最終電車に飛び乗れば・・・ 09・8月29日
今日は仕事の帰り、私の何時も紙芝居教室でお世話になっている、難波市民学習せンターで、一新塾の学習会があった。私は、一新塾の花の18期生で、今は卒塾生として、勉強をさせて戴いている。
そして、パチンコ屋さんのように、「蛍の光」の音楽が、館内に鳴り響いても、まだ、熱いディスカッションが、覚めやらないのだが、御迷惑をおかけしてはいけないので、続きのお話は、次の二新塾へと場所を移動する。
二新塾の教室は、これまた、一新塾の卒業生のIさんが経営されているお店へ、移動する。そこでも、また、私達は延々と議論と云うか、(むしろこっちの方が、本音の話が出来るのだが・・・)自分達の熱い思いの丈を交歓し合い、親睦を深めるのだ。
私の一新塾へ入塾させて戴いた動機は、地域の方の居場所造りをやらせて戴きたかったからである。親元を離れて、年子の娘達を子育てしていた時、近隣の方々に、大変お世話になり、しんどかったけど、孤立せずに子育てさせて戴いた、その恩返しを今、させて戴けたらと想い、子供さんも親御さんも、人生の先輩の方々や、若い方も、みんなが生き生きと過ごせる居場所を、自分の生まれ育った地域で、造らせて戴きたいというのが、私の夢である。
そんな夢を実現させたいという、熱い想いを形にしたいと考え、私としては、本当に清水の舞台から飛び降りる気持ちで、一新塾の門を叩いた。今でこそ、女性の塾生は、たくさんおられるが、私の入塾した時は、女性は、誰も居なかったのだ。唯一、ずっと上の先輩で、一人、女性がおられたのだが、それから後は、説明会も男性ばかりだし、入塾した時も、女性は、私一人だけで、本当に、入塾する時、勇気がいった。
でも、入塾して、私は、一新塾でたくさんの仲間も出来、多くの事を学ばせて戴いた。今では、女性の塾生は、たくさん居て、本当に嬉しい限りだ。私は、卒塾しても、この一新塾が、自分の学び舎であると、感謝しながら、現役生のサポートと云う形で、学習会に出席させて戴いている。
前置きが長くなったが、とにかく、私達は、二新塾で、また、意を新たに、平成維新が果たせるか否かは、定かではないが、再会を約束して、日付の変わる時間の、地下鉄御堂筋線に飛び乗った。天王寺駅に降りると、近鉄南大阪線の最終電車の発車の案内を、駅員さんがしてくださっている。
たいへんだ!私は、天王寺まで、一緒だった仲間の方達と、別れの挨拶をして、古市行き最終電車に、滑り込みセーフ!「ああ、間に合った。よかった。」
今川駅に降りて、改札口を出ると、目の前に、綺麗な女の人の後姿が現れた。見ると、どこかで見たような靴・・・・「おお、あれは、マイドウターではないか?」私は、クレヨンしんちゃんのように、彼女の肩をポンポンと叩いて、「おねえさん、一緒にお茶でも飲みに行かない?」と、声を掛けた。
せやけど、どこの世界に、最終電車から降りて、母親が自分の娘をナンパする人がおるんやろ?と、自分でも笑ってしまいたいのをこらえた。娘も、そんな親の子やから、びっくりするようなふうでもなく、普通に「なんや、誰かと思ったわ。」と応える。
そして、うちらは、夜道を母娘二人、楽しく語らいながら、家路に着いた。一番、うろたえていたのは、出迎えた、母であったようで、娘に聞かんと、うちに「何処行ってたん?こんな時間まで・・・」と、心配して尋ねてくれた。何歳(いくつ)になっても親というのは、子供の心配をしてくれる、在り難い存在である。
私は、今、幸せの真っ只中に居るような気がして、嬉しくなって、小躍りしそうになった。「生ビールのジョッキ一杯で、こんなに酔えるのか!」と、感心するみかんであった。
byみかん
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