「人間万事塞翁が馬 」 2010年2月26日
中国の故事に、「人間万事塞翁が馬」という教えがある。ある男が、馬を盗まれて、農作の仕事が出来なくて、大変だと騒ぎ立てた。そして、賢者にそのこと相談すると、「困ったことかもしれないし、そうでもないかもしれない」と、その男に言った。
次の日、その男は、畑に出かけると、立派な馬が居るのを見つけ、その馬を自分の物になったと言って、とても喜んだ。だが、賢者は「良いことであるかもしれないし、そうでないかも知れない。」と言った。
或る日、その男の息子が、馬に乗って落馬して、足を怪我して、農作業が出来なくなった。男は、また、賢者に「一つも良いことが無いどころか、息子は、一生働けない身体になった。」と言って嘆いた。
ところが、そえから、何日も経たないうちに、その国に戦争が勃発し、村中の若者が、兵隊に駆り出され、戦の前線に行かなければならないはめになった。
だが、その男の息子は、足を怪我しているで、ただ一人、戦争に行かなくてすんだという、中国の物語から、生まれた言葉が、この「人間万事塞翁が馬」といういわれであるそうだ。
私は、この言葉が、大変好きである。特に、現代社会が、複雑化し、混沌としている時代を生きる私達にとっては、非常に含蓄の在る言葉であると想う。
人生、何が幸か不幸かは、物事の現象だけでは、計り知れない。大切なことは、その出来事を、在るがままに受け入れることで、自分の心に中の平安が保たれる。
そして、先のことに不安を抱くのではなく、今、この時、この瞬間に心を傾けるようにする、習慣が出来ると、困ったことが起きても、一喜一優せず、心豊かな人生を過ごすことが出来るのだと想う。
格言う私も、まだまだ未熟者で、何時も、家族に甘え、絡み、自分を悲劇の主人公にして、何時も反省ばかりしている。
人生は、自分の思う通りにならないことの方が多いけど、だからこそ、自分の思い通りに出来た時の喜びは、一入で在る。
在るがままに生きていく事は、簡単そうで難しい。まずは、当たり前のことに、感謝の気持ちを持ち、今在るものの、存在をありがたく思うことを、心がけていくことから、始めていこうと想う。
まだまだ、若い?ので血の気の多い私は、そんな簡単なことも、なかなかしんどいけれど、不器用は、不器用なりの良さを見つけて、自分を大切にしてあげたいと想う、みかんであった。
byみかん
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント