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2008年7月

私達に明日は在る! 7月30日

アメリカの映画で、「おれたちに明日はない」という作品が、あったと記憶する。私には、この映画のタイトルが、妙に空しく思われる。この映画の作品自身の内容がどうのこうのと言うのではなく、少なくとも、明日が、誰しにも確実にやって来るのだと云う希望だけは持ち続けていたい。

NHKで、今、毎晩、太平洋戦争に行った兵士達の記録の番組が、放送されている。その番組を観て、私が感じたことは、戦争に行かれた兵隊さん達には、少なくとも「明日」などない気持ちの人達が殆どだったであろう。生き残った方々の証言を聴くと、みんな、死ぬ為に戦争に行くのだと、考えていたと、おっしゃっている。

太平洋戦争が終焉し、63年が過ぎようとしている現代、私達は、今、もう一度、この数少ない、生き残った戦争に行かれた方の話を、真摯に耳を傾け、そして、記録として残し、この悲惨な戦争によって、たくさんの犠牲者の方々の尊い命と引き換えに、今の平和な日本の国が在るのだというjことを、深く胸に刻み込んでいく必要があるのだと、私は想う。

私達に明日が在るということは、未来と希望が在るということだ。それは、命の繋がりが、これからもずっと続いていくということだと、私は考える。私は「戦争を知らない子供達」の一人である。「戦争を知らない子供達」は、これから、「戦争を分からない子供達」「戦争を知らされない子供達」に、戦争が終わり60年以上が過ぎた、今は、平和を守ることと共に、平和を築いていく時代になってきているのだと、私はここで、敢えて、口を大にして申し上げさせて戴きたい。

それが、あの悲惨な戦争を潜り抜けて、生き残ってきた両親から生まれ、子供の頃から、戦争の恐ろしさを聞かされて、育った私達、「戦争を知らない子供達」の務めであると、想っているからである。

             byみかん

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星新一の宇宙の法則 7月28日

星新一の、「ショートショート」の話の中に、或る男が、罪を犯した罰として、他所の星に送られる。その星は、地球にそっくりな星で、そして、彼が住んでいる家も、全く同じように在り、そして、彼の妻も子も、違わず同じように居た。そして、地球と同じ生活を送った。

なのに、彼は孤独だった。それは、唯一、其処の場所が、自分の生まれた星、地球ではないからだ。やがて、年月が過ぎ、彼は、彼と同じように地球から追いやられた男と知り合い、初めて孤独から解き放れることが出来たのだ。

今日のNHKの番組で、星新一の特集番組と、ふと、出くわし、この話がとても心に残った。「これって、今の自分に似てるなあ。」と、感じるのである。いや、今の殆どの社会の人間が、現状の生活に満足せず、何か空虚さを実感しつつ、毎日を慌ただしく、しかし不満足さを秘め、或いは、顕わにして日々の生活を送っているのではないだろうか?

星新一の「ショートショート」は、学生時代に読んだが、その時は全くもって、これらは、みんなナンセンスな、架空の話であると、その時は考えて読んでいたように記憶する。だが、それが、今、本当にそんな世の中になって来ていることが、とても恐ろしく恐い。

先に述べた物語の男が、地球と全く同じ星に送られたということで、日々の生活に満足出来なかったのは、其処が本当は、地球だったのかも知れないのに、彼が、地球ではないと信じていたからだ。つまり、当たり前の生活をしていることに、満足出来ないのは、彼が、決して悪い訳ではないのだが、今の生活がありがたいものであると、思えない所に、彼の不幸な気持ちが生じるのだ。ありがたいとは、「有り難い」もしくは「在り難い」と、漢字で表記するように、「有る」「在る」ということが、難しいということだ。

えらい、こむずかしい、国語の話になってしまい、申し訳ないのだが、何を言いたいかと言えば、私達が、今、当たり前だと思っていることが、全て、「在り難い」のだ。この小説の男は、その地球に似た、他所の星での生活全てが、地球ではないという、大前提があった為、当たり前ではない生活なので、幸福感を得られなかったのだと、私は思う。

つまり、日常生活のふつうさが、在り難いのだ。朝、起きたら目が開き、起きられる。息が出来る。歩ける。朝ご飯が食べられる。新聞が読める。テレビが映る。今日一日が、始められること。何時も通りの生活の中で、私達は、小さな喜びを見つけ、味わい、共に生活していくことが、本当の幸せなのだと思う。

こんな、えらそうなことを述べている自分も、今の生活に不満をたらたらと言うことの方が多いのに、星新一さんに気付かせてもらえた、みかんであった。きっと、今頃は、宇宙の何処かから、地球人の行く末を見守っておられるのであろう。

               byみかん

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紙芝居は、涼しいで~ 7月27日

今日は、月に一度の、平野区に在る、全興寺(せんこうじ)さんの、街頭紙芝居の日。そうなんです。毎月第4日曜日の午後2時と3時に、境内の水掛お不動尊の前で、やっています。が、なんと!今日は夏休みも始まって、子供さん達も一杯来ているだろうと思って、意気揚々と、お寺に着くと、誰も居ない。

「何故だ?どうして?そんなはずはない。」いろいろ、ぐるぐる頭の中を整理し、自ら、拍子木を持って、紙芝居の呼び込みに行き、おも路地の処まで来て、遊びと駄菓子のスペースの入り口の戸を開けて、その原因が、すぐに判った!

なんと、そこは、まるで屋外のうだるような暑さとは、別世界のように涼しく冷房が入っていて、みんな駄菓子を食べたり、ボールで遊んだり、中には、縁台で将棋を差している子も居た。「こら、来んはずや。」

私は、とにかく、2時から紙芝居が始まるから来てやと、声をかけ、紙芝居のする場所に戻った。呼び込みの子供達に水飴の引換券をあげて、そのまま、観客になってもらった。

紙芝居が始まると、不思議と人が、なんとなく集まってくる。名古屋から、いつも駆けつけて下さっている、グレッチ姉さんの紙芝居が始まると、子供達も、真剣な眼差しで見入っていた。続いて、鈴木常勝さんの、こわ~い「番町皿屋敷」の紙芝居。夜、呪われたらあかんと言うことで、まよけのお札をみんなに配ってくださった。そして、背筋も凍るような、階段、いや、怪談のお話が始まった。鈴木さんの語りは、やっぱり、観ている人を惹きつけるだけの凄いものがある。さすがだ。続きまして、いよいよ私、みかんの出番。

鈴木さんが、恐いお話だったので、私は、、おもしろい話と言うことで、「いもころがし」の紙芝居をさせて戴いた。この話、させてもろたら、子供さんより、大人の方に受けたようだ。

でも、みんな紙芝居の中に出てくる、お寺で出されるお膳を、精進料理と答えたのには、驚いた。さすがは、現代の小学生は、とても物知りだ。

グレッチさんのクイズが終わり、水飴を引き換えてもらうと、子供達は、一目散にまた、涼しい、ひえひえのおも路地へ飛んで行った。「嗚呼、3時もやるから、帰って来て・・・・」

そんなつぶやきの声が聞こえたのか、遅れて来られた御住職が、3時の紙芝居は、涼しい、おも路地でさせてくださった。ああ、天国みたい。こんな涼しいところで、紙芝居をさせてもらえて、最高に幸せだった。人間の幸福感は、きっと、このような長短のギャップを実感することで、味わえるのであろう。

とにかく、3時からの紙芝居も、大勢の子供達に観てもらえて、無事に終わらせて戴けた。夏は暑いものと決まっているが、今の時代で、紙芝居を観てもらおうと想ったら、怪談みたいなこわ~い話と、涼しい環境のもとでやらないといけないのかと、新たな紙芝居の、T・P・Oを発見した、みかんであった。呼び込みの掛け声も、「紙芝居は涼しいで~」と、来月はそう、言おうと決めたのだった。

             byみかん

                           

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文庫は大忙し!  7月26日

4土曜日の午後、田辺の紙芝居教室を終えた後、教室に来て下さった、友人と一緒に、近くのお寺の境内に在る、文庫をお邪魔した。

ここには、昔の紙芝居が一杯在って、まさしく、紙芝居の学びをさせて戴いている私にとっては、本当に有り難い場所なのである。ここの、文庫のお世話をしておられる、Mさんとは、やはり、紙芝居がご縁で、懇意にさせて戴いている。

文庫に一緒に来るのを、付き合って下さった友人を紹介しようと、Mさんに声を掛けたのだが、生憎、文庫には、次々と近所の子供さんや親子さんが来られ、てんてこ舞いになってしまった。

それでも、「紙芝居のおばちゃんが来た!」と言うことで、何時ものように、子供さんに自分の観たい紙芝居を選んでもらって、観てもらった。きょうの紙芝居は、「はちかつぎ姫」だ。

私は、小さい頃に、絵本でこの話を読んだことがあるが、紙芝居は、初めての試みだ。下読みもしないで、ぶっつけ本番で、誠に失礼ではあったが、「はちかつぎ姫」の紙芝居を実演させて戴いた。

わたしの、紙芝居を演じている間に、文庫のお世話をされている、Mさんが、初めて来られて方の応対や、来客のお相手で、てんてこ舞いされている様子だったので、兎に角、私は、紙芝居を観たい子供さんやお母さん達に、「はちかつぎ姫」を観て戴いた。

文庫は、5時までなので、今日は一つしか観てもらえなかったけど、できるだけ、足を運んで、文庫に来てくれた子供さん達に、紙芝居を観てもらえたら、嬉しい。

お世話をされている、Mさんとは、そんなこんなで、ゆっくりとお話は出来なかったけれど、一緒に行ってくれた、友人も、たくさんの本が棚にぎっしりとならんでいて、畳のゆったりとした、空間をとても気に入ってもらえた。

週、土曜日の3時~5時迄、開放して下さり、本の貸し出しも出来る。こんな素敵な場所を、地域のこどもさん達に、開放して下さる、御住職に、何時も感謝の気持ちで、一杯だ。

私の紙芝居教室は、東住吉区役所に行く道の、東和病院の向かえ角の一階の、すずき住建さんの田辺事務所を、街の文化的な活動の拠点として、お借りしている、有り難い場所である。

8月は、お休みをさせて戴くが、9月から、毎月、第2、第4土曜日の午後2時~4時迄、紙芝居を楽しく演じることと、基礎から、系統的に学んでいく教室として、更に演じ方と、作品の選び方を、皆さんとご一緒に学んでいきたいと、想います。

どうか、9月から、更にバージョンアップして、紙芝居の世界を紐解いてみかせんか?

勿論、初めての方でも、無理なく始められるように、配慮いたしますので、お気軽にお声を掛けてくださいね!紙芝居をすることで、たくさんの方々と出逢い、触れ合うことで、生き甲斐となるかもしれませんよ。貴方も、如何ですか?

文庫の話から、紙芝居教室の宣伝になりました。地域と、其処に棲んでいる人間の隙間を埋めるのが、紙芝居のお役目なのかもしれないと想う、みかんでありました。

            byみかん

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犬も暑けりゃ・・・ 7月25日

我が家には、オスの老犬が一匹居る。何時から、この家に居るようになったかは、もう、あまりにも昔なので、定かではない。が、確か、下の娘が小学生の頃、絶対に自分で世話をするからと宣言して、同級生の男の子の家で、生まれたばかりの、テリア系の雑種の子犬をもらって来た。

案の定、娘の子犬の世話は、一ヶ月くらいで終え、子犬の世話は父と母に引き継がれた。そして、子犬をもらって来た次女は、その犬を置き土産に、昨年、結婚して、家を出た。

この老犬は、テリアの血が混じっているので、とても毛が長く、彼にとって夏の暑さは、まさに拷問に近いものがあるようだ。そこで、彼は彼なりに考え、犬小屋の位置を自力で移動させ、犬小屋の下になっている、かすかに涼しいであろうと思われる、定位置で、寝そべっている。

もう、多分耳も目も、ほとんど機能していないであろうと思われるのだが、散歩となると、俄然元気になる。

この老犬が、居るだけで私は、とても幸せな気持ちになれる。朝起きて、雨戸を開けると、彼が居て、仕事や買い物から帰ると、彼が寝そべっていて、決して尻尾を振って、なついて来るわけではない。最初は、そんな彼が、とても憎らしかったけど、今となっては、それで、彼なりに長生きが出来ているのだと実感してきた。

こんな犬でも、自分なりに身体と心のバランスを考えているのだろう。それが、彼の長生きの秘訣なのかもしれない。

いずれにしても、今年のこの猛暑は、人間様でも参ってしまいそうなのだから、こんなごつい毛皮を着て、汗もかけないのだから、ちょっと位、いや、かなり無愛想でおうちゃくでも、まっ、仕方ないか!

因みに、彼の名前は、「ちゃく」と呼ぶ。置き土産した、娘がつけた名前だ。名は態を表すとは、このことか?と、へんに納得する、みかんであった。

              byみかん

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子守唄?「六甲おろし」 7/24

テレビ番組を観ていると、或る人気タレントの男性二人が、7ヶ月の赤ちゃんを一日あずかって、世話をすることになった。

案の定、赤ちゃんは抱いても、あやしても、泣きやまない。困り果てた二人が、大阪の女性に教えてもらった、必殺技、それは、なんと、阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」を赤ちゃんに聞かせることであった。私は、「まさか、そんなあほな?」と、思ったが、なんと、その赤ちゃんは、六甲おろしの歌のCDを聞くと、ピタッと泣き止んでしまったではないか?

どきの子育てやん!ええやんか。これやったら、子育ても楽しみながら出来るのだ。もっと早く、この方法を知っていたら、うちの娘達も、夜泣きでこっちが、泣きたくなった時に、旦那の好きな阪神タイガースの法被着て、メガホン持って「六甲おろし」を歌っていただろう。

まあ、今、知った限りは、今度生まれて来る孫に、試してみよう。やってみる価値はある。それにしても、番組の中で、赤ちゃんを散歩に連れて行ったり、眠っている間に食事をしたり、てんてこまいみたいやった。

夜、赤ちゃんを受け取りに来たお母さんに抱かれている時の、赤ちゃんのなんとも言えない、安らかで、安心したような顔を見ると、やっぱり、六甲おろしより、自分が下の娘をおんぶして、上の娘の育児や家事を夢中でしているうちに、私の背中ですやすやと、眠ってしまう、その子をそうっと、布団の上に寝かすその時が、一番、子育てして幸せな時だったような気がする。

は戻って来てくれないけど、授かった新しい命を大切に、私におぶられていた娘が育んでいけるように、見守り、支えていけますように・・・・・

せやけど、声、母子三代遺伝して、大きかったらどないしょ!?

              byみかん

                         

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昭和生まれの戯言 7月23日 

7月23日(水)快晴・猛烈に暑い!夏真っ盛りという中で、東住吉区の駒川商店街の中に在る、「ふくしの駅」で「昭和のまつり」が催された。考えてみれば、もう、昭和から、平成に変わり、20年の年月を過ぎようとしている。そうなんや!昭和生まれの子供達は、もう居ない。うちら、昭和の時代に生まれた者が、子供さん達に伝えていきたいものが、一杯有るんや。そんな気持ちで、私達は、昭和のまつりをさせて戴いた。主催された、東住吉アクションプランのスタッフの皆様、ボランティアの皆様、観に来られた観客の皆様、本当にありがとうございます。

考えてみると、私達が子供の頃、少なくとも未来に対して、夢があった。希望もあった。とにかく、将来は明るく希望の光で輝いていた。貧しかったけど、生活の中に笑いがあって、笑顔の人が多かったと思う。

だのに、なぜ格差社会と云う言葉が聞かれるようになったのだろうか?

昔は良かったなんて言う気持ちは、ありません。けど、なんか、不安な気持ちになる今日この頃。太陽があまりにも激しく照りつき過ぎると、旅人は、マントを脱ぐだけではなく、その暑さのあまり、ぶっ倒れてしまいます。「足るを知る」お酒のたるとちがいますで!

もっと豊かに、もっと便利に、もっと美味しいものを一杯・・・・これが、人間の心を蝕んでいったんでんなあ。この注意報は、しばしばありました。地球温暖化、異常気象、天災、テロ、戦争、そして、何より人々の心に、気持ちの余裕が無くなって来た。自分も含めてー

和は遠くなりましたけど、大阪の街、いや日本の国、世界中の人々がもっと幸せになれる為に、私、みかんは今日も重たい紙芝居の舞台を提げ、子供達やみんなの笑顔を見たいから、(また、橋下さんみたいや)拙い紙芝居では御座いまするが、一人でも多くの方々にお届けさせて戴きとう存じます。

紙芝居の輪が広がることで、平成と言う名に恥じない時代に、少しでもみんなが笑顔を取り戻してもらえたら、嬉しいです。自己満足なつぶやきで、大変失礼をば、致しました。

                byみかん

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路地裏で花火  7月22日

ふとしたきっかけから、「花火をやりませんか?」と、声を掛けられた。其処は、通天閣のお膝元の西成の街に在る、ホットスペースに集う人々から、誘われた。

最初は、躊躇した友人達と私だが、意を決して花火をしているという、路地裏に向かった。其処には、浴衣を着た女性や男性も居て、みんなまるで子供の様に、花火に興じていた。遅れて来た私達にも、花火を手渡して下さり、本当に久しぶりに花火の美しい炎に、目を見張った。

考えてみると、名前も分からないし、初めて出逢ったばかりの人々が、この暗い夜の街の片隅で、一緒に花火を楽しむ光景は、何故か子供の頃の昭和にタイムスリップしたような、錯覚を覚えた。

そして、なんと言っても一番楽しいのが、線香花火だ。線香花火の、あの消えそうで、でも、最後まで精一杯燃え尽きるまで、消え入りそうな細い炎を放つ姿は、まるで人間の一生を象徴しているかのように思われる。「あっ、落ちた!」そんな喚声が、時々あがり、暫くして、路地裏の花火大会は、終わりを告げた。

すると、なんと不思議なことに、花火大会が終わったら、その路地裏の路に、さぁーっと風が吹き過ぎていった。「花火をしたら、風が吹くんや!」私は、思わず驚きの声をあげた。

そうなんや、今の現代社会に於いても、いい意味での風を吹かせられたらいのになあ・・・

私はそんな、漠然とした想いで、路地裏を後にし、自分に与えられた、夏休みの宿題の様に、ずっと今も、どうすれば風が起きるか、考えている。

明日は、東住吉区に在る、駒川商店街で「昭和まつり」だ。自分に与えられた役を精一杯務めて、子供さん達の夏休みのいい思い出の一つになれるように、紙芝居を仲間と供に、みんなで一致団結して、楽しくやろう!きっと、風は、待つのではなく、自分達で起こすものなのだ。

             byみかん

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何故だ?   7月19日

今の世の中、さっぱり判らないことだらけだ。肉親殺しは、日常茶飯事?無差別な動機の殺人事件。なんでもやってみたいということで、空想と現実がごっちゃになるのか知らないが、殺された人や被害に遭った人は、たまったものではない。

何故だ?連日の猛暑の性か、はたまた、人間同士の繋がりの希薄化、孤立化の為なのかは、定かではない。ただ、私に言わせて戴けるのなら、みんな(自分も含めて)気持ちに余裕がない。なんでも早く、便利に、先回りに用意周到化されていて、それが、自分の想いと少しでもずれたり、くるったりすると、もう我慢出来ない。きれる、爆発する、噴火する。

何故だ?昔の人は、生活が不便でも、いろいろ工夫を凝らし、より過ごし易くしようと、努めていた。自然と伴に生活することが、当たり前で、ゆったりとしたリズムの中で生きていくことが、常であった。今は、なんでも早すぎる。ちょっとおそかったら、もう、待てない。我慢が出来ない。工夫をして凌ぐ努力をすることを、知らない。これは、とても恐いことだと思う。

こんなこと考えると、人間生活がしんどくなる。だから、私達は、もっと文化を大切に守り、伝えていくことが大切なのだと、私は考える。確かに今の日本は、住みにくくなってきた。だが、不思議なことに、フランスなどでは、反対に日本の国が憧れの的になってきていると、新聞などで、報じられていた。

成程、隣の芝は青いという発想か、灯台元暗しの考えなのかは、分からんけど、私達は、もっと日本に生まれて来たことに、感謝と誇りの気持ちを持ったらいいと想う。人間は、親も、生まれて来る国も選べない。だけど、この豊かな国、日本に生まれてきたことを愛しく思い、みんなが共に幸せに生きていくには、どうすれば良いのかを考える時期に差し掛かっているのではなかろうか。

最近暑くて夏ばて気味で、パソコンの前に座る勇気の無い私だが、老体いや若体?に足の痺れに耐えながら、久しぶりのブログを綴らせて戴きました。

                   byみかん

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暑中お見舞い申し上げます7/15

皆様、暑中お見舞い申し上げます。いやあ、ほんまに毎日暑いでんなあ。暑さは、年々増す様な気がします。まるで、日本が、亜熱帯地方になったのではと、紛う程、暑くて、雨も、スコールのようなどしゃ降りの雨が、滝のように降ったかと思うと、すぐに止んでしまいます。この異常気象のさなか、日本列島も、いろいろと狂ってきていますなあ。

まず、お魚が危ない。燃料の異常高値で、漁船が出せなくて、漁に出られない漁師さん達の嘆きが、私達消費者の、ため息に伝線していくようです。最近の食料品を初めとする、生活に欠かせない商品の高騰で、我が家の家計も危のうおす。

また、九州のほうでは、大そうな金額のお金をお支払いしたら、学校の先生になれるお方が、おられるとのことで、教育界が、上へ下への大騒ぎみたいで、もうすぐ、夏休みを迎える、児童達は、どんな気持ちで、この暑くて長い休暇を過ごすのでしょうか?或る、擁護学校教諭志望の女性の「お金を払ってまで、先生になりたくないので、断った。」という、新聞記事が載っていた。

そして、わが街、東住吉区の名前も、今朝の朝刊の一面の隅に、華々しく載っておりました埋蔵金、いや、裏金が、おんなじことか、たーくさん在るんですって!だったら、もう少し立派な区民ホールが建てられと思うんやけどなあ・・・・

とにかく、毎日、毎日、身体も暑くて、バテそうやけど、この国もバテ気味ですな。一体全体、このままでいいのか?昨日、木村拓哉主演のドラマ「CHANGE」を見とったけど、なんか、やっぱりあまりにも、現実とかけ離れていて、空しい気もしたけど、最後の方の、場面、総理大臣としての、木村拓哉の演説は、立派だった。思わず聞き惚れました。

まあ、こんな暑さだから、出来るだけ、こころを安らかにして、毎日を過ごし、子供達にとっては、楽しい思い出一杯の夏休みであって欲しいと、願うみかんであった。あー、アツ~!

            byみかん

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紙芝居まつり譚   7月13日

今日は、箕面の紙芝居まつりの最終日。今年は20周年記念と言うことで、自信はないけど、思い切って実演に申し込みをした。

当日は、紙芝居仲間の方々と、「参加することに意義がある。」などと、オリンピックみたいに、訳のわからんことを、自分で自分に言い聞かせ、いざ、箕面のメイプルホールへ!

私は、勿論、午前中の玄関先の屋外のステージ。雨降れへんでよかった!だが、やはり人生、山あり谷あり。なんと、私の演じる予定の(いや、それしか、持って来てないねん。)落語紙芝居「七どぎつね」を、なんと、私の出番の3つ前に、見事な語り口調と、ええ声で、堂々と演じられた。

私は「こんなこともあるさ!さるさ。」と、正直、その舞台から逃げたいような気持ちだったが、ここで逃げたらあかん。ここは「ガスレンジや。いや、チャレンジや。」昨夜、一所懸命練習したから、あとは、自分の持ち味を出せるようにしたらええねん。紙芝居は、演じる人によって、みんな違う。玉虫の厨司みたいなもんや。などと、自分で自分を励まし、出番になり、勇気を出して、口上を述べ、「七どぎつね」を実演し始めた。

そしたら、なんと、一枚目でとちってしまった。こんな時は、いつも一緒。道に迷うた時みたいに、元に戻る。変にあせって、続けると、かけまちごうた、ワイシャツのボタンみたいに、最後までくるう。私は、最初からやりなおしをせず、少しだけ、元に戻って、そのまま続けた。

よっしゃあ!これで、何時もどうりの自分になれる。前のござに座っている子らや、後ろの観客の方達も、観てくれはってるみたいや。良かった!最後まで、なんとか演じきった。よっしゃ、自分に自分で花丸あげよ。上手い、下手は関係ない。小学生の実演見せてもらえて、とってもお得した。

結局、午前中に帰るつもりだったのが、最後の実演まで見てしまった。こんな経験、めったに出来はしない。

終わってからの交流会で、小学生の実演家のお母さんが、声をかけて来てくださった。私も、お話をさせて戴きたかったので、ありがたかった。聞けば、小学校一年のときから、紙芝居を始めておられるとのこと。実際に落語を聞きに行って、勉強も積まれたということだ。私も、落語のCDと、ビデオで、勉強したが、やっぱり、ライブには勝てない。落語紙芝居をさせて戴く上で、本当にいい勉強になった

今日一日で、本当に多くの紙芝居を通じて、いろいろな方々と出会わせていただけた。繋がりは、一つ。みんな紙芝居のことを好きだからだ。いや、愛していると言ってもいいだろう。このような場を設けて戴いた、全ての方々に感謝、感謝で、家路に着くみかんであった。

          byみかん

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紙芝居で、CM? 7月12日

遂に出たか。やっぱり出たか。紙芝居を使ったコマーシャルが、現れた。

それは、俳優の風間杜夫さんが、紙芝居の舞台の横に立ち、お茶がどうして、身体に良いのかを、判り易い絵が描かれた紙芝居の画面を抜いていく。

うん、画面に字が書かれているのが、少し気になるが、これはまさしく、紙芝居に間違いない。そんなことぐらいで、大騒ぎすることはないって?

これは、凄いことなんです。テレビと言うメディアを使って、紙芝居というメディアで、商品を宣伝する。まさしく、これぞ、21世紀型広告。今までになかった、まったく新しいスタイルの広告だと思う。

このコマーシャルを考えた人は、本当に凄いと思う。紙芝居を一つのツールとして捉えるのではなく、紙芝居が持つ、強い集中の力や、また、コミュニケーション力に着眼し、しかも、男優で一番油の載った、風間杜夫さんを起用する所が、こころにくいのだ。

商品名は言えないけれど、みなさんも、このコマーシャルを観られたら、きっと、今までにない、新鮮な息吹を実感できるのではないかと、おもいます。

昔、紙芝居で、商品のコマーシャルをしていた時代があった。そういう歴史的事実を知ってか、知らずか、改めて、紙芝居の持つ魅力を、テレビを通じて、客観的に見させてもらえた。渡し方が、変わってくると、こんなにインパクトがあるんだ!ソフトばんくの「おとうさん犬」までは、いかないけれど、コマーシャル界に一石を投じたような、宣伝であると、テレビを観ていても、紙芝居のことが、頭からはなれないでいる、どうしょうもないみかんなのであった。

            byみかん

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私の誕生日  7月11日

今日は、忘れもしない、私の誕生日。母が、父と山阪神社の夏祭りに行った、明くる日、私はこの世に生を受けた。

決して、器用な生き方はできないけれど、母譲りの、正直の前に馬鹿がつき、お人良しな性格だけがとり得の自分ではあるが、ふたつだけ自慢出来ることは、こんな生き方しか出来ない自分をどんな時でも、決して嫌にならずに、よくやっているなあと、自己満足かもしれんけど、自分自身に花丸をあげられる事。

もう一つは、理屈抜きに、子供さんが大好きだということ。子供さんと、こころを開いて会話できる(大人の人とは、なかなかでけへんなあ)、それが、とっても嬉しい!

そんな私も、女性の平均寿命の半分以上は生きて来た。(だいぶ大雑把?)これからの人生は、自分の人生を生きていこうと決めた。今までは、家族の為、お店の為、自分の子供達の為に捧げてきたつもりだ。

だが、紙芝居と出逢い、紙芝居を通じて、いろんな方々とご縁を戴いたり、ごやっかいになって来た。これからも、多分、紙芝居を介して、様々な方々との出逢いに拠って、自分は、助けられたり、時には、人様に喜んで戴けるようなこともあるだろう。

ただ、紙芝居をしていて、これだけは、忘れないでおこうと想う。それは、人間を信じること。中には、心無い人も居るかもしれない。私だって、自分勝手な所が一杯在る。でも、同じ人間として生まれて来たのだから、人を許すということの出来る人間でありたい。

今日の私は、偉そうなことばかり言っているが誕生日なので、目をつむっていただけたら有り難い。人間の性や業の深さを突き抜けたところに、本当の真実が見えてきて、人が人として生きるためには、お互いを認め合い、信じ合うことが一番たいせつなのではないかと、この歳になってやっと、なんとなく判ってきた、とても鈍感なみかんである。

明日のことはどうなるか判らない時代になってきたような気がするからこそ、今日の今を一所懸命生きることが出来たら、素晴らしいだろうなあ等と、とりとめも無いことを考えつつ、誕生日を過ごす、みかんであった。 母ちゃん、ありがとう!産んでくれて。お父ちゃん、ありがとう!ここまで大きくしてくれて。

             byみかん

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湯田温泉の紙芝居 7月10日

夕飯を食べ終わって、ほっとしていると、先日宿泊した、山口の湯田温泉の旅館から、一本の電話があった。

聞くと、7月19日~9月一杯まで、山口県のキャンペーンの一貫で、湯田温泉に纏わる、城狐譚の紙芝居を、毎週金曜日と土曜日の夜に、旅館で実演をされるとのこと。

私が、帰る時フロントに立ててあった、紙芝居ののぼりを見て、お尋ねしたから、わざわざご親切に教えてくださったのだ。本当に有り難いことだ。

聞くところによると、湯田温泉には、昔、白狐が棲んでいて、傷か病気を治す為に、山から温泉に降りて来て、温泉に浸かって治したという逸話があり、それを元にして、紙芝居が創られたそうだ。

私は、本当に出来ることなら、山口に飛んで行きたい気持ちであった。何故かと言うと、その紙芝居を、旅館で働いておられる方々が、練習をして実演されるのだそうだ。本当に、勇気の要る事なので、是非、紙芝居の実演を成功させて戴きたい。

もう少し近くなら、毎週でも通いたいと、厚かましいことを考えていたが、湯田温泉で生まれ育った人々が演じるからこそ、意味が在るのだと思った。歴史は、人が築いていくものなんだなあ。

そう、思うと、今、自分が生きていることが、大きな歴史の流れの一滴なのだと、妙に、センチメンタルになるみかんであった。

田辺にも、田辺の歴史は在る。私達は、もっと郷土に誇りを持って、次の世代の子供達に伝えたいことが、たくさんあるのだと、真剣に考える、みかんである。

            byみかん

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みかん走る!  7月9日

嗚呼、もうこんなに紙芝居のことを大切に思っているつもりやのに、なんで、こんなに不器用なんやろう?時間の使い方下手くそなことは、重々承知致しております。

せやけど、仕事を遅刻したらあかんよ。午前中に図書館へ行って、紙芝居借りて来て、帰りに、駒川商店街の「ふくしの駅」で、こんどの23日に行なわれる、「昭和のまつり」の打ち合わせをさせてもろうて、帰ったら、雨がざーっと降ってきたんです。この雨が、癖もんんやった。止んだらえらい、気候が涼しくなり、親子サロンでの紙芝居の後、帰宅して、ちょっと、仕事の時間まで横になろうと、休んでしまった。

母ちゃんに、「もう、6時やけどええのんか?」「しまった!遅刻や。」慌てて、起きて、塾長先生に電話した。もう、必死のパッチで、走った。走れみかん。信号が赤や。あかん!右折して、道路を渡り、また、ひた走る

やっと着いた。遅れたけど、なんとか間に合った。でも、もう、宿題を出してくれるんやけど、心の整理がついていないので、申し訳ない気持ちで、精一杯漢字のドリルの宿題の点検をした。間違っている漢字には、横に正しい漢字を書く。×やチェックはしない。これが、私の方法。正しい漢字を書いて、○をつけ、後で見たらわかるように、OKと書いておく。

だんだん、ペースが整うてきた。だが、4年生のお姉ちゃんのローマ字を、復習しないといけないようだ。ローマ字をしっかりと理解しておくことが、英語の理解力に繋がる。

授業が終わり、2時間目の中2の女の子と、雑談をしながら、今日の記録を書く。彼女は大のジャニーズファンで、とてもおとなしいけど、友達もたくさんいて、充実した学校生活をしているようで、安心した。

私も充実した、一日を送らせて戴き、とても有り難いと感謝している。走ってばかりいると、回りの風景が見えないので、時には、立ち止まることも大切だとは、分かりつつ、夜、お世話になっている、小学校の先生からの、メールとファックスで、あたふたと、家の中をやっぱり走るみかんであった。も少し、落ち着け!母ちゃんが心配して、起きてきたやろ!しー

            byみかん

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みかんの予定  7月8日

いつも、青空視観(みかん)のブログを御覧戴き、ありがとうございます。大変遅くなりましたが、7月のみかんの紙芝居の予定をお知らせさせて戴きます。

            

                   記

7/9 (水) 14時~14時20分  田辺親子サロン  田辺会館

7/11(金)  14時30~15時15分 デイサービス「わたの花」さん

                      平野区加美正覚寺2-2-3

7/12(土)  14時~16時     青空視観の紙芝居教室    

                     すずき住建さんの田辺事務所「なちゅらる」

7/13(日)  10時~午前中    箕面紙芝居祭りに参加 「紙芝居大好きの会」

7/14 (月)  10時~11時    クローバーインターナショナルスクールさん

7/19(土)   10時~12時    大阪市立榎本小学校で、親子紙芝居作り講座

7/20(日)   13時~15時半   「キッズプラザ」のボランティアさんの紙芝居講座

7/23(水)  11時~15時半    駒川商店街内「ふくしの駅」にて、「昭和のお祭り」

                     ( 東住吉アクションプランさん主催 )

7/26(土)  14時~16時    青空視観の紙芝居教室

                     すずき住建さん田辺事務所(なちゅらる)にて

7/27(日)  14時 15時    全興寺さん街頭紙芝居

                      大阪市平野区

上でございます。今月も皆様に支えて戴きながら、精一杯、紙芝居を楽しんで戴いたり、一緒に学んでいきたいと想います。どうぞ、宜しくお願い申し上げます。

尚、全ての予定の、問い合わせ先は、06-6621-2467 (山口)迄お願い致します。

それでは、毎日暑い日が続きますが、皆様、くれぐれもお身体を労わって下さいませ。

ありがとうございます!

               byみかん

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必要は発明の母 7月7日

紙芝居を実演する時、私達は舞台を必ず使う。これは、映画なら、スクリーン、絵画なら額縁、演劇なら舞台と、言ったところであろうか。

さて、この舞台は、どうして使われるようになったのかと言うと、紙芝居が誕生したのが、そもそも、昭和の初め、1930年頃、関東大震災と、世界大恐慌による、失業者の増大により、失業者が日銭を稼ぐ為に、飴や駄菓子を売る為の客寄せの道具として発明されたのが、この現代の街頭紙芝居の始まりである。

こんな紙芝居の説明はおもろない。と、思われる方も、辛抱してきいとくなはれ。私の言いたいことは、紙芝居の舞台は、もともと、その「平絵」と呼ばれた紙芝居を、観客に見せる為に、必然的に立てなければならなかったので、その「平絵」を立てて見せる「箱」が、つまり、紙芝居の舞台の発生だったのである。

えっ?また、こんな話、おもしろないてまあ、そう言わんと聴いておくんなはれ。その頃から、その紙芝居を立てる箱には、引き出しがついていて、その中に、紙芝居やさんの、七つ道具が入ってたそうな。

しかし、本当に日本人というのは凄いもんでんなあ。なんにも無い所から、日銭を稼ぐ為に、こんな世界の何処にも無い、文化の礎を創ったのだから・・・・人間の知恵が編み出した、まさに紙芝居は、発明である。いや、発見と言っても過言ではない。

だが、その頃の街頭紙芝居というものは、とても文化としての価値は、全く認められず、乞食さん同様のような扱いを受けていた。この辺の街頭紙芝居の生まれた歴史は、加太こうじさんの書いた「昭和紙芝居史」(岩波新書)に詳しく著しておられるので、ご興味のある方は、図書館等で貸し出ししておりますので、御覧ください。

私は紙芝居の舞台の必要性とその歴史を述べたかったのは、人間の長い歴史の上で、いろいろな発明がなされてきたのだが、それは、本当に人々が必要に迫られて、考えたり、編み出した物であろう。

だが、現代社会ではどうだろう?生活をより便利にしたり、楽をするためにのみ、考え出されたものが、多くなって来ているのではないだろうか?なくても困らないが、なかったら不便なもの・・・・それらが今のこの現代社会に蔓延して、ややもすると、人々の心までもを蝕む結果となってきているのではないだろうか?

私も偉そうなことは言える立場ではないが、今一度、自分の身の回りに在る物が、本当に生きていく上で必要なものなのかを考えることが、ひいては、環境問題や、食料問題、人間関係の歪み等の解決策に関係がなきしにもあらずと、小難しいことを考え始め、年寄りくさくなって来た、みかんであった。嗚呼、誕生日の来るのが恐い!

           byみかん

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人が集まるて難しい?7/6

こんなこと言うと、憚るが、大阪の人は、シビアで打算的な処が在る。そのくせ、人情はめっぽう厚いのだ。ま、どんな事象でも表と裏があるから、当たり前のことなのだが・・・・

なんでこんなことを書いているのかと、聞かれたら、今日、東京の在る方が、大阪で「いきいきフォーラム」というセミナー行なおうと、目論んでおられるのだが、正直、大阪人は、お金は出さず、愚痴を漏らす癖がある。正直に言おう。出したお金と同じ価値がないと思うと、文句をいうのだ。「割に合わん。」と・・・・

故に、このセミナーを成功させる為には、よくよく、大阪の人々が、「お得!」と思ってもらえるようにする努力と、アイデアが必要だ。

勿論、私も、この講座の前座で紙芝居を演じさせて戴く運びとなっている。だが、それだけでは、弱い。付加価値は有形無形、色々ある。とりわけ、大阪人が好きな付加価値、それは、思ってもいなかった「サプライズ」を得ると、結構喜ばれる。

例えば、どこかの博覧会に行って、突然、ファンファーレが鳴って、「おめでとうございます!貴方が○○人目の入場者です。」そう言われて、記念品の一つでも戴けたら、なんや、自分は特別の扱いを受けた気がして、嬉しくなるからおもしろい。

そんな、付加価値を考えんといかんなあ・・・ああ、頭が固い。これから毎晩、母親の脳トレのドリルでもして、頭を柔らかくせなあかんなあ。

今日も、一日が瞬く間に過ぎてしもうた。もうじき、マイバースデイやなあ。もうじき、孫が生まれて、ほんまのバーバーディやなあ。なんのこっちや。だじゃれも出んわ。そんなこんなで、もうじき、一つまた、歳を重ねて、みかんは白い花を咲かせられるのやろか?

           byみかん

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コックさんになりたい! 7月5日

まだ、7月に入ったばかりだというのに、この異常な暑さの中、私は、紙芝居の勉強と、実践をさせて戴いている。うだる様な日が照りつける空の下、今日は地域の七夕のお祭りということで、近鉄矢田駅の高架下で、紙芝居の実演をさせて戴いた。

会場には、たくさんの子供さん達が、期待を込めた眼差しで、紙芝居を楽しんで戴けたようだ。一緒に紙芝居を実演してくださった、仲間の方や、この実演の場を設けてくださった、東住吉アクションプランの皆様方、本当にお世話になり、ありがとうございます。

殆どのこどもさんが、紙芝居を観るのが初めてのようで、クイズの時は、とても元気良く、手を挙げて、応えてくれて、本当にみんないきいきしていた。

特に、「ごきげんのわるいコックさん」の紙芝居をした時は、一番前の男の子が、目をらんらんと輝かせて、大きくなったらコックさんになりたいと言ってくれた時は、本当に嬉しかったまた、「よいしょよいしょ」の紙芝居をさせて戴いた時は、本当にみんなが、心の底から湧き出るような声で、掛け声をだしてくれたのには、正直驚いた。

「紙芝居をみてもらうだけで、こんなに喜んでもらえるのか・・・・」子供達に、私は支えられているんだ。正直、今日のような、暑い日が続くと、もう、めげそうになる。

家を出るとき、母親と夕飯の支度のことで、喧嘩になった。本当にとるに足らないことで、怒って、遅刻をしてしまった自分が、情けなかった。だけど、子供さん達の未来の輝きに、私は、こころのやすらぎを与えてもらえた。

コックさんになりたい。花屋さんになりたい。宇宙飛行士になりたい。看護士さんになりたい、みんなには、無限の可能性が在るんよ。うちらは、小さかった時にしてもらった大人の人の万分の一でも恩返しがしたい。地球という星が、いついつまでも美しい星でありますように・・・・洞爺湖サミットが、来週から行なわれ、大変な騒ぎの中、今、自分で出来る、精一杯のことを、やらせて戴いて、有り難い気持ちで一杯のみかんで在る。今日は、いやに真面目やなあ・・・

         byみかん

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次女のメール  7月3日

暑い夜のシジマと戦いながら、もんもんとした時を過ごしていたら、娘からのメール。

彼女曰く、「来週から、帰るから宜しく。詳しいことは、明日言うわ。」相変わらず、一方的な、マイペースなメッセージを送ってこられ、私は当惑した。

聞くと、旦那さんが兵庫県の方に出張するので、9ヶ月のお腹を抱えて、心配やから我が家に避難するということらしい。

「そんなら、そうと、詳しく述べよ。」と、言いたいところを、「ま、いいか。どうせ、遅かれ早かれ、出産しに帰ってくるねんから、それが、早なったということやね。」と、自分で自分に言い聞かせた。

だが、正直言って、まだ、家の中が全然片付いていない。う~ん、どないしょう?「ま、いいか、入院するまでは、私と一緒に寝るのが、一番安心やろ。」そう、思い直し、7月の予定をみてみると、少し不安になったが、「ま、いいか!その時に考えたらええわ。まだ、暫くは大丈夫やろ。」と、0型の私は、自分の都合のいいように、解釈して、なるようになると、思いながら、はたと、気が付いた。

「そうや!娘も0型やったんや。忘れてた!」これは面白い。どうなるのか、この続きは、またのお楽しみ・・・・

           byみかん

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福岡で紙芝居の修行 7月2日

暫くぶりです。先月の末、福岡の「紙芝居文化の会in福岡」を受講する為、朝6時の新幹線で、行って参りました。

当日は、紙芝居作家で、紙芝居文化の会代表の、まついのりこさんと、娘さんのエイコさんが、紙芝居と平和についてのお話を熱く語ってくださり、本当に実の在る時間を過ごさせて戴きました。

会場には、九州を中心として、300名の方々が集まられ、一日、紙芝居について、存分に学び合いました。

それにしても、まついのりこさんのお話は、何回お聴きしても、同じ内容のことを言われているのに、全然、聴き飽きないのは何故だろうか?何時も切り口が新鮮で、御自分の紙芝居の理論の研究に対して、新しい息吹を注いでおられるのだろう。

エイコさんのお話もまた、然りである。特に、夜の交流会の時は、隣の席に座らせて戴いた。そして、のりこさんが、お話をされている時も、彼女が11歳の時に、お母さんが書いてくださった文章の原稿を、しっかりと膝の上に置かれて、のりこさんの戦争の時の体験を聴いておられた。

彼女は、平和紙芝居「二度と」を創作されたのだが、その、創作の原動力になっのが、お母さんから、聴いた戦争の体験であったのであろう。

紙芝居は、日本が戦争をしていた時代、国民の戦意高揚の為に、「国策紙芝居」というものを創られ、全国通津浦裏まで、それを演じることで、人々に戦争の正しさを示唆する道具として利用された、悲しい時代があった。

少なくとも、私達、紙芝居を文化として位置づけて、次代を担う子供達に伝えていこうと思う者は、そのような歴史的背景をしっかりと理解しておかないと、とんでもないことになる。

何時も言っていることだが、紙芝居程、人々の心に感動の心と、魂を揺さぶるものはないと、私は思っている。確かに、色々な素晴らしい文化が、数多在る。だが、紙芝居は、紙の芝居だけに、その、あまりにも単純明快な仕組みで、芝居が繰り広げられるだけに、よくよく、実演する作品を選ばないと、とんでもないことになる

現代社会に於いて、何故紙芝居が、見直されるようにになってきたのか?それを考えると、一言で述べさせてもらうなら、紙芝居は、コミュニケーション文化の典型だからだ。

現代社会に一番欠けている、コミュニケーションが、紙芝居を実演し、観ることで。得ることが出来るからだと、私は思う。

福岡に行って、えらそうな蘊蓄ばっかり述べて、えらいすんません。博多ラーメンも、明太子もお土産に買えなかったけど、私は、福岡に行かせて戴き、紙芝居の真骨頂のようなものをもらったような気がします。

帰りに、山口に寄って、中原中也の故郷を見てきました。学生時代に卒業論文を書く為に一度訪れたきり、数十年ぶりに、湯田温泉の駅に降りた時、駅舎は、昔のまんま、変わっていなかったけれど、街中を車が。猛スピードで行き交い、中原中也の、饅頭やせんべいこそなかったけど、あまりにも、デフォルメ化されていて、昔、田んぼと草原だらけだった、中也の生家の辺りも、綺麗に舗装され、立派な中也の記念館も出来ていた。

なんや、中也が、遠い存在になったみたいで、自分の心の中にずっとしまい込んでいた、中也の詩を愛する心を、温め直す為に、私は此処に来たのだと、漠然と感じた。

中也の詩が、本物だったから、こんなにも人々に愛され続けてきたのだろう。「紙芝居も、本物の文化として、普及していってもらうべく、私も、もっと紙芝居のこと勉強せなあかんなあ・・・・」と、中也所縁の、「高田公園」の小川に浮かぶ、あめんぼを眺め、じぶんも、このあめんぼのように、すいすいと、人生という川の上を器用に渡っていきたいと想う、みかんであった。

             byみかん

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