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三度目の正直                 09・1月31日

今年に入ってからずっと、いろいろと自分の身の回りで、出来事が起き、また、精神的、肉体的にも、かなりしんどい日々が続いた。そして、今日、久しぶりに一日中、外に一歩も出ず、ゆっくりとお休みをさせてもらった。

夜、テレビで、たまたま消防士のドラマと、刑事のドラマを立て続けに観た。そして、気づいたことがある。消防士さんも、刑事さんも、自分の命を犠牲にして、人命を救うのではなく、自らの命も生かして、尚且つ、人様の命を護ろうとする、使命感を持っておられる。

そして、その尊い志や使命感を次の世代の若い後輩に受け継いでもらうべく、努力を惜しまず、行動しておられる。この事実を観て、私が思ったことは、今、紙芝居を文化として普及して、この生きにくい世の中が、少しでも生き易くなっていって欲しいと願いつつ、活動をさせて戴いている。

だが、まだまだ、自分の力の無さと未熟さに、恥じ入り、それでも、何故か自分がやらせて戴きたいことの方向は、間違っていない。絶対に、今の時代に紙芝居は、必要なものだと信じている。

紙芝居は、その誕生から現代までに、二度の興亡があった。一度目は、紙芝居が誕生した、今から凡そ80年近く前、昭和5~6年の頃であった。その発生は、街頭紙芝居であったが、教育の現場に紙芝居を取りいれた、松永健哉や、高橋五山の活躍があった。

だが、まもなく日中戦争が始まり、紙芝居は、国策紙芝居という形で、民衆の戦意高揚の道具として、利用された。

二度目の紙芝居の隆盛は、第二次世界大戦の直後、焼け野原の中で、復員兵や戦争で焼け出されて、生活に困った人々が、生きていく為に、街頭紙芝居が再び、現れたのだ。

そして、今まで別々に活動していた、街頭紙芝居と教育紙芝居に携わる人々が共に協力して、紙芝居の復興に汗を流された。御存知、「黄金バット」の作者、加太こうじ氏と、童心社の前進であり、戦後の教育紙芝居の母とも言うべく稲庭桂子氏らが、手を取り合って、紙芝居の普及活動を精力的に行なった。

そして、街頭紙芝居は、戦後の子供達の心を捉え、また、教育紙芝居は、小学校の国語や社会の教材にまで発展していったのであった。

だが残念なことに、テレビの普及と高度成長の相乗効果?で、街頭紙芝居は、街角から消え、教育紙芝居は、行政の予算の改革法に拠って、小学校の教育の現場から無くなってしまった。

そして、平成の現代、私達は三度、紙芝居の新たな価値を見出し、そして時代をより良きものにしていく為に、今一度、紙芝居の持つ素晴らしい特性と、本物の文化として確立し、子供達の心だけではなく、この時代を生きる全ての人々の心を救う紙芝居であって欲しいと願いつつ、私は活動をさせて戴いている。

現代社会で、多くの先達が努めてこられたことを、肝に銘じ、青空みかんは、今日も平成の時代に、本当の青空と、みかんのような、温かいぬくもりのある心を、人々にお届けし、広がってくことが、自分の喜びであると、信じているのであった。(かっこええなあ・・・)

               byみかん

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