「芝枕」 09・12月17日
芝生を踏みながら、こう考えた。智に働けばぼろが出る。情に棹させば溺れてしまう。意地を通せば四面楚歌。兎角にこの世は生き難い。
生きにくさが度を越すと、あほなことを考えて、自分を笑い飛ばしたくなる。誰にどう思われようと、開き直った時、度胸が湧いて、生きる力がうまれる。
夏目漱石さんは、芸術の誕生のいわれを「草枕」で、説いたが、うちは、あほな生き方しかでけへんから、こんなしょうもないパロディーしかでけへんけど、お赦し下さい。
因みに「草枕」の一説をご紹介いたしやす。何かのご参考になれば幸いどす。
「草枕」
山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向こう三軒両隣りにちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくいかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊い。
住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、有り難い世界をまのあたりに写すのが詩である。画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。
夏目漱石
明治の文豪である、夏目漱石が、生きていた時代でも、「住みにくい」時代であったようだ。だが、現代の平成の時代は、それを通り越して「生きにくい」という、大変な時代になってしまった。私達は、何を以って、この「生きにくい」平成の世の中を、生きていかなければならないのか、かんがえると、やっぱり、自分自身をわらいとばして、開き直り、大きな気持ちで、時代を達観するだけの度量が、必要なのだと考えるのは、私だけなのであろうか?
byみかん
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