« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »

2008年11月

今年もあと、残り一ヶ月です!        11月30日

遂に、11月も今日で終わります。皆さん、早いですねえ。昔から、「光陰矢の如し」とはよく行ったもので、一年なんてすぐ、過ぎ去ってしまいます。特に、うちら、中高年にとったら、もう、マッハの如く、時間が流れていき、また、歳を一つ越えることとなります。

考えてみれば、人間の一生なんて、地球が生まれてから現代に至る迄の歴史と比べたら、瞬き一つくらいしかないのじゃないでしょうか?そのまばたき一つする、ほんの僅かの瞬間に、うちら人間は、笑ったり、泣いたり、怒ったり、喜んだりコロこんだりするんですね。言い換えれば、その時にどんなに辛く悲しいことも、後で思い起こしてみると、「な~んだ!あれっぽっちのことで、苦しんでいたんだ。」と、思えるようになるのではないでしょうか?

人間は、独りではいきられないけれど、時には、一人になって自分の人生を振り返ってみる時間も大切だと思います。特に、私みたいに時間の遣い方の下手な人間はなお更ですね。今回の声のストライキのお蔭で、いろいろと自分のこれまでの振り返り、これから、どう生きていくかと言う自問をして、人生の棚卸しをさせて戴けました。

皆さんも今年も後、一ヶ月となり、また、慌ただしい日々が続くと思いますが、在り来たりな言葉になりますが、一日一日を悔いのないように過ごしていってください。

せやけど、子供の頃は、12月いうたら、クリスマスがあって。お正月を迎える、わくわくどきどきした時期だったけど、今は、なんか新鮮味がなくなった自分が、少し寂しいです。でも、クリスマスケーキは、しっかり食べるぞ!

                   byみかん

| | コメント (0)

紙芝居と学校の先生           11月29日

今時、よく教育問題について議論を醸しだされる機会が、テレビなどでよく為される。また、今日のお昼に、テレビをつけると、今の時代は校内暴力が、最も多いのだそうだ。

先日、学校の教育現場の先生方の集まりで、童心社の会長が、絵本と紙芝居についてお話をされた集まりに、私も出席させて戴いた。すると、先生方、特に校長先生が、紙芝居に大変興味をしめされたのに、驚いた。

私は、或る学校の校長先生とお話させて戴いて思った。校長先生も、昔は教鞭をとっておられた教師の時代があったんや。やっぱり、校長先生になった今も、教室の子供達とずっと、係わっていたいと思われるんや。そんな、子供達が大好きな校長先生が、子供達に紙芝居をされたら、そら、楽しいと思う。

紙芝居は、素晴らしいコミュニケーション文化だと、童心社の会長の酒井さんもおっしゃっている。その事実を知ること自体が、先生方の一番の衝撃であったようだ。

今の時代、担任の先生方は本当に忙しくて、子供達と触れ合う時間がないそうだ。楽しんで教えるということも大切なのかなあ・・・と、私は思った。

或る中学校の先生が、こんなことをおっしゃっていた。「僕は、紙芝居の実演が終わって最後に、三面開きの舞台の扉が、次々と閉じられていって、終わっていくのを観て、僕の授業は、広げっぱなしだったことに気がつきました。広げたまま、最後の終わりの閉めがなかったから、反省しています。これからは、授業をしたら、最後はきちっと閉めて終われるようにしたいです。」という、素直な気付きを述べて下さった。

私は、それを聴いて、紙芝居て、学校の先生に、そんなことまで気付かせることが出来る、凄い普遍的なものなんだと、改めて、紙芝居の魅力に驚いたみかんであった。

                    byみかん

| | コメント (0)

声がでなくなって判ったこと        11月27日

以前から、このブログでお話しているのだが、私は、風邪ひきをこじらし、ある日、突然、声が出なくなった。最初、凄いショックだった。それも、次の日紙芝居文化の総会に出席の為、東京へ行く矢先の時だった。

でも、心配する家族を振り切り、私は、そのまま東京へ行った。その時、一番不自由だと思ったことは、私に声をかけてくださる方々に、ろくろく挨拶の言葉を述べられないことでした、せっかく、声をかけてくださっているのに、本当に申し訳ない気持ちで一杯でした。

また、私が声が出ないようになった時のコミュニケーションの取りかたに、苦慮しました。手話が出来ないにで、それらしき身振り、手振りをしたり、筆談をしたり、なかなか、大変です。

でも、そんな声が出ない私と、とても自然にコミュニケーションがとれた方がおられました。それは、紙芝居文化の会の総会に、来られていた、盲目のミュージシャンの方でした。

帰りの新幹線で、ご一緒させて戴いた時、目が見えないその方が、私にごく自然に言われた言葉で、私はとても気持ちが楽になったことがあるのです。それは、「何の返事をしなくていいから、聴いてください。」とおっしゃって、お話をし始められたことで、とても、なごやかに、会話?いや、心が通じ合ったような気がしました。

私は、その新幹線の中での、その方の自然なやり取りで判ったことは、声を発して、話すコミュニケーションもあるけど、言葉のやりとりをしないで、黙って、相手のお話に耳を傾けて、そのお話に、共感したり、時には、リアクションの空気を送ることで、立派にコミュニケーションて、通いあわすことが出来るんだということがわかった。

言い換えれば、心のコミュニケーションと言うものなのかもしれない

それに関連して、私の家の近所に、交通事故で、全く言葉を話せない女性がおられる。だが、その方と道で出合った私達は、言葉を交わせないのだが、なんとなく、相手の言わんとしていることが、判るような気がして、コミュニケーションのやりとりが出来るのだ。

こうして、声を出せない私が、判ったことは、自分がしゃべれない分、余計に、相手の言葉を聴こうと云う姿勢が出来るのだ。こちらが話せないからこそ、相手の人の言わんとしていることを、理解しようと聞き手に徹する。これが却って、真のコミュニケーションを図れるのかもしれない。

言葉と言葉を交わして、コミュニケーションを図れるに越したことはないが、それが出来なくても、結構、相手のお話を黙って聴くことだけでも、気持ちって、通じ合うものなんだなあということが、よく理解できたみかんなのであった。

普段は、しゃべると止まらない私が、借り来た猫みたいに押し黙っているのが、とても面白いかったとおっしゃっていた、童心社の会長さんには、少し照れてしまったみかんであったが、それだけ私って、しゃべりな人間なんだと、思われていたのだと言う、自分の以外な、人様から見られるイメージみたいなことも判り、本当に勉強になった。

「声をなくし、初めて知らされる我がひととなりかな」みかん戯作

                byみかん

| | コメント (1)

弱気を挫き、強気を助ける世の中?      11月26日

今の世の中、どこがおかしいて言うたら、みんな、疲れてる。せやから、みんな自分より弱いもんにあたりよる。ストレスのはけ口にするから、いかん。

昔みたしいに、強気を挫き、弱きを助ける正義の見方は、何処にいるのだろう?昔も京都に、貧しい市井の民が、壁や塀に落書きをしていたそうだが、昔の庶民もやはり、同じ気持ちだったのだろうか?

何時の時代も、山と谷が在る。増して、昔は、もっと悲惨だっただろう。火山の噴火や、飢饉や、疫病の大流行。そんな無残な時代に比べたら、まだ、現代社会の閉塞感というのは、一つの時代の転機なのかもしれない。

話がまた、反れたが、何時の時代でも、鞍馬天狗や、黄金バットのような、正義の味方は必ず現れると、私は信じている。

何時までも、「弱気を挫き、強気を救う」様な時代では、必ずや、天誅が下るであろう。ムフフフ・・・・・」と、言っているのは、誰かな?

きっと、路地裏で子供達に、紙芝居を演じている、何時もの、紙芝居のおじさん、いや、おばさんだ!紙芝居の世界の中は、ワンダーランド。貴方のお望み通りのストーリーに展開しますよきっと。‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

               byみかん

| | コメント (0)

みかんの世直し数え唄          11月25日

一つ、この世の中の荒廃を嘆き、巷に馳せ参じ、出かけたものの

二つ、二言目には、世の中が、おかしい、狂ってきているとの噂を耳にし

三つ、みんなが幸せになるのには、一朝一夕ではいかぬことは、承知の上

四つ、寄ると触ると、肉親殺し、いじめ、虐待、自殺者が、後を絶たず

五つ、いつになったら、みんなが生きることを嘆かず生きていくことができるのか

六つ、むつかしく考え過ぎるから、問題が膨らむこともある

七つ、なんでやねんと、大阪弁で、一度突っ込んでみても

八つ、やっぱり、おもろいボケは還ってこないけど

九つ、ここいらで、一年発起する人々を呼びかけて

十で、とことんやりましょ!明るい未来築くべく、みんなですればこわくなんかない!

勇気を持とう!頭で考えていることを、行動に移す勇気を持てば、きっと、何かが拓けてくると、みかんは、信じ、紙芝居で、少しでも仲間が増えて、共に、生きることの喜びを分かち合おう!

             byみかん

| | コメント (0)

心の栄養剤て、なんやろう?        11月24日

今、巷では、元厚生省の次官夫妻を殺した、犯人のニュースで持ちきりだ。ここで、私は恐いと思うのは、遂、この前、大阪の北区で無残なひき逃げ犯人が捕まり、そして、もう、そのことには、全く触れていない。

そら、これだけ次から次に、ショッキングな残忍な事件が起きると、どうしても、人間て、なんか知らんけど、麻痺してしまうのかもしれない。何に?殺人に?それは恐い!忌みじきことだ。

今や、テレビや携帯電話は、一人に一台、もしくは一つ持っている時代になった。パソコンの普及率も、国民の八割方を超えていると言う。何を言わんとしているというと、今の世の中、こんだけ便利になって、知りたい情報がすぐに判る。だのに、こんなに、次から次と悲惨な事件が起きるのは何故か?

それは、人々から、心の豊かさがなくなって来たからではないだろうか?心の栄養剤が必要な時代になって来たのだ。では、心の栄養剤とはなんぞや?それは、いろいろあるやろ?家族との絆、感動する心、仲間との語らい、趣味に夢中になること等など・・・・・

だが、私は思うのだ。今の日本人に一番必要な栄養は、笑いだと思う。面白いと思う気持ち、ユーモアのセンス、愉快だと感じる気持ちが、なくなって来ているのではないだろうか?

うちが子供やった頃は、土曜日の昼、学校から帰ると、必ず、テレビで寄席番組があって、その後、吉本新喜劇をやっていた。そして、日曜日のお昼も、吉本新喜劇や、藤山寛美の松竹新喜劇が、必ず放送されていた。

大阪の終末は、それらのお笑い番組を観るのが、うちらのステータスやった。勿論、今でもお笑い番組は在るし、吉本新喜劇は在る。だが、なんか、よく判らないが、うちらの観ていた番組とは、笑いの質が、今のとは異なるのだ。

それは、何かとたずねたら、こんなこと言ったら、憚るが、今のお笑い番組て、凄くテンポが速くて、早口で、何言うたはんのんか、うちらのとろい頭では、とてもついていけない。

本当の(失礼)笑いというのは、間をもっととらないと、理解でけへんと思う。そのゆったりとした、間が抜けて、間抜けでおもしろい。つまり、理屈で笑わすのではなくて、その芸人さんの持っている、持ち味で、笑わす。その芸人さんが出て来るだけで、それだけでおもろい。なんか、笑いのオーラみたいなのがあって、一言でもしゃべったら、もう、笑いの予感がお腹の皮をくすぐる。遂に、ギャグがでると、もう、涙がでるほどおかしくてたまらない。それに、笑いて、伝染するんですよね。

なんか話が、牛のよだれんいなって申し訳ありません。要するに、勿論、お笑いの芸も時代と共に変化するのでしょうが、今の現代社会に欠けているものは、みんなで、お腹を抱えて、「ウワハハハ・・・・」と笑い飛ばす、パワーみたいなもんが、ひつようでんな。少なくとも、それがなくなってきてしもた。

現代人よ、心の栄養ドリンク、お笑いドリンクをみんなで飲めるように、自分で自分を笑い飛ばしましょう!スッとしまっせ。サッとさわやか、笑顔に勝る化粧なし。ボツ・・・・

                  byみかん

| | コメント (0)

未来の動物博士?との出逢い        11月23日

以前として、声は出ず、狐のような咳をしているので、マスクをかぶり、図書館へ行った。カウンターの前の机で、書き物をしていると、小学生の高学年位の男の子が、私の前で、「何か、紙と書く物ありませんか?」と、大きな声で尋ねていた。

私は、生憎、筆記用具を持ち合わせていなかったので、その机に備え付けてあるボールペンで、書いていたのだが、「ペンはないけど、紙やったらあるよ!」と言って、自分のもっているファイルに挟んであった、A4の紙を一枚差し出した。

その男の子は、「ありがとうございます!でも書く物がない。」と言うので、私は、その机に備え付けてある、もう一本のボールペンを取り出し、「これで書いたら?」とペンを渡した。彼は、「じゃあ、ここでしらべようっと!」と、柔軟な頭で、分厚い動物図鑑を引っ張り出して、開き何かを調べ始めたらしい。

私は、自分の書き物に集中していると、その男の子が、私に「あの、インドの西とかアラビアって、韓国の近くに在りますか?」と尋ねた。その図鑑を見ると、何か世界に頒布している動物の絵と説明がしてあり、どうも、学校の宿題で、韓国や朝鮮に住む動物を調べるようだった。

私は「インドの西とか、アラビアの国は、韓国よりもまだずーっと西の方に在るから、近くではないと思うよ。」と、応えると、彼は、また、必死で図鑑を調べ、遂に、韓国や中国に生息するネコ科の動物を見つけ、思わず歓声をあげた。

そして、わたしのあげた紙に、その動物の説明を一生懸命書き写していると、説明の中に、確か、「ユーラシア大陸エゾシカ」云々という言葉が出て来て、その言葉に引っかかり、目次を見て、一生懸命に捜していた。だが、残念ながら、ユーラシアウシとか、クマは載っているようだったが、シカはなかった。

すると、彼はどうしたかと言うと、今度は、動物別の目次で、シカの欄を探し出し始めたのだ。凄い!と私は、心の中で叫んだ。何時の間にか、彼の友達もやって来て、もう一冊の動物図鑑を、館長さんが、持って来てくださったのを、二人で見ながら、「よっしゃあ!この二冊で調べられる。二つ借りよう!」「せやけど、持ち出し禁止の本とちがうか?あっ、禁て書いてないわ。これで、いけるでえ!」二人は、嬉しそうに駆け寄って行く二人の少年を私は、机の前で佇みながら、見送った。

あの子達は、知る喜びと、調べることの楽しさを身につけている。本当の勉強て、ああいうことなんかなあ?図書館も利用し慣れているみたいやし、将来が楽しみや。

わたしは、口の見えないマスクの中で、にっこりと笑わずにはいられなかった。ほんのひとときの出来事だったが、私は、まだ、日本の将来も捨てたもんじゃないなあ。そう言えば、今年は、日本人のノーベル賞の受賞者が4人もいたはったんや。もう少し、希望を持とう。

未来の動物博士さん、今日の発見の喜びを大人になっても、ずっと忘れんといてね。せやけど、マスクした、ガラガラ声のうちのことなんかは、忘れていいのよ。あたりまえか!?

                 byみかん

| | コメント (0)

人は変われるのか?          11月22日

よく、「過去と他人は変えられない。」「自分が変われば、相手も変わる。」等と、格言めいた言葉を耳にする。確かに、この混沌とした生きにくい時代を生きていく為には、自分自身の変革が必要なのかもしれない。

では、本当に、すぐに自分を変えようとして、変えることが出来るのだろうか?私如きの話で、憚るが、私は、若い頃と言うか、つい十年位前は、物凄く、人見知りが激しく、後ろ向きな考えの、所謂、内向的な性格で、とても、初対面の人と話すことなど出来ず、増して、人様の前で紙芝居を演じるなんて、到底考えられなかった。

それでは、何故、今はこんな厚かましい、しゃべりな大阪のおばちゃんで、電車の中でも、病院の待合室でも、駅のトイレで待ってる時ででも、憚りなく、初対面の人としゃべれる様になったのだろうか?

それは、自分でも、正直言って判らない。だけど、一つだけ言えることは、紙芝居と出会いわせてもらい、いろんな方とご縁をいただいていく内に、自然にコミュニケーションの免疫みたいなものが出来たのだろう。

自分が変わろうと、無理に想ったのではなく、なんや知らんけど、こんな自分でも、なんとか人様と生で関わらせて戴いていると、嬉しいような、恥ずかしい気持ちを持ちつつ、誰かの為になりたい。なれるんちがうんかなあ・・・?て、勘違いかも知れんけど、思えるようになって来ました。

正直、そうなるまでには、本当に、以前にも言いましたが、何度も生きているのが、死ぬことよりも辛いことも、少しは在りました。そんな、いろんな人生の上り坂、下り坂、まさかの坂?(きみまろさんのギャグです)を、降りたり、昇ったりしているうちに、段々と角が取れて、すこうしは、お腹も心も、まあるくなって来たのかもしれまへん。

話題を元に戻しますと、人は、変われるかどうかと言うのは、一概には、言えないけれど、その人の生き方が変われば、変わるのだと思います。

よく言われる言葉で、

人間は習慣が変われば、態度が変わる。

態度が変われば、行動が変わる。

行動が変われば、生き方が変わる。

生き方がかわれば、人生が変わる。

この言葉を知っている方、もし、違っていたら、ごめんなさい。結構、今、自分の頼りない記憶力で記したので、細かい部分で、相違があるかもしれませんが、確かこのような言葉をだったと記憶します。

私が、この言葉を聞いて、決定的に想ったことは、「そうか、変わることって、そんなに難しいこととちがうねんなあ・・・」と、単純な頭で実感したのが、正直な話である。

だから、このブログを見て下さっている、貴方様もきっと、ちょっとしたきっかけや、習慣を変えることで、より素晴らしい人生を築くことが出来るかも知れません。

私のような、粗忽で、とてつもなく不器用な人間が、自分が一番大きく変わったと思えることは、どんなに、あほな過ちや、失敗したり、落ち込んだ時も、こんな自分やけど、「うちは、うちが大好きや!」と、思えるようになったことだと、思います。

ながながと、しょうもないことを書きしたため、失礼をば、致しました。何時も、見てくださり、ありがとうございます。みんなが、自分のことを好きになり、お互いの違いを認め合える世の中になれたら、素敵ですね。♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;

                 byみかん

| | コメント (0)

優先順位て、難しい!                   11月21日

私は、不器用やと、開き直る気持ちは、さらさらないが、物凄く生き方が下手だ。つまり、世渡りが上手くない。もう、一つのことに夢中になったら、新幹線みたいに、途中で止まらない。

この、いけない性格が、災いして、病院の先生に「声を出すと、手術しないといけないこともありますよ」と、宣告された。さあ、気の弱い私は、これは大変だと思い、もう、なにがなんでも、声をなおさんことには、紙芝居どころか、仕事も行けない。これはいけないと思い、静養生活に入ることにした。

だから、回りの皆様方に、多大なご迷惑をおかけして、本当に申し訳ない気持ちで一杯です。でも、この次にどうするかを考えるのが、一番大事と、なんぼ学習能力のない私でも判る。

そこで、大切なのが、優先順位なのだけど、これが、一番苦手なの。もう、情に流されるし、頭堅いし、お人よしと来ているから、順番無茶苦茶!

とにかく、そうやね!今はしゃべらないことに徹することよね!もう、筆談でも、ジェスチャーでも、とにかく、声を発さないコミュニケーションを致すことを、最優先。これが、一番大豆、まちごうた、大事。OK!

とにかく、そんな訳で、皆様には暫く、みかんの声をお聞かせ出来ませんが、こんな声でも、私にとっては、親から戴いた、大切な声なので、本当に、申し訳ございません。この場をお借りして、お詫び申し上げます。

皆様も、今年は、ものすごいインフルエンザが流行るとのこと、どうか、私を反面教師として、くれぐれも無理をなさらず、お身体を大切にして、休める時は休んでくださいね☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:*

              byみかん

| | コメント (0)

お母ちゃんがいてへん!         11月20日

日は、久しぶりに孫の静流ちゃんが、我が家にやって来た。勿論、母親の娘とワンセットだ。花の一割引のスーパーで、買い物を済ませ、遅い昼食を食べ終わり、私達は二階で、三人川の字になって、お昼寝をすることになった。

風邪をひいて声が相変わらず出ない私は、この小さな幸せにひと時の喜びを見出しながら、いつしか、とろとろと、まどろんでいた。すると、今までご機嫌が良かった、静流ちゃんの泣き声が聞こえて来るではないか?

私は、夢うつつで、「おむつ変えたげた?」と、娘に問いかけた。すると、返事がない。はたと、目が覚めて振り向くと、なんと、そこには、目に涙を一杯ためて、静流ちゃん独りが、横たわって、泣いているではないか?

「えっ!まじ?」私はうろたえた。自慢じゃないが、静流ちゃんの扱いには慣れているものの、悲しいかな、彼女が今、欲しいのは、唯、一つ、お母さんのおっぱいであることは、瞬時に読み取れた。

孫を抱きながら、家中探し回ったが、娘は居ない。携帯に電話したいが、声がでえへんので、皆さんお解りになるでしょう!多分電話しても、静流ちゃんの声の方が遥かに大きいのです。「まあ、ええわ。そのうち帰ってくるやろう・・・」私は、そう、思い返し、静流ちゃんをだっこしながら、あやしていた。みなさん、想像してください。声の出んのに、赤ちゃんあやすのって、結構大変なんです!

もう、静流ちゃんの我慢が限界に来た時、玄関の戸が開き、娘の声がしました。すると、二階の廊下で、うろたえている私の腕の中で、泣き叫んでいた、静流ちゃんの声が、ピタッと止んだんです。やっぱり、お母さんて、凄い!

帰って来た娘のお乳に、安息の居場所を獲得した孫の幸せそうな顔を見ると、私まで嬉しくなって来たし、気が抜けてしまった。私は、声がでへんのでジェスチャーで、メモを書く仕草をして、娘に少し叱った。

せやけど、まあ、しゃあないか。一日中この状態では、そら、買い物にでも出かけたくなるなあ・・・偶然にも、その日の郵便ポストの中に、地域児童虐待防止協力委員の、初めての地域での集会の案内のお知らせが、あった。

自分が、年子を子育てしていた時に、近隣の方々に、大変なお世話になって、そのお蔭で、しんどかったけど、孤立しないで子育てさせて戴いた恩返しを、今させて戴きたいと想い、紙芝居の活動や、子育て支援に拘わらせていただいているが、恥ずかしながら、我が孫さえも、ちょっと母親が出かけただけで、うろたえる様では、まだまだ、修行が足りんなあと、思いつつ、せやけど、やっぱり孫は可愛いと、一人、訳のわからん事を思いつつ、早く、声が出るようになって、紙芝居を子供さん達に、観てもらいたいと切に願う、みかんであった。ほんまに、泣く孫(こ)には勝てんなあ・・・・

                 byみかん

| | コメント (0)

みかん、ちょっと休みます・・・           11月19日

今日は、朝から完璧に寝込んでしまい、声は、全く出ず、頭はガンガンに痛く。怒涛のような咳が、きつねの鳴き声みたいにコンコンと出てきた。「もう、あかん・・・この世とおさらばや!」などと、悲観的に考えた私は、誠に勝手ながら、ここで休養を摂らせて戴くことを決断した。

本当に、申し訳ないことではあるが、一日も早く、完治さすために、予定していたスケジュールのお断りをさせて戴いた。本当に申し訳ありません。

明日は、布団から起きて、ぼちぼちと自分のことをやれるようになれると想います。寒さが急に襲ってきました、私が申し上げるのも憚りますが、どうか、お身体を労わって下さい。

紙芝居をやlらせて戴いている私にとって、声が出ないことが、一番辛く、今は「無言療法」で、声を取り戻す為に、口にチャックして、家族とも身振りや、筆談でコミュニケーションをとらせてもらっています。「当たり前の有り難さ、病みて身に染む」

今の世の中のさまざまな事件も、当たり前の幸せな生活を理不尽に、犯された事件が多く、私は、なんとも言えない悲しさを感じます。多分、皆様も同じ考えだと思います。当たり前の生活の幸せを守ることが、これからの私達の宿題だと思います。話が、それました。

今日は、この辺で、止めておきます。お休みなさい

                 byみかん

| | コメント (0)

私は貝になってしまった             11月18日

確か、今月の22日封切りで仲居正広主演の「私は貝になりたい」という映画がある。戦争で、理不尽に死刑にされた、散髪屋の男の話で、確か、戦後「フランキー堺」と言う方がされたのをテレビで見たことがある。    

主人公の男性が、最期に言った言葉が「私は、もしもう一度生まれ変わることが出来たなら、海の底に沈んでいる貝になりたい。」と言ったシーンが感動的である。

何も言いたくないのか、もう、誰にも心を開きたくないの、それは定かではないが、私も、風邪をひき、声が出なくなり、初めて判ったことは、自分の思っていることが、相手に通じない、このもどかしさは、少し判るような気がした。

少なくとも、まあ、私が貝になっても、やどかりみたいに、ふらふらとしていて、おぼつかない足どりで、ヨタヨタと歩くのが似合っているっような気がする。

当たり前に話せることが、どんだけ幸せなことか、声の出なくなった、貝、厭、やどかりになってしまったみかんは、まざまざと実感したのである。

せやけど、おかんの声が出えへんようになったら、なんで、娘がテンションあがるのん?うちの変わりに、ムードメーカーしてくれてんのんか、はたまた、私を元気付る為なのか、定かではないが、バーゲンで、半額に負けてもろたから言うて、おんなじ服を二着も買うとこが、まだまだ、こどもやなあ・・・ほんま”!

              byみかん

| | コメント (0)

虹を観たみかん               11月17日

今朝は、早起きして声も出ないのに、出かけた。何処へ?それは、滋賀県の琵琶湖に浮かんでいる、竹生島。何故?それは、紙芝居のご縁で出逢った、ミュージシャンの方の歌を奉納する為。

彼とその奥さんと、その島を紹介して下さった女性とその友人と私と5人で、ひこにゃんで有名になった、彦根市の彦根港から、高速船に乗って、私達は竹生島へと向かった。

その船窓には、物凄い湖面から跳ね上がる、水しぶきが舞い上り、久しぶりに船に乗って、おっかなびっくりだった私は、思わず「あっ!」と叫びたくなった。でも、声がでない。私が観たのは、その船にぶち当たった湖面の水しぶきが、太陽の光に反射して、なんと、七色の虹が、くっきりと湖面の上に架かっているではないか?

私は、なんとも言えない感動を覚え、この美しい虹はきっと、竹生島の弁財天様が私達の来るのを、歓迎してくださっているのだと、想った。

島に着いて、私達は、すぐに本殿に昇って行った。其処は美しい湖面が、きらきらと美しく輝く、まるで、宝石を散りばめた様に光っていた。

案内して下さった方が、神様が此処まで来ておられると、教えてくださった。私は、こんな不思議な光景を観たのは、生まれて初めてだ!湖面がうねっている。湖のはるか彼方の光景が、ちらちらと、眩いばかりに輝き、次から次へと、私達の方へきて下さるのが判る。

やがて、みんながそれぞれの願いを書き、本殿に上がり、お願いをした。本当にこんな素晴らしい処へ連れて来て下さった、ミュージシャンの方の奉納された歌声は、素晴らしかった。私も、自分の一番想いを込めている「おかあさんのはなし」の紙芝居を持参し、神殿の前で、出ない声で、実演させて戴いた。

後で、宮司様にお伺いした話によると、こんなに風もなく、穏やかに晴れ渡ったお天気は、本当に稀で、それだけ、そのミュージシャンの方の想いが天へと届いたのだろう。

奉納させて戴いている時、私如きのような、ちっぽけな人間が、紙芝居を広めさせて戴いて、世界の平安を願うことは、誠に恐れ多いが、連れて行って下さった、神社の方や、皆さんのお蔭で、無事にお参りをさせて戴いた。

おりしも、その日は、紙芝居文化の会の総会の明くる日であった。私は、あの船窓から観た虹と、湖面の輝きを、ずっと忘れないで、これからも、紙芝居文化の普及で、人々の幸せを培っていきたい。

野田由美様、熊野信一様、連れて行って下さって、本当にありがとうございます。今度は、声の出る時に、紙芝居の舞台を持って、実演を奉納させて戴きたく存じます。ありがとうございます。

              byみかん

| | コメント (0)

娘に叱られたので・・・・         11月14日

もう、これで今年で4度目の風邪をひいてしまった。このか弱い身体で、私は、明日から東京の紙芝居文化の会の総会に出席するため、旅立ちます。

このブログを打っていると、娘から、「はよねえや。睡眠とらんと、風邪治れへんで!」と、お叱りの言葉を受けた。

そんなわけで、風邪の為、大切な声も出なくなってきたので、今夜はもう、休ませて戴きます。皆様、お休みなさい。「老いては子に従え」と言うほど、まだ、歳を積み重ねてませんけど、最近のハードなスケジュールで、みかんも、ここいらで、少し旅をして、リフレッシュしてきます。

では、皆様、次回のうちのつぶやきが、どう、変わったかを、乞うご期待!えっ?あほなことばっかりゆてんと、はよ風邪治しんかいて?ご無理ごもっとも、娘の方が、よっぽど自分の健康管理出来てるみたいで、親の悪いとこ似んと、ほんまに良かった。

子は、親の背中を見て育つとは、よく言ったもんで、お後がよろしいようで・・・・

                 byみかん

| | コメント (0)

今年の漢字は、いいかんじ!         11月13日

毎年、年末になると、今年一年の世相を端的に表す漢字を一字、選ばれる。さて、今年はどんな漢字になるのか、興味深深だが、この暗いニュースばかり続く一年、果たして、清水寺の奥の院の大舞台に、貫主様はどんなお言葉を書かれるのであろう?

今年は、日本語ブームということなのか、結構、漢字のクイズの番組等が多かったように思われる。このブログを打つのに、誤字脱字だらけの私にとって、とても勉強になるし、有り難い。

考えてみれば、今年の一月に母が、生まれて初めて、全身麻酔で腰の手術をした際に、立ち会った時、もう、不安で、心配で、孤独で、居てもたってもおられない時があった。

その時、私の心のバランスを救ってくれたのが、小学校のお話会でする、漢字のクイズを、持参したクレパスとスケッチブックで、一心不乱に漢字のクイズを考えて、描いた。

あの時、漢字クイズの本を貸してくださった、ボランティア仲間の方に、本当に在り難いと思った。その、作業をすることで、私は、漢字がもっと好きになり、漢字のことをもっと知りたいと想った。

御存知の通り、漢字を遣っているのは中国と日本だけである。漢字は中国から伝わったのだが、私は、日本人がとても偉いと思うことは、漢字から、平仮名や、カタカナを考えたことである。

日本人は、漢字だけだと字画も多く、表記するのも、とても大変だけど、漢字と一緒に、ひらがなや、カタカナを駆使して文章を書くということを編み出した。これは、画期的なことであると、私は思う。

日本人が、本当に苦心して、創り出した、美しい日本語を、私達は出来るだけ、次代を担う子供達に、受け継いで行って欲しいと想う。

私ごときが言うのもなんだが、今年の漢字は、何か希望や夢の在る、未来を拓いていけるような漢字が、選ばれて欲しいと、切に願うみかんであった。

「漢字がかんじんやでえ!」と、子供さん達に、つまらないだじゃれを言っている私だが、これでも結構、真剣なのだ。みんな、めんどくさいけど、出来るだけ紙の辞書を使ってね!

               byみかん

| | コメント (0)

間一髪、間におうた!           11月11日

母ちゃんが、包丁で指を切って、大怪我をした。何時も、お脳に血が良く流れるようにする為に、血流を促すお薬を飲んでいるので、血が止まらない。

私は、午後7時に、授業があるので、母はそれを思い遣ってくれているのか、自分で、手当てをして、なんとか血をとめようとしたが、出血は一向にとまらない。私は「これは、尋常ではない。やっぱりお医者さんにいかんとあかん!」しかし、時間がない。

私は決断した。「お母ちゃん、塾に行く前にお医者さ迄乗せて行くさかい、病院で診てもらおう!」もう、しのごの言っている場合ではない。私は、すぐに支度をして、車を走らせ、何時も、デイサービスでお世話になっている、外科病院に、母を連れて行き、母を降ろすと、すぐに、Uターンして、塾に向かった。

「あっ!行き過ぎてしもた。路はだんだん細くなっていく。此処は何処かいな?どうしょう、困った。もう、間に合わんかも・・・・」そんな自問をしていると、やっと、何時もの大通りに出られた。「ああ、よかった。間に合った!」

私は、間一髪、教室の入り口に入ろうとしたら、誰かが、元気良く、「こんばんは!」と挨拶してくれた。私も、慌てて、返事を返した。もう、辺りはすっかり暗くなっているけど、私の心は、ほっと、安堵感を実感出来た。

授業が終わり、家に帰って母に、容態を聴くと、出血多量でもう少しで、救急病院行きになるそうだったとのこと。私は、大事にならず、ほんまに良かったと、ほっと胸をなで下ろした。それでも、母は、「明日のデイサービス行かれへんねんてえ・・・」と、子供の様にしょげている。

お母ちゃん、命あってのデイサービスやさかい、ちょっよだけ、辛抱しいや。まったく、母の気丈さと、融通の利かないのには、困ったものだ。だが、心配出来る親が居てくれることは、有り難い。母も、幾つになっても、子供に心配かけたらいけないと思い、私に傷の手当をさせようとは、しなかった。

「お母ちゃん、我慢せんと、痛かったら痛い言うてくれていいんよ。うちは、頼りないけど、なんとかなるから。」私は、きっと、塾に間に合ったのも、偶然じゃない。そう思い、人間、火事場のくそ力だしたら、でけへんことも出来るもんやなあと、改めて、気づかせてもらえた、みかんであった。

                byみかん

| | コメント (0)

深刻と勘違いは、紙一重           11月10日

先日の新聞に、お名前は忘れたが、或る方が「深刻と勘違い」と云う見出しで記事を書いておられた。私は、その記事を読んで「成程、その通りやなあ。人間、深刻に考えているのを、客観的に観ると、勘違いしていることが結構多いなあ・・・」

はらはらと舞い落ちる、一葉の葉っぱにも、表と裏があるように、人間が思い煩っている、深刻なことって、勘違いと紙一重な関係なのかもしれない。

かく云う私も、昨日これとおんなじような、体験をした。バイクで、ガソリンを入れるのをさぼっていたのにも拘わらず、住吉人権文化センターまで、紙芝居大好きの会の定例会に出席する為、飛ばして行った。すると、運よく、でも、やっぱり、もう少しで到着すると云う時に、案の定、ガス欠で、エンストしてしまった。

「しまった!でも、ええか、もう、ちょっとで着くから、バイク押して行こうっと!帰りはなんとかなるやろ。」と、相変わらず、O型のええ加減な性格で、どっこいしょっと、バイクを館の駐輪場にとめさせてもらい、会に臨んだ。

そこでも、アバウトな私に代わり、皆様のお蔭で、先日、開催させて戴いた、紙芝居の公開講座の、収支決算をして、頼りない私に代わり、きっちりとお金の計算を合わせて下さった。本当に有り難い。なんのやましいこともしていないが、お金の計算がなかなか合わないと、はらはらドキドキする。(皆様、ありがとうございます)

やっと、会が終わり、さてみなさんと別れた後、バイクを押しながら、どうして帰ろうかと、思案して、とにかく広い路に出たらなんとかなるやろう。と、言う事で、私はバイクを押しながら、大通りに出た。すると、なんと、運のいいことに、バスの車庫があるではないか?

私は、「しめた!ここでガソリンを分けてもらおう!」と思い、車庫の中に入って行った。そして、奥から出て来られた運転手さんと思しき方に、「すんませ~ん!バイクのガソリン切れたので、分けてください!」と、大声で叫んでお願いした。

この場面を後で思い出すと、顔から火が出るほど、恥ずかしい。私は、凄い勘違いをしていた。運転手さん曰く「バスに入れるのは、軽油やから、バイクに入れると大変なことになるから、入れられないですよ。」あ~、知らなんだ。なんと無知で、お馬鹿な私。でも、そこで、めげずに「この辺にガソリンスタンドありませんか?」と尋ねたら、親切に教えてくださった。

みかん、大失敗の巻き。果たして、みかんは、バイクを引き摺りながら、ガソリンスタンドまで、よたよたと、歩いて行った。「でも、深刻に考えず、勘違いして、良かった。ほんまに、うちは、ノー天気な人間やなあ。」そう、こぼしながら、なんとか家路に辿り着いた、みかんであった。みなさん、ガソリンけちったら、えらいめに遭いまっせ!「備え在れば憂いなし」とは、よく言ったものだ。と、反省するみかんであった。

                byみかん

| | コメント (0)

悪事千里を走る               11月8日

大阪の北区で起きたひき逃げ犯人が、逮捕された。「やっぱり、すぐ捕まるとおもてた・・・・」私は、すぐにそう、考えた。諺で「悪事千里を走る」とは、よく言ったものだ。

悪いことをすると、どんなに逃げても、すぐに見つかるというような意味であろう。悪いことをすることを諌める諺なのか、本当の真実なのかは定かでないが、人間の悪とは、人間の過ちと言うよりも、エゴから来ているのだろう。

このひき逃げの犯人も、免停中の執行猶予時の犯行で、捕まったら、刑務所に入れられるのが厭で、轢いた時にすぐ助けていれば、亡くなられなかったかもしれないのに、我が身可愛さの執心で、尊い命を奪ってしまった。

神仏など居ないとおおもいなのか、はたまた、今まで悪いことをしてきても、罪を逃れることが出来たことが、災いしたのか、助かる命を踏みにじってしまった罪は重い。

今の世の中、なんでこんな節操がないのかと、無い知恵絞って考えるのだが、やっぱり、みんな、命に対する気持ちが軽い。ゲームしてても、死んだらすぐ生き返る。テレビ観てても、この前殺された人が、もう生き返ったはる。身近な人の死に目に逢ったことがない。

せやから、人間は死んだら、焼き場に行って、骨と灰になってしまい、六親眷属みんなが、亡くなった人を偲んで、嘆き悲しむ姿を、子供の時に一度でも見たことがあれば、こんなに簡単に、殺人なんてできないと想う。

タイトルから、かけ離れていきましたが出来るだけ、悪いことせんように、みんながお互いに助け合っていける世の中になったらいいと想うみかんであった。

殺し合いや、いじめや、暴力シーンは、紙芝居を通じて、みんなで観て、「そら、あかんで!」と、誰か突っ込んでくれたら、よろしおます。

                byみかん

| | コメント (0)

アメリカが変われば、世界は変わるか?      11月5日

アメリカ合衆国の大統領が、遂に決まった。新しいリーダー、オバマ氏が、果たして、これからのアメリカの希望の星になれるのか?

私達日本人は、対岸の火事と観るか、同じ時代を生きていく、これからの舵をとってくれる人と捉えるかで、凄く認識がかわって来る。

今、日本の国の閉塞感、格差社会、少子高齢化社会をクリアー出来る、突破口に成り得るかしれないのだ。

アメリカが変われば、日本も変わる。時代は、今、大きなうねりの中に在り、私達は、その真っ只中を生きているのだ。よくよく、目を澄まし、耳を欹てて、世の中の動きにアンテナを張りめぐらし、自分自身の価値観をしっかりと持っていないと、とんでもない事態になる。

オバマさんは、そういう意味で、日本の政治家の人達にも、当事者意識を目覚めさす、起爆剤になり得る可能性がある。

何が言いたいかと言えば、今まで、江戸時代の鎖国のように、旧態依然として、何もしないことが、全て良しであった政治に、新しい新風が吹き荒れることになり兼ねないということである。

うちら、一般庶民も、このまま先の見えない不安な時代が続くのは、やっぱり困る。御存知の方もおられると思うが、不景気になると、桶屋がもうかる。ちゃうわ!不景気になると、やっぱり、戦争せな景気が回復しないという、発想が、一番恐い。時代が戻ってはいけない。

いかに、若者の心が、荒んでも、いかに世の中の道徳が乱れても、いかに、貧富の差が激しくなろうとも、絶対に戦争だけは、避けなければいけない。戦争は、全ての物を破壊するだけだ。これからの時代が、良くも悪くもなるのは、私達一人ひとりが、どれだけ人間を信じ、自分を信じ、コミュニケーション力をつけ、働く喜びと、世の中の役に立つことの意味を見出していくかということを考えることが、大切だと、私は思う。

なんや、今日は、時事問題から、小難しい話になってしまいましたが、今の子供達を見ていると、未来に夢を持てない子供達が、あまりにもぎょうさん居てるみたいで、うちは、それが、一番辛いのです。オバマさん、期待してまっせ!

              byみかん

| | コメント (0)

がんばれ!三枝さん             11月4日

落語家の桂三枝さんが、創作落語を引っ提げて、全国ツアーをされるとのこと。今年、65歳になられる三枝さんの、バイタリティーには、本当に頭が下がる。

桂三枝さんは、私が初めて、生でお会いした芸人さんだ。あれは、確か、私が中学生の時、近所の大学生のお兄さんに連れて行ってもらって、同級生達と、梅田の駅で、三枝さんと偶然に出逢った。うちらは、喜んで、まだ、売りだし中の三枝さんに、キャッキャッと取り囲み、マネージャーさんが持っていたかばんに、骸骨のホネホネ人形がぶらさがっていたのを覚えている。本当に、三枝さんは、気さくな方で、うちらみたいな、ガキ、いや、子供でも、しっかりと、お相手をして下さった。

あれから、もう何十年という年月が経ったというのに、落語家としての人気と実力は、少しも変わっておられない。高校受験の時は、土曜日の夜、ラジオで「ヤングタウン」を聴きながら、勉強するのが、うちら、受験生のステータスやった。

三枝さんの明るい声と「いらっしゃ~い!」というギャグを聞くと、勉強していても、ちっとも孤独にならずに、千里のスタジオに、自分も一緒に居ているような気持ちになれた。

そんな三枝さんの話術の上手さは、落語にも、しっかり反映していて、常に時代の先を行く、創作落語に力を入れておられた。考えてみると、もう、何十年も前から、創作落語を手掛けておられたのだが、誰もやらないことをすると云うことは、本当に大変なご苦労があったと思う。

時代の魁となる人は、常に、自分と向き合うことが、強いられる。これで、いいのだろうか?自分のやろうとしていることは、時代の先端を行くものなのか?全くそれは未知のものである。信じられるものは、自分自身と、観客のみ。

この度、三枝さんが、創作落語を全国、40ヶ所でされるということは、本当に勇気の要る決断であったとおもわれる。だが、大阪に落語の定席、天満の繁盛亭を造られた方だからこそ、そんな、スケールのでかいこと、思いつかれ、また、実行されるのだろう。

三枝さんの落語を聴きに行った時に求めた、「念ずれば、花開く」と書かれた色紙を、部屋に飾って、私も、いつか自分の夢を叶えられる時が来ると信じ、三枝さんにエールを贈る、みかんであった。

              byみかん

| | コメント (0)

11月のみかんの予定           11月3日

11月の声をきくと、もう、冬の到来が近づいてくるようで、日が暮れるのが、早くなり、自宅で、過ごす時間もだんだんと、長くなって来ます。私は、今年、生まれたばかりの孫の為に、編み物をして、過ごしている日もあります。皆様は、如何お過ごしでしょうか?

さて、今月も青空視観は、皆様に紙芝居の素晴らしさをお届けしたいと想い、活動をさせて戴きたいと存じます。何卒、宜しくお願い申し上げます。

                      

11/2(日)   キッズプラザのボランティアさんの講座     午後

          12/14(日)紙芝居のお話会の練習     扇町公園内

11/5(水)   田辺親子サロン        午後2時~2時20分頃

         大阪市東住吉区田辺会館にて

11/6(木)    有馬外科医院デイサービスさん        午後2時30分~3時

         大阪市東住吉区

11/8(土)   青空視観 の紙芝居教室   午後2時~4時

         すずき住建様田辺スタジオ(なちゅらるすずき)

11/9(日)   紙芝居大好きの会定例会    午後2時~4時

          住吉人権センター

11/15(土)16(日)

          紙芝居文化の会主催総会      東京都吉祥寺 

11/20(木)   デイサービス「わたの花」さん  午後~

          大阪市平野区加美正覚寺

11/22(土)   青空視観の紙芝居教室     午後2時~4時

          すずき住建様田辺スタジオ(なちゅらるすずき)

11/23(日)   全興寺街頭紙芝居       午後2時と3時

上でございます。尚、これら、全てのお問い合わせは、06-6621-2467(山口)迄お願い申し挙げます。

それでは、今月も、あせらず、あわてず、あきらめず、くさらず、この4つの言葉をモットーに、ぼちぼちと、紙芝居をさせて戴きますれば、幸甚でございます。皆様も、くれぐれも風邪など召されないように、お身体を労わってくださいませ。ありがとうございます!

                            青空視観★゜・。。・゜゜                                           

| | コメント (0)

ぼちぼちいこか!             11月1日

11月に入るや否や、やれ、年賀状の受付や、やれ、クリスマスのケーキの予約、お節料理の申し込み等など、全く気忙しい時期になって来た。

考えてみたら、11月て、季節の行事らしい行事てないねんなあ・・・と、改めて感じた。こんな季節は、もうちょっと、ゆっくりと美術館に行って、絵を見たり、山に登って、紅葉を愛でたり、外に出掛けんでも、家でゆっくりとお茶でも飲んで、お煎餅かじりながら、テレビで、イケメンパラダイス観て、現実の世界から暫し忘却するのもええかもしれん。

今日の新聞の記事に書いてあったけど、現代人は、あまりにも目まぐるしく動き過ぎている。もっと、冬眠のクマみたいに、じっとして、自分自身とお話する時間もあっていいし。また、なんにも考えんとぼーっとしている時間も必要やと想う。

考えてみたら、携帯電話が普及してからやなあ。せわしなったんは。電車に乗ってて、片時もはなさんと、心のバランスのさざえ否、ささえみたいに携帯電話を片手で握っている若者を見ると、しんどいやろなあ。携帯のお世話って、たまごっちみたいに、達成感ないし、たまご育てる喜びもないやろ。ただ、誰かと繋がっているということを確認の確認する為みたいに、メールせなあかん時もあるしなあ。

かく言う私も、携帯は持ち歩いているが、自慢じゃないが、めっぽうメカには弱いので、メールと通話と、目覚まし時計にしかよう使わん。携帯に使われるのは厭だ。

昔から、「時は金なり」と言われているが、現代人の私達は、時間泥棒の「モモ」ではないけど、うちら現代人は、もう、ITと云う機械に時間や心までも奪われつつあるのかもしれないと、うちは、思う。

みなさん、この季節、年越しの準備を考えるのを、もう少し先送りして、読書をしたり、映画やお芝居観たり、美術館に行ったり、公園を散歩したり、こたつを出して、おみかん食べながら、イケメンパラダイスを観るも良し、い眠るのも良し、とにかく、もうちょっとだけ、ぼちぼちと、時を過ごしませんか?

そう言う私も、明日は、町会の公園のお掃除と、一日、出掛ける用事があるんです。今から、テレビ観て寝ます。

ちと、娘の部屋のビデオの音が響いてるけど・・・・嗚呼、彼女もやっぱり、イケメンパラダイス観てました。血はあらそえんなあ・・・・ガクッ

            byみかん

| | コメント (0)

« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »