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大阪の梅雨明けは遅い!            09・7月27日

何ということだ!夏休みに入って、もう、一週間が経つというのに、まだ、大阪は梅雨が明けていない。しかも、梅雨明けは、8月になってからになるという・・・・

皆さん、やっぱり、今年の気候は少しおかしいと思いませんか?何時もなら、台風の一つも、生まれそうな頃なのに、まだ、梅雨も明けず、九州や中国地方では、豪雨が降り続き、関東では、竜巻荒れ狂うという、この異常気象は、やっぱり変ですぞ。

日本全体が、まるで亜熱帯地方の気候になってしまったようで、うちらも、小島よしおみたいに、裸で過ごせるのでしょうか?(最近は、何故か服を着てるが)そんなあほな!と、突っ込みたいけれど、笑うに笑えない状況になって来ているような気がします。

被害に遭われた方々に、心からお見舞い申し上げます。本当に、自然程、恐ろしいものはないと、改めて感じました。うちら人間は、もっと、自然に対して、敬謙」な気持ちにならんとあかんと言うて、自然が戒めているのでしょうか?

災害に遭われた方々が、いけないというのではなく、もっと、全ての人間に、神は怒っておられるのでしょう。いや、ひょっとすると、これは、自然が悲鳴をあげているのかもしれないと、私は思うのです。自然の理を犯してきた人間に、「もう、堪忍してくれ、もう、限界や」と、警鐘を発しているのではないかと考えるのは、私だけでしょうか?私達人間、特に、先進国の人々は、もっと、自然の叫び声に耳を傾けないと、とんでもないことになるのではと、危惧しております。

自然の生態自体が、犯されている昨今、私達人類の存在の存続の問題にもなり兼ねない、大変な事態になっているのだということを、今一度、真剣に考えなければいけないと思うのですが・・・・

大阪の梅雨はまだ明けまい

                     byみかん

~みかんのお奨め紙芝居コーナー~

「セロひきのゴーシュ」(宮澤賢治原作 堀尾青史脚本 池田仙三郎絵 童心社)

宮澤賢治の作品は、何故か現代社会に於いても、とても斬新で、少しも違和感を感じないのは何故だろう?それは、やはり賢治の作品自身の普遍性に集約されるのかもしれない。この作品も、決して上手なセロ(チェロ)の演奏家ではないゴーシュが、いろいろな動物達と係わることで、本当の演奏というのはどんなものなのかと言うことを、開眼していく過程が、とても興味深い。そして、ゴーシュ自身が動物達に対する、感謝の気持ちと思い遣りの心を持つことで、素晴らしいセロの演奏家として成長していく。ゴーシュと動物達のやり取りの場面が、なんともいえないおかしさと、哀愁がこもっている。私自身も基楚の練習がどれだけ大切かということを、おしえられた作品である。

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