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2008年12月

師走はいそがしわす?!        12月30日

今年も残すところ、後二日となった、30日の私は、もう、目が回る程、忙しかった。何故かと言うと、仕事納めが今日なので、朝は、田辺教室で、小学生の兄弟の漢字検定の対策授業をし、午後からは、その足で、例の愛車のバタバタで、平野教室へ、いざ出陣!

今日は、入試のテストの授業はなかったので、比較的余裕を持って、授業に臨めた。しかし、それが終わると、晩御飯の買い物をして、(正月のかいもん、昨日しといて正解やった・・・)夕食後、二階で、ちょっと休憩をして、夜、また、田辺教室の授業に入りに行かせてもらった。今年最後の授業は、小5の算数と、中学生の数学?う~ん、やってみよう!やらせて戴きましょう。「あっ!なんとかできたわ”」

実は、一昨日、平野教室で、居残りをして、学校の宿題を教えた所と、全くおんなじ所の問題だったのだ!やっぱり、天が味方してくれてはるんや!小学生の男の子も、とても、礼儀正しい、素直な子供さんで、とても真剣に私の講義を聴いてくれて、割合の問題に取り組んでくれた。

お母さんが迎えに来られたので、挨拶をさせて戴き、塾長先生もとても、ご機嫌が良かった。こうして、今年最後の授業は、気持ち良く終えることが出来、教室のシャッターを下ろして、塾長先生にご挨拶をして、帰宅できた。

家に帰る道すがら、夜空を見上げると、なんか、いつもより、空が澄み渡っていて、お星様の数も多く、ピカピカと光っているように見えた。スキップしたいような気持ちで、家路に辿り着き、私の仕事納めは、無事に修了した。

自分で言うのもなんだが、この一年、なんとか皆様のお蔭で、充実した日々を過ごすことが出来、紙芝居の活動の輪もひろがりつつあり、孫にも恵まれ、塾の講師という仕事で、たくさんの子供達と、接することが出来、本当に、最後は、気持ち良く締めさせて戴けて、忙しかったけど、清清しい、達成感のようなものを実感出来たのが、とても嬉しい。

家に帰ると、長女が、お風呂と洗面所をピカピカに磨いてくれていて、本当に気持ちよかとね?篤姫ではないけんど、女の路は、一本道!私も、新しい年を迎えるにあたり、なんの迷いや躊躇もなく、せいせいと、年を越せそうなことが、本当に在りがたい。

明日は、年越しの用意をして、自分にご褒美をあげて、よく顔晴ったねと、労ってあげよう!たまには、いいっか!

              byみかん

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師走の全興寺紙芝居風景        12月28日

今日は今年最後の、平野の全興寺の紙芝居の日だ!先月は、残念ながら声がでなくなり、欠席したが、今日は、どんなに寒くても、行かせて戴こうと、心に決めていた。

朝から、お天気にも恵まれ、北風も吹かず、少し冷えはしたが、絶好の紙芝居日和だ。朝から、練習をして、お昼を食べて、いざ全興寺へ!子供達が待っているぞ。寒いけど、みんな来てくれてるかな?

急いで山門をくぐり、何時もの様に、ご本尊をお参りして、まっしぐらに楠木の下に駆けて行った。2・3人の子供達が来ていた。紙芝居をするには、ちとさみしいけれど、紙芝居って、やり始めると、結構人が、集まって来るものなんです。

鈴木常勝さんと川口御住職と、不肖、私、青空みかんとで、2時からの第一回目の口演が始まりました。御住職は冒険のお話、鈴木さんは、黄金バットだ!私は、落語紙芝居の「さぎとり」を実演させて戴いた。

何故か、久しぶりの全興寺さんなので、嬉しくなって、とても気持ち良く演じさせて戴いた、。子供達もだんだん多くなってきて、その後ろを大人の方々が、ぐるっと取り巻く。紙芝居は、大人も子供も、みんなが心から楽しめる、素晴らしい空間を造ることが出来る。だから、私は、やめられないとまらない。

鈴木さんは、さすがにベテラン、もう、子供達の心をぐっととらえることでは、最高にお上手だ。私は、必死で、その実演を観て勉強させて戴く。川口御住職の「おやじギャグクイズ」もすごくおもしろくて為になる。私は、何時も、正解した子どもさんに、水飴の引換券を渡す係だ。

3時からの実演では、何をしようかと考えたが、今日は、お客さんが少ないので、思い切って、先日書店で購入した、「セロひきのゴーシュ」をやらせてもらった。音楽が、欲しかったので、鈴木さんにメロディーのなる機械をお借りした。うん、やっぱり、音楽が在ると、紙芝居やってても、ノリノリで、めっちゃ楽しい!

最後の、御住職のクイズも無事に過ぎ、今年の全興寺さんの紙芝居と、私の紙芝居の活動も終わらせて戴いた。本当に、好きなことをさせて戴けるだけでも在りがたいのに、毎度、こんな素晴らしい場所でやらせて戴ける私は、果報者だ。来年も、宜しゅうお願いしますと、帰る時、ご住職の奥様に、挨拶をさせて戴き、全興寺を後にした。

帰り道、車の通らないろうじを、元気に自転車の乗って帰っていく子供達を見送りながら、「ここは、ほんまにええ街やなあ・・・うちの住んでる田辺の街もええとこやけど、全興寺さんのおも路地みたいな、みんなが安心して集える居場所があったらええのになあ・・・・」

と、つぶやきながら、娘の置き土産のパタパタの愛車で、帰宅するみかんであった。

               byみかん

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イブの日に語る、みかんの勇気考           12月24日

今日は、クリスマスイブ。そう、誰もが、鳥のから揚げを食べ、クリスマスケーキを食べる日?ではない。イエス・キリストがお生まれになる、前夜を心から喜ぶ日。そして、本当の人間の幸せとは、何かを考え、行動する日でもあるのだと、私は思う。

勇気とは、勇ましい気と書く。では、本当の勇ましいとは、どう云うことなのか?それは、自分の考えていることに、忠実に行動を起こすこと。自分の不利益を省みず、自らの信念を貫き通し、行動すること。考えることだけでなく、言葉に出して、おかしいことは、おかしいと声を発すること。誰かの為に辛くても、じっと、辛抱強く我慢し、耐える勇気もある。

いろいろな勇気があるが、勇気とは、一言で云えば、自分の殻を打ち破ることではないかと、私は思う。それは、誰かが背中を押してくれて、出来る時もあるし、何か、感動する本をよんだり、映画やお芝居を観て触発されて、湧き出る時もある。友達や仲間に自分の想いを話している時に、突然起きる時もある。

勇気とは、誰もが憧れ、誰もが描き、誰もが欲しいものだと想う。そして、人間の最も大切な気持ちの一つだと、私は思う。私の生涯の恩師である、大河満子次先生が、いつもおっしゃっている言葉で、「人間が、物事を為し遂げる為に大切なことは、忍耐、努力、継続、そして、一番大切なのは、勇気です!」と、教えて下さる。

メリークリスマス! メリーCOURAGE!(勇気 )メリーKAMISHIBAI!メリー皆さん!

勇気は、国境を越えます。勇気は、民族を超えます。勇気は、言語の違いを卓越します。貴方も、勇気の心を胸の奥の大切な処にしまっておいて、ここぞと云う時に、躊躇せず、出せるといいですね。

                byみかん

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現代社会の中国の孕む問題      12月23日

深夜、NHKにチヤンネルを合わせていると、二つの中国のドキュメンタリー番組が放送された。一つは、今まで、仏教の聖域であった、チベットまで、列車が開通し、神聖なるチベットが、瞬く間に、観光地され、商人達のお金を産む場所と化してしまった、現代の中国の開発問題を投げかけていた。

私が、気になったのが、もう一つの方の番組で、中国の、或る小学校、5年1組の子供達の様子を映し出したドキュメントである。これは、今の日本と共通している面が多々在る。

成績偏重主義、いじめ、仲間はずれ、親の勉強に対する過干渉、等など。全く今の日本とよく似ていると思った。だが、一つだけ、私が、中国の子供達を見て、感じたことは、彼らは、先生や親に言われた意見や、注意に、はっきりと自分の考えや、主張を述べることが出来るのだ。

これは、私の勘違いだったら、申し訳ないが、日本の大方の子供達は、何か注意されたり、意見を言われると、黙ってしまうか、「うざい」とか「ほっといてくれ!」などと、一言片付けてしまう傾向が、あるように思う。

中国の子供達は、あくまでも話し合いで、お互いの意見を聴き、理解し合おうとする姿勢が、感じられる。では、何故このような違いが生まれるのかと考えると、日本の子供達は、コミュニケーション能力が、あまり備わっている子供達が少ないように思われる。

勉強をしない時は、ゲームや、携帯や、パソコンの世界と向き合い、あまり、友達と本音で話したり、議論するということがないのではないのだと、私は思う。

中国の子供達ろ比較するのは、いけないことかもしれないが、彼ら、彼女達は、自分の思っていることを、きちんと、順序立てて、相手に話すことが出来るように思われた。

だが、残念なことに、中国の大方の親達も、リストラのめに遭い、子供達に対する期待は、相当深いものであるようだ。こどもが成功することが、自分達の成功だと、考えているところに、中国の子供達の試練があるようだ。

中国は、今、めまぐるしく変化している。この世界的な不況のの中で、生き残ることは、やはり、勉強が出来ることではなく、自分の生き甲斐を見つけ、自分は何をやりたいのか。どのように社会と関わっていくことが、一番自分らしい生き方ができるのかということを、見つけていくことが、本当の人間に生まれた、意味を問うことで、強く生き抜いていくことが出来るのだと、私は思うのだが・・・(´~`)。゜○

                 byみかん

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ババ馬鹿と言われてもいい!       12月22日

昨夜、初孫を産んだ次女から、携帯にタイムリーな写メールが届いた。なんと、孫が寝返りをしたということで、今まで仰向けにしか、見られなかった静流ちゃんの顔が、真っ直ぐに前を向いて、しっかりと首を上げているではないか!

娘の気持ち、わかる、わかる。私も、長女が生まれて初めて、寝返りをした時、喜びのあまり、父と母に電話をして、報告したものだ。

全く、血は争えないし、時代は進歩して、次女の赤ちゃんの時とそっくりな顔で寝返りをした姿をすぐに見られるなんて、本当に有り難い事だ。そして、そんなたわいもない事を皆様にお知らせする、ババ馬鹿をお許しあれ!

いかに時代が、閉塞し、底が見えない暗い世相であろうと、子供達の未来は、明るく、光り輝いているものであると、私は信じたい。また、そんな時代が必ずやって来るように、これから、私達大人が、時代を築いていくことが、未来を担う子供達にしていく責務だと、私は想う。

こんな不況に誰がした。こんな世の中に誰が変えた。と、犯人探しするのは、時間の無駄だ。今は、本当に、みんなが安心して、将来に不安を抱くことのない社会にどうすれば出来るか、力を合わせて考え、行動する時ではないだろうか?三年後に上げる消費税の法律の文言を、一生懸命考える暇があるのなら、今、家もなく、路頭に迷って、職を探し、住まいを求めている人達に目を向けて、その人達の気持ちを思い遣り、せめて、お正月を楽しく迎えるように、動いてはもらえないのだろうか?

この国は、今、本気で考える時期がやって来ているのだと、私は思う。孫の話から、政治論をぶつけて、おこがましいが、私は、本当にそう思うのだ。どうしたら、今のこの世の中のみんなが、幸福になれるのだろうかと・・・・私一人がつぶやいても仕方がないが、時代は、目まぐるしく変化していることは確かだ。

寝返りをうった、初孫が、百八十度回転して見て、これから歩んで行く世の中だから、尚のこと、住み良い社会になって欲しいと、切に願うみかんであった。

                byみかん

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ほんまもんのゆず湯入りました!        12月21日

今日は、冬至。そう、一年のうちで一番昼の短い日です。言い換えれば、夜が一番長い日・・・当たり前やんか!そんな、休日の我が家では、お風呂にほんまもんのゆずを入れて、贅沢なゆず湯に入らせてもらいました。

入浴剤の入った、色のついたお風呂ではなく、湯船のふたを開けると、まるいゆずが、恥ずかしそうに、ちょこんとお湯の中をプカプカ浮かんでいました。

私は、思わず、そのゆずを鼻の所に近づけて、匂いをかぐと、なんともいえない、心の芯から温まるような、ゆずの香りがぷ~んとして、いい気分になりました。

「う~ん、みかんもええけど、ゆずも捨て難いなあ」なんて、訳のわからんことをつぶやきながら、ゆずの実を腕や顔につるつるとこすり、無駄な抵抗だとは判りつつ、お肌のお手入れをして、ちょっとだけ、べっぴんさんになった気持ちになり、「明日からも、お仕事と紙芝居の活動を顔晴るぞ!」と、気合を入れたみかんであった。

昨日は、田辺のすずき住建さんの田辺スタジオで、生徒さんの紙芝居の発表会をさせて戴きました。お世話になった、全ての方々に、感謝致します。こう言うのも生意気ですが、最近、当たり前のことが、凄く幸せだと感じられる様になってきたので、自分の好きな事をさせて戴いて、こんな素敵な発表会をさせて戴くと、本当に有り難いと思います。

今度は、私の方から、皆様に恩返しをさせて戴けたらと想いますが、自分の出来ることなんて、やっぱり紙芝居を観て戴いて、喜んで戴くことぐらいしかありません。

このブログも、早いもんで、始めさせてもろてから、もう三年の年月が経とうとしています。毎日送らせてもらおうと思いながら、途切れ途切れになってしまい、えらい、すんません。でも、うちは、紙芝居をさせて戴いている限り、このブログは続けさせて戴きたいと存じます。そして、いつも、つまらんうちのつぶやきだけやのうて、もっと実の在る言葉を積み重ねていきたいと思いつつ、つい、しょうもない戯言ばかりになってしまいますが、宜しければ、何時でも覗いてやってくださいませ。

                  byみかん

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天才は稀なり!               12月18日

高校入試も後、僅かに控え、塾に来る生徒達が出るのは、正答ではなく、ため息ばかりなり・・・・・「ああ、わたしは天才の家系の家に、なんで生まれてけえへんかったんやろう?」と、言うので、

「生まれた時から、天才の人なんて、殆ど居てないと思うよ!」そう言って、私は、ホワイトボードにこのように書いた。「天才はとは99パーセントの努力と1パーセントの才能を持ち合わせている人のことを云う。」

最初から、努力もしないで、有能な人なんて、殆ど居ない。また、頭の回転が速くて、呑み込みのいい人は、ある一定のレベルにすぐ達してしまうと、それ以上努力しないで、伸びない。一番大切なことは、出来ようと、出来まいと、とにかく、基礎をしっかりと身につける努力をすることだと私は思う。

努力もしないで、自分は駄目だと諦めるのは、もったいない。やってみないと判らないじゃありませんか?昔話で、「モチモチの木」(斉藤隆介作)がある。マメ太と云う弱虫の男の子が、モチモチの木のが光り輝くのを観ることはできたのは、病気になったじいさまを助ける為にお医者様を呼びに行く、勇気があったからだ。

人間、ここぞと言う時は、ふんばって勇気を持つことも大切だと思う。だから、天才でなくたって、後悔しないように努力しようね。今が、その時なのだから、避けて通れなかったら、堂々と立ち向かっていく勇気を持とう!

そんなえらそうなことを言っている私も、高校受験の直前に、成績が下がり、泣きながら、志望校を諦めると言って、母を心配させて、結局は母のお蔭で、希望する高校に入学出来たので、あんまり、えらそうなことは言えないのだが・・・・・(・_・)エッ....?ほんまにい~

                 byみかん

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師走とは思えないのだ!         12月16日

気候が暖かい性か、自分自身が日々の煩雑さに追われているからか、どう考えたって、あと、2週間で、今年が終わるなんて、考えられない。

そら、街へ出たら、美しいクリスマスのイルミネーションが飾られていて、路行く人も、何故か慌ただしい足取りで、歩いている。だけど、なんでか判らんが、何時もの年の暮に比べると、お正月を迎えるような雰囲気ではない。

なんでなんかと、自分で考えたが、やっぱり気温が、暖かい。木枯らしが舞い、北風が吹き荒む光景が見られない。みんな、あんまり寒そうに歩いてないし、寒さに弱い私自身が、全然寒くない。確かに昔に比べたら、脂肪が増えて、それだけ寒さから守られているのかもしれんけど、みんな、手袋しなくても苦にならない。

おかしい。確かにおかしい。毎年、おせち料理をささやかながら、作っているのだが、こんな気候やと、傷んでしまって、とても、三が日もたないだろう。

やっぱり、地球の温度が段々上がって来ているのだろうか?季節感を感じるのは、確かに、気候や、自然の風の様子や、空の色などから感じるのだが、一番気になるのが、こんなに温かいのに、風邪をひいている人が、自分も含めて、やたらと多いことだ。それも、とっても、たちがわるいの。不思議やね。

こんなこと考えていると、なんか、今の地球の危機感みたいなものを、漠然と感じられる。うちら人類は、果たしてどうなるんやろう?

師走の話から、えらい飛躍するけど、これは、由々しきことやと思う。日本の季節感が段々と薄れ、一年の区切りみたいなもんがなくなったら、人間は、何かが麻痺してしまい、自然の営みが出来なくなる。

季節を感じること、行事を楽しむこと、自然と身近に接すること、この様な生活から乖離していくことが、なんだかとっても不安になるのは、私だけだろうか?子供の頃の、クリスマスやお正月を迎える、あの、ワクワク、ドキドキ感がなくなってきたのは、大人になって、年齢を積み重ねてきた性ばかりでは、なさそうだ。

昔はお正月と言えば、凧揚げしたり、カルタや双六を家族で楽しんだり、親戚の従兄弟と群がって、もらったお年玉で、近くの神社へ初詣して、大好きなリンゴ飴と、たこ焼きを買って、みんなで着物を着て、着物汚さんように、こわごわたべとったなあ。

懐古主義やないけど、一年の節目を感じることて、結構大事なことやなあと、思いながら、そう言えば、今年はまだ、灯油を買わないことに、改めて気付き、少し驚き、これは大変な時代になるのではないかと、鈍感な自分に言い聞かせているみかんなのであった。

「年の瀬は、不景気風だけが、吹くばかりなり」か・・・・・

                byみかん

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みかんの名前の由来          12月15日

今さらながら、こんな話をするのもなんだが、どうして私の名前が、青空みかんとなったのかを、聴いて戴けたら有り難い。

それは、私がまだ紙芝居を始めようと想い始めて、間もない頃、私の生涯学習の恩師で、紙芝居をずっとやることを勧めてくださった、大河萬子次先生のお宅へ初めてお伺いした時、先生が、紙芝居を実演する時の名前を考えて下さった。

いろいろと、候補があがった時、先生は、「美空云々」とおっしゃったので、美空ひばりさんのような、大それた名字を付けて戴くのは畏れ多いと、遠慮させて戴いた。その時、大河先生の奥様が、見事な橙色のみかんをお盆に載せて、持って来てくださった。

私は、その時、ふと若い頃に読んだ、芥川龍之介の短編小説の「蜜柑」と云う作品を思い出して、これだ!と閃いた。「美空」ではなく、芥川龍之介の作品に出てくる、女中奉公に行く目的で、故郷を離れる為に汽車に乗り、見送りに踏み切りまで、見送りに来た幼い弟や妹達に、汽車の窓から、ほうり投げた、青空のちゅうに舞う、みかんの光景が、私の頭に浮かんだ。

「先生、私、青空みかんと名乗らせてください!」と、思わず叫んでいた。私は、あの貧しい奉公に行く娘が、見送りに来た弟や妹たちへの精一杯の愛情の証である、みかんの様に、そして、小説の主人公である「私」が、それまで、非常に憂鬱だった気持ちが、一度に晴れ渡った心に変わった、あのみかんのように、人々の心を明るい気持ちになれる様な、演じ手になりたいと想い、その名を名乗らせて戴こうと決意した。

後日、大河先生から、手紙で「青空視観」と漢字で名乗りなさいという、有り難い字を戴き、私はこの名前に恥じない様な、観る人の心を、少しでもほのぼのと明るく照らすことの出来る、紙芝居の演じ手になりたいと想い、この名前をずっと、自分の誇りとして、名乗らせて戴いている。

どうか皆様、これからも、拙い紙芝居ではございますが、どうか、青空視観の紙芝居を宜しくお願い申し上げます!

                 byみかん

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キッズプラザの紙芝居はじまりはじまり    12月14日

今日の午後、大阪は扇町公園に在る、キッズプラザで紙芝居が実演された。ボランティアさん達が、紙芝居の自主グループを立ち上げられ、キッズプラザで眠っていた紙芝居を今日、見事に甦らせて下さったのだ。

勿論、私は実演できないので、皆さんの口演を拝見させて戴くだけだけど、広い館内の吹き抜けのスペースで、皆さん、素晴らしい実演をされた。子供さんも大人の方もみんなが、本当に熱心に観てくださって、嬉しかった。

私は、紙芝居の実演の本番の時に、館内をぐるっと一周して、実演中の空気を探ってみた。すると、不思議なことに気が付いた。どういうことかと言うと、紙芝居が見えない場所でも、若いお父さんらしき人が子供さんを膝を枕にして寝かせながら、じっと実演の声を聴いておられ、横になっている子供さんも、とても気持ちよさそうに目をつむって眠っているようだった。

また、或るベンチでは、若い男性がポツンと一人座って、携帯を握りながら、紙芝居の声にじっと耳を傾けておられるようだった。

そして、全体に紙芝居の実演の声が響くことで、にぎやかな館全体が、より一層活気溢れて、躍動しているような空気を実感した。

私は、改めて、紙芝居をするということは、こんなにも人間の心を共感させ、響き合わさせ、豊かな空間を造ることができるんだ。本当に、紙芝居って、すごいなあと、感動した。

手前味噌のようなお話になったが、紙芝居を実演せず、客観的に実演されている処を拝見させて戴いて、私は、ボランティアさん達の熱意と情熱に感服し、感謝の念を抱いた。

そして、ここで紙芝居をこれからもずっと実演して欲しいと、こころから願った。ボランティアの皆様、本当に今日はお疲れ様でした。そして、素晴らしい紙芝居空間を造って戴いて、ありがとうございます。

                 byみかん

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キッズ天国          12月13日

人間の体力に、限界というものがあり、その限界を突き抜けると、見えないものが見えるかもしれないという事を聴いたことがある。

私は、今日もそんな境地になったような気がする。もしかしたら、これは自分の歳の性で、体力が衰えているのかもしれない。だが、有り難いことに、彼らには、私をそんなに高齢者の方と接するような気配は感じられない。

彼らは、明らかと私を同じ目線で接してくれていてくれているようだ。それでも、たまに私のカミナリが落ちる時は、鋭く察知して、その空気に気付く。

全く、中学生とは言え、本当に素晴らしい感性を持っている。否、15歳の、あの多感な歳だからこそ、本当に凄い感受性を携えているのだろう。

彼らとは、今日、高校受験の為に集まった生徒達である。彼らを見ていると、何故かほおっておけない気持ちになる。もともとお節介が取り得の自分ではあるが、自分の娘達の受験の時とは、全く別の気持ちになる。

うまく言えないけれど、正直言って、娘達の時は、何を考えているのか全く判らなかった。いや、解ろうとしなかった。だが、彼ら、彼女らを見て、私は、何を考えているかまでは、判らないが、今、どう思っているのかを理解しようとしていると言えると思う。

すごく生意気な、おこがましい考えだが、私は、みんなの笑顔に、癒されている。君達のその、明るい受験生生活に、いささか不安は在るが、深刻に悩んでいない、その明るくて素直な処が、大好きなのです。

こんな無責任なこと言ったら、保護者の方に叱られるかもしれないが、どうか、大人になっても、ずっとその純真な気持ちと明るくて優しい、ユーモアのあるセンスを忘れないでいて欲しいです。

もし、これからの君達の人生で、苦しいことや辛いめに遭い、挫けそうになった時は、うちみたいな者でも、先生と慕ってくれて、しょうもない、だじゃれを言いながら英語の動詞の勉強をどうしょうもなく、ずっこけて学んだことを思い出してね!

                 byみかん

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今年の漢字が決まりました!        12月12日

いろいろと、予想されていた今年の漢字が決まった。それは、「変」う~ん・・・・去年の「偽」に比べれば、まだ、可能性や、前向きな意味合いが含まれているかも。

同じ変わるなら、いい方向に変わって欲しいと言う願いを込めて、この漢字に決まったと信じたい。諸行無常、人の心は移ろい易い。自分も然り。

だが、どんなに時代が進化しようとも、どんなに科学が発達しようとも、人間の心の魂は、美しく在りたい。こんな青臭いこと言うたら、笑われるかもしれないが、人間がどんなにがんばったって、目に見えない物に対する畏敬の念を忘れてはいけないと、私は思う。

変わるものと変わらないものの、線引きをきっちりと認識することが、人間社会が滅びない、唯一の残された路なのかもしれないと考えるのは、私だけだろうか?:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;

              byみかん

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いよいよ、明日から紙芝居復活です!     12月9日

まだ、カラスがうがいしたみたいな声で、申し訳ないが、明日から、再び紙芝居の実演を再開させて戴く。私にとって、この紙芝居の出来ない数週間を過ごさせてもらって、判ったことは、自分にとって、紙芝居を演じるということは、生きることそのものだということが、判った。

紙芝居の出来なかった日々を振り返ってみると、私は、まさしくストレスの塊みたいになり、そして、自分の居場所のようなものがなかったことに気がついた。言い換えれば、陸に置き去りにされた魚のようなものだ。

だが、この紙芝居と離れた時間を過ごしたからこそ、自分にとって、紙芝居というものの位置づけを理解し、紙芝居を演じることの素晴らしさと、尊さを再認識出来た。

正直言って、不安があると言えば、まだ、不安だらけだが、そんなことは言っておられない。私の紙芝居を楽しみに待って下さる方々が、居る事が、本当に有り難い。

紙芝居は、私の心と身体のガソリンであり、栄養でもある。明日は、思いっきり演じることを楽しみたいと想うみかんである。

                byみかん

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12月のみかんの予定          12月8日

何時も、青空みかんのブログを御覧戴き、誠にあろがとうございます。今年も、残すところ、後僅かとなりました。私の今月の活動をお知らせさせて、戴きます。

                

12・10(水)   田辺親子サロン  午後2時~2時30分  

           東住吉区田辺会館 (今年最後のクリスマス会)

12・11(木)   有馬外科デイサービス 午後2~2時30分

12・14(日)    キッズプラザで、紙芝居のボランティアさんのお話会のアドバイザー

           地下鉄扇町公園下車  午後から2回口演されます。

12・20(土)    紙芝居教室法発表会と座談会  午後2時~5時頃迄

             すずき住建さん田辺スタジオ 地下鉄谷町線田辺駅下車

12・27(日)    全興寺さん街頭紙芝居   午後2時と3時

             地下鉄谷町線平野駅下車 

  以上でございます。年末の慌ただしい時では、ございますが、お時間がございましたら、足をお運びくだされば、幸甚に存じます。尚、来年も、私達、紙芝居大好きのグループの活動として、皆様に出来るだけ楽しく、紙芝居を観て戴くように、いろいろと、計画を立てて、実行して参る所存です。随時、ご案内申し上げますので、どうか、宜しくお願い申し上げます。いつも、本当に、ありがとうございます!

               byみかん

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探し物はなんでっか?           12月6日

今朝の夢見は珍しく、すこぶる悪く、うつらうつらと目が覚めて、はたと気がついて、友人に連絡を取らなければと思い、小物入れの中を見て、私は顔面蒼白になった。「ない!」何が?そう、それは、大切な定期の通帳だった。

お金持ちのお方にとっては、大した額ではないが、うちら一般庶民にとっては、大切な財産なのだ。「あああ、どないしょ。また、夫さんに叱られる。なんとしてでも捜し出さなくては!」と、もう、友人への連絡所ではない。私って、案外気が弱いんです。

ゴミ袋を持って来て、整理がてら、要らない物を処分しながら、捜した。捜した。捜したおしました。家中、大騒ぎして、娘にも、「通帳あらへんねん!」と、騒ぎたてて、なんか、しまいに、昨日からの仕事の疲れがどっと出て、もう、ええわ。再発行してもらおう。命取られるわけじゃなしと、開き直った。

恥ずかしながら、私は整理整頓が、大の苦手で、自分でも本当にほとほと、厭になる。物を大切にすると言うより、捨てられないで、そのくせ、なんでも大事に仕舞い込む癖がある。だから、この紛失騒ぎで、失くしたたと思ってあきらめていた物が出て来て、ラッキーなんて、呑気な気持ちになったりする自分が、アホみたいに思えてくる。

結局、その日の夜、晩御飯を食べた後、何気なく、或る場所に入れてあった、封筒の中に入っているのが見つかった。私は、もう、小躍りして、「あったわ、あったわ、みなさんお騒がせしました。ごめんなさい!」と言って、大切に、封筒を押し頂いた。全く人騒がせな、困り者である。

近、疲れてるんか?声がまだ本調子でないからなんか?、年?の性なのかは、定かでないが、全く、几帳面な母から、何故にこんな、ええ加減な娘が生まれたのであろう?

皆様も、くれぐれも貴重品の紛失には、ご注意下さいませ。でも、年末の掃除が少し出来て、良かったよ。探し物もみつかったし・・・・そんなあほな?モーッこりごりや!

               byみかん

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映画「わたしは貝になりたい」を観て      12月5日

午後、かねてから観たいと想っていた映画、「わたしは貝になりたい」を観に行った。予想どうり、やっぱり、凄かった。感動した。この映画は、以前にもこのブログで紹介したが、戦後間もなく、俳優のフランキー堺さんという方が主演されて、とても話題になった映画だ。

今回は中居正広さんが、主人公の名もない床屋の亭主の役を務めた。彼の演技も素晴らしかったが、私がこの映画を観て、一番感じたことは、落差の残酷さということである。

どういうことかと言うと、戦争の空襲で焼け野原の惨状の場面と、美しい海や山の日本の風景のシーンとの相違。それは、人間が起こした、おろかな戦争の結末と、それでも変わらない、自然の普遍的な美しさ。その背景の中で、不条理にも戦犯として捕らえられ、死刑という、残酷な現実を突きつれられ、愛する家族と会えない辛さ、悲しさの中で、必死に生きていく主人公の姿と、そして、免罪になったと勘違いして喜んでいた結果が、死刑執行だったという、喜びと失望の落差。

この、二つの落差で、私が気付かせてもらったことは、人間の現実を在りのまま受け入れることの苦悩と、その現実と如何に向かい合って生きていくことが大切であり、大変なことなのかということが、最後の主人公の科白が全てを語っているのだと思う。「どうしても生まれ変わらなければならないのなら、私は、人間になどうまれたくない。うまれかわるのなら、海の底に沈んでいる貝になりたい。」という、この言葉に全て集約されているのではないだろうか?

人間としていきていくことの辛さ、悲しさ、儚さが、この言葉を物語っている。だが、私は思うのだ。この映画が何故また、この、今の時代に創られたのか?それは、勿論、戦争の残酷さ、人間社会の不条理さも、伝えなければいけなかっただろう?だが、この映画に、明るい希望や未来は見出されないのか?否、それは在る。主人公の子供の、明るい笑顔と、妻が、夫の帰りを信じて、新しい散髪の椅子を購入し、美しい高知の海のシーンに映えた風景が、これからの新しい時代の夜明けの始まりのように、私は読み取れた。

映画の解説になってしまったが、私は、上川隆也の言った科白が、印象的だった。「人間、50年いきようと、70年生きようと、どういきてきたかがたいせつだ。」人間はなんの為に、自分は生まれてきて、死んでいくのか、その答えを見つけることが出来、使命を全うした人が、本当の幸せな生涯なのではないだろうか。

生きていくことは、大変だけど、使命を見つけることが出来れば、それを全うしていくことが、この上もない喜びとなるのだと、私は思うのだが、如何なものだろうか?・・・・

              byみかん

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美しい日本語を残す為に・・・          12月3日

私は、日本語が大好きだ。美しい日本語を自分の出来る、紙芝居という形で、後々の次代を担う子供達に、お伝え出来たらと、生意気なことを考えて、活動させてもらっている。

最近、日本語もそうだが、漢字の読んだり、書いたりする力が見直されてきたように思われる。漢字を覚えるのって、結構難しい。まず、漢字には、音読みと訓読みがあるから、熟語などになると、どちらで読むのかを判断するのが大変だ。

最近の学生さんは、あまり辞書を使わなくなった。みんな、携帯で、変換して調べる。これでは、漢字は解っても、その言葉の意味が理解出来ない。ここで、漢字の調べ方の蘊蓄を述べるつもりは、さらさらないが、どうも、この辞書を使わなくなったり、新聞や本を読まなくなることと、言葉の語彙数が減っていくことと、関係があるようだ。

今の子供達のいじめは、ほとんどが、携帯や、パソコンのメールの書き込みで為されるそうで、匿名で、誹謗や中傷する言葉を、送ってするそうだ。

自殺者も出たという、深刻な社会問題である。では、何故、このようないじめが、頻繁に為されるようになったのか?それは、誰がやったのか判らないという特徴が、その原因なのかもしれない。つまり、いじめる方もいじめられる方も、相手の顔が見えない。だから、やり易いし、傷つきやすいのだ。

ここで、問題を元に戻すが、現代社会に於いて、語彙数が減ってきたことと、関連させて考えると、誹謗、中傷、そしる言葉の連呼でしか、言葉を一方的に発信できず、論理的思考で、相手を封じ込めるといったやり方は、出来ないのだ。

はなしが、真面目過ぎて、自分でもどう、まとめて良いか判らないのだが、出来るだけ美しい日本の母国語を残していきたい私にとって、この社会現象は、本当にやりきれない思いで一杯である。言葉は魔物だ。言葉一つで、人を傷つけるどころか、殺すことだって出来るのだ。

人と人との、触れあいの中で、言葉は、育まれ、大切に生かされていくものだと、私は思う。ややこしい話になってしまったが、今一度、私達は、言葉の大切さを見直し、考え、どう扱っていけば良いのかを考えることが必要だと、私は思う。

現代社会の若者のコミュニケーション能力が、著しく低下しているというお話を、ある場所で聴き、どうすれば、それを高めることが出来るかと考えたら、やはり、ネット社会がはびこび、直の人間同士の触れ合う機会が少なくなって来たことが、一番大きく起因しているではないだろうか?かく言う私も、このブログで、皆様と接点を保ち、矛盾しているのだが、出来るだけ多くの方々に、より良い人間関係を構築できるように、紙芝居といいう、コミュニケーション文化を普及させていただきたいと想う、みかんである。

                byみかん

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母の眼鏡になろう             12月2日

           母の眼鏡になろう        

                           山口朗鳳

真夜中、ふと目がさめて、洗面所に行くと

洗擢機の上にぽつんと、忘れ去られたように母の眼鏡があった

わたしは、その母の眼鏡を見た瞬間不思議な気持ちがわきあがった

ああ、わたしはこれから母の眼鏡になろう

母の眼鏡になって、母が路にまよったときは、少しでも見えやすくなるように

母の眼鏡になって、暗い時は母の足もとを明るくして、少しでも母が躓かぬように

母の眼鏡になって、これからの母の人生を生きていてよかったと思えるように

母の眼鏡になって、母とずっと寄り添って歩いていきたい

そんな眼鏡に、わたしはなろう  

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