど、思い通りになれず、でも、遠回りやけど、今、学校の先生ではないけど、たくさんの子供さん達と、紙芝居や仕事を通して、触れあうことが出来る自分自身が居ることを有りがたく想うのです。

何が言いたいかと言うと、人生は、自分の思う通りにいかない事も、たくさんあるけど、「素晴らしい!」と、感動出来ることも、たくさんあるのだから、若い時に、大いに夢を持ち、そして、決して、自分独りではないのだと、希望を持って下さい。明日の日本を築いていくのは、あなた方自身なのですから。

決して、不満や、思い通りにならないことを、社会や政治や他人のせいだと考えず、自分と向き合うことを忘れないで下さい。これは、今、私自身にも言い聞かせていることです。

共に、歩みましょう。共に、喜びましょう。共に、泣きましょう。共に、勇気を持って、生きて行きましょう。あなたは、決して、独りぼっちではなく、この世で唯一、一人の掛け替えのない存在なのですから・・・

                 byみかん

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みかん淡路人形浄瑠璃を観る            2010年3/9

凄まじい荒天の中、母と私は、淡路島に在る、「淡路人形浄瑠璃館」で、どうしても、人形浄瑠璃の「傾城阿波鳴門」の巡礼歌の段を観たかったので、一番前の席で、このお芝居を鑑賞させて戴いた。

何ゆえ、この人形浄瑠璃のこの演目のこの「巡礼歌の段」かと尋ねられたら、(誰も聞いてへんけど)昔、母が、演劇少女だった頃、このお芝居を女学校に行っていた時に、することになったそうだ。

所が、初めは、母が巡礼おつるの母親の、おゆみの役をすることになっていたのだそうだが、おつる役になる人が、自分はどうしても、おゆみの役を演じたいと言って、譲らなかったのだそうだ。

人のええ母は、おゆみの役をその人に譲り、母は、おつるの役を演じたという、曰くつきのお芝居で、何時も、その話を母から聴かされていた私は、そのお芝居を、是非、母と一緒に観たいと想っていた。(思い込んだら、試練の道を~ちがうがな・・・)

私は、このお芝居の内容は、大体、母に聴いて知っていたが、いや、実際に観ると聴くとでは、こうも違うのかと、改めて驚いた。おつるは、最初から、おゆみのことを自分の母親であると知って、おゆみに逢いに行ったのだとということが解り、このお芝居はただの母子の情愛を表現しただけの内容ではなく、人間は、どう仕様もない現実と向き合って生きていくのだが、最後に、諦めて出て行くおつるを追いかけるおゆみの姿こそ、母というよりも、人間としての勇気(たとえ、我が子に災難がふりかかろうとも、親子を名のること)を描いた、美しい作品であることを実感した。

何時の間にか、私の横に座っていた母が、もう、60年以上も昔に覚えた、おつるの台詞を、そっくりそのまま声を出して言っているのに驚いた。母は、その時本当に、おつるになっていたのだろう。

お芝居の後に、舞台の背景が、襖を開ける様に、次々と日本の色とりどりの美しい絵が描かれて、変化していくのは、誠に圧巻であった。私は、「これも、紙芝居のルーツの一つかもしれん。」と思った。江戸時代の末期から、覗きからくりという、寄席芸が生まれたが、丁度、その背景の変化は、まるで、覗きからくりの穴の中から観た、場面の転換の変化を楽しむ要素を取り入れているように、思えたからだ。

お芝居が終わって、母は、とても喜んで、「昔と少しも台詞が変わっていない!」と感動した。さもあろう、伝統芸能と云うものは、こうして、人から人に、脈々と伝わってきて、今、現代、こうして、私達が、そのお芝居を楽しむことが出来るのだ。

私は、伝えていくことの尊さと、伝統の芸能文化の奥深さを改めて、この人形浄瑠璃のお芝居を観ることで、教えられた。「紙芝居の学びも、まだまだこれからやなあ」と、改めて、自分の分を思い知らされたが、そのことの気づかせてもらい、淡路人形浄瑠璃を観劇をすることで、感激したみかんであった。さぶ~外はどしゃぶりの雨やんかいさ!

                byみかん

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新聞と私                  2010年3月8日

私は、新聞を読むのが、何よりの楽しみです。正直言って、新聞の隅から隅まで読むほどの知識もないし、根気もないのですが、とにかく、朝、起きたら、見出しだけでも、読むことにしています。

正直言って、見出しだけしか読まへん日の方が多いですが、それだけでも、社会や、世の中の動きが、タイムリーに解り、ほんまに有り難いことです。

今日、母が、愛犬を亡くしてから、あんまり落ち込んでいるので、新聞の第一面の下の欄に書かれている、記者の方の論説の欄を、音読してもらいました。

すると、なんか、不思議ですね。結構難しい内容や、知識がないと、ついていけない事柄も、なんとなく、「ああ、そうなんだ!そんなこと、考えるなんて、やっぱり、新聞記者の方は、凄いなあ」と、妙に感心してしまいました。

だけど、それも、その時だけで、物覚えの悪い私は、何を書いていたのか、右から左へ通り過ぎ、全く、頭に入っていません。ハハハ・・・

母も、きっと、どんな内容なのか、全く解らないまま、必死で字ずらを追って、読むのに精一杯だったと、思います。

このように、毎日、新聞を読んでいるのにも拘わらず、全く、その内容や情報が、自分のものになっていない、どんくっさい私ですが、でも、それでも、いいのです。

私は、知識や事件を、一つ一つ検証したり、把握する為に新聞を読んでいるのではなく、本当に、新聞を読むことが、楽しいのです。だから、休刊日の時は、とっても寂しいですが、次の日、また、新聞がポストに入っていると、ワクワクドキドキしながら、ポストから取り出し、また、第一面の見出しに目をやります。

中学生の時から、ずっと、新聞を読むことを、日課としていた私にとって、分厚い本を読むのが苦手だった私には、毎日、配達されて来る新聞が、右から左の私ですが、いろいろなものの考え方や、価値観の創造のお手伝いをしてくれました。

昨今、新聞を取らない家庭が増えてきたと聞きますが、毎朝、どんなに雨が降っていても、どんなに寒い日でも、ポストに新聞を配達して下さる方に感謝し、私は、これからもずっと、新聞を読み続けていきたいと、想っています。

                   byみかん

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なんかようわからんけど・・・          2010年3月7日

なんかようわからんけど、このブログの書き込みの欄で、全く身に覚えの無い出会い系のサイト云々が出没しているようです。

改めてお断りさせてもらいますが、そのサイトは、私、青空視観とは、全く、なんの縁も所縁(ゆかり)もございませんので、ご了承下さい。

私の管理不行き届きで、一般の皆様には、御迷惑をお掛け致しまして、誠に申し訳ございません。書き込みをしてくださろうと、想っておられる方がいらっしゃいましたら、こちらで的確に判断、識別致し、必ずお返事のメールをお返し致しますので、ご容赦願います。

せやけどなんでんなあ、ブログも長いこと続けていると、ブログでなく、おかしなフロクが、もれなく付いて来るという、おっそろしい時代になりましたなあ。

皆様も、この情報の氾濫している現代社会では、くれぐれも、ご用心下さいませ。それは、うちのことやんか?

               byみかん

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命を粗末にするな              2010年3月5日

昨日、我が家の愛犬、チャクが天寿を全うして、息をひきとった。奇しくも、彼の16回目の誕生日であった。ありがとう!チャク。お前が居ててくれたお陰で、どれだけ、私達家族を慰めてくれたか、計り知れない。

チャクがのなきがらをながめていると、改めて、命の尊さを実感出来る。必死で、死と闘っている時の、お前の声を聞くのは辛かったけど、本当に安らかな、幸せそうな顔をして、お前は、天国へ行ったなあ。

お前が危篤になる直前に、一所に散歩をして、お前の好きな、土と草の匂いを嗅がさせてやったから、私は、なんの悔いもなく、お前を見送ることが出来た。

ありがとう!チャク。お前とは、楽しい思い出だけが、一杯残っているから、私は大丈夫やよ。大好きなケーキも、毛布にくるんださかい、もう、お医者さんでもらうドッグフードは、食べんでいいから、好きな物を一杯食べな。

その、ドッグフードと、父が元気だった頃の、しっかりした散歩のお陰で、お前は長生き出来て、ほんまによかったなあ。

今、おろかな人間達が、自分の産んだ子供達を、虐待して殺している。お前の命だって、宝石のように大切な、たった一つの宝物だったのに、何ゆえ、人間は、我が子を殺さなければいけないのか?

命を粗末に扱うな!人一人の命は、地球より重いのだ。どんな命だって、みんな、尊いのだ。これ以上、自分のお腹を痛めて産んだ我が子を、宝石の輝きをちりばめている命を、自分の勝手な感情で粗末に扱わないで欲しいと、心から、愛犬を亡くした私からのお願いです。

             byみかん

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命尊し                   2010年3月3日

今日は、午後から京都大学付属病院の小児科のプレイルームで、紙芝居で御縁を賜った、Sさんとご一緒に、入院している子供さんとお母さん方に、紙芝居を観て戴いた。

私は、病院で紙芝居をさせて戴くのは、初めてで、どんな作品をさせて良いものやら、自分自身、正直言って、凄く悩んだ。そして、母とも相談して、松谷みよこさん作、長野ヒデコさん画の「はないっぱいになあれ」と、まついのりこさんの「ごきげんのわるいコックさん」を中心に、Sさんが「たべられたやまんば」の昔話の紙芝居を演じて戴くことで、紙芝居のお話会をさせて戴いた。

プレイルームに、子供達が来てくれていた。嬉しい!紙芝居を演じる時は、いつも、「始まりの歌」の手遊びを、みんなですることにしている。正直、ちょっと、あがっていたが、はじまりの歌を、みんなで元気に歌って、最初の紙芝居は、変更して「みんなでぽん」という、紙芝居で、始めさせて戴いた。

そして、「はないっぱいになあれ」を演じた。私は、何故この紙芝居を選んだかと言うと、場面にはみ出すくらい、勢い良く咲いている向日葵の花の絵に、なんとも言えない、力強いエネルギーを感じたからだ。子供達に、この向日葵の絵を観てもらって、一日でも早く元気になってもらいたいと想いながら、演じさせて戴いた。

Sさんの「たべられたやまんば」も、とても素晴らしい、実演であった。なんでも、昨晩の12時に、家族の方に観てもらって、練習されたのだそうだ。凄い!やまんばの迫力と、語りが自然体で、凄く素敵だった。

最後に「ごきげんのわるいコックさん」を演じた。コックさんの顔が、いろいろ変化していくと、子供達が、声を出して、笑ってくれた。凄く嬉しい!最後の飴ちゃんをみんなで分けて、美味しく食べた。

こうして、私達の病院での、紙芝居デビューは、無事に終了させて戴けた。一番よく、笑ってくれた女の子が、嬉しそうに、バイバイをしてくれた。自己満足かみしれんけど、うちは、なんか、とっても爽やかな気持ちになれた。みんな、最後まで、観てくれて、ありがとう!

この病院に来させて戴いて、私は、改めて、病気と一生懸命、闘っている子供さん達と出会い、命の尊さと、生きている喜びを実感させて戴けた。本当にありがとう。

家に帰ると、我が家の家族、愛犬チャクの様子が、おかしい。ここんところ、やせ細り、元気がなかったのだが、全く、食べ物を受け付けず、後ろ足が立てないで、へばってしまう。家族のみんなが、心配して、見守り、今は、我が家の玄関で、静かに横たわっている。

16年も生きてきた彼だが、私は、あきらめない。一日でも長く生きてくれて、私達を癒してくれた、愛犬に悔いのないような最期を迎えて欲しい。

どんな命でも、みんな尊い。尊い命の灯を、最期まで燃やし尽くして、悔いのない生涯を全うすることが、私達人間、いや、生き物全ての、与えられた使命なのかもしれない。

                  byみかん

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ブログ1000回達成!             2010年3月2日

昨日、このブログの送信回数のカウントを見て、驚いた。なんと、昨1000回目のブログ送信のを達成さいていたのだ。

これも、それも、あれも、全てこのブログを御覧になってくださる方がおられると云う、私の心の支えのお陰です。

本当に、ありがとうございます。この場をお借りして、心から御礼申し上げます。

しかし、なんでんなあ、昔から「継続は力なり」と申しますが、こんな、私のブログみたいな、華々しい、画面もなければ、動画どころか、写真もない、なんのへんてつもない文章だけのブログでも、皆様方に見ていただけることで、なんとか、続けさせて戴くことができております。

これからも、多分、このスタイルで続かせて戴くと思いますが、末永く宜しくお願いいたします!ありがとうございます!

              byみかん

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3月のみかんの予定               2010年3月1日

いよいよ今日から、春の季節である、弥生の月を迎えました。皆様、如何お過ごしでしょうか?今月も、私、青空視観は、皆様に紙芝居の素晴らしさを知って戴きたく、地道に、コツコツと、楽しく活動させて戴きたいと想います。今月の予定です。宜しくお願い申し上げます。いつも、ありがとうございます!

                   記

3月3日(水)      京都大学付属病院小児病棟

              午後3時30分~4時30分

3月21日(日)     難波紙芝居教室 

              難波市民学習センター(OCAT4階)

              午後1時30分~4時30分 (第3会議室)

3月23日(火)     田辺サロン紙芝居教室番外編

              ~手袋人形作りと手遊びの伝授~

              午前11時~午後4時 

3月27日(火)     田辺サロン紙芝居教室 

              (すずき住建様田辺スタジオ)

               午前11時~午後4時

3月28日(日)     全興寺紙芝居 (大阪市平野区)

               午後2時と3時

以上でございます。紙芝居教室等のお問い合わせ、お申し込みは、06-6621-2467

紙芝居大好きの会(FAXも)山口迄、お願い申し上げます。

冬季オリンピックも、無事に閉会し、日本の選手の方達に、私達は本当に勇気を戴きましたね。本当の勇気というのは、メダルを獲得する為に頑張るのではなく、自分と向き合い、その限界を乗り越えることに挑戦する姿勢だと、私は思います。

不肖、青空視観も、皆様に愛と感動と希望と勇気をお届けするべく、皆様方と紙芝居をこれからも、一所懸命に勉強させて戴きたいと想います。もうすぐ、二人目の孫も生まれることに感謝し、子供達に、明るい未来を持ってもらえるように努めたいです。いつもありがとうございます!

                 byみかん

      

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