« 蝋燭の灯で紙芝居 6月29日 | トップページ | 次女のメール  7月3日 »

福岡で紙芝居の修行 7月2日

暫くぶりです。先月の末、福岡の「紙芝居文化の会in福岡」を受講する為、朝6時の新幹線で、行って参りました。

当日は、紙芝居作家で、紙芝居文化の会代表の、まついのりこさんと、娘さんのエイコさんが、紙芝居と平和についてのお話を熱く語ってくださり、本当に実の在る時間を過ごさせて戴きました。

会場には、九州を中心として、300名の方々が集まられ、一日、紙芝居について、存分に学び合いました。

それにしても、まついのりこさんのお話は、何回お聴きしても、同じ内容のことを言われているのに、全然、聴き飽きないのは何故だろうか?何時も切り口が新鮮で、御自分の紙芝居の理論の研究に対して、新しい息吹を注いでおられるのだろう。

エイコさんのお話もまた、然りである。特に、夜の交流会の時は、隣の席に座らせて戴いた。そして、のりこさんが、お話をされている時も、彼女が11歳の時に、お母さんが書いてくださった文章の原稿を、しっかりと膝の上に置かれて、のりこさんの戦争の時の体験を聴いておられた。

彼女は、平和紙芝居「二度と」を創作されたのだが、その、創作の原動力になっのが、お母さんから、聴いた戦争の体験であったのであろう。

紙芝居は、日本が戦争をしていた時代、国民の戦意高揚の為に、「国策紙芝居」というものを創られ、全国通津浦裏まで、それを演じることで、人々に戦争の正しさを示唆する道具として利用された、悲しい時代があった。

少なくとも、私達、紙芝居を文化として位置づけて、次代を担う子供達に伝えていこうと思う者は、そのような歴史的背景をしっかりと理解しておかないと、とんでもないことになる。

何時も言っていることだが、紙芝居程、人々の心に感動の心と、魂を揺さぶるものはないと、私は思っている。確かに、色々な素晴らしい文化が、数多在る。だが、紙芝居は、紙の芝居だけに、その、あまりにも単純明快な仕組みで、芝居が繰り広げられるだけに、よくよく、実演する作品を選ばないと、とんでもないことになる

現代社会に於いて、何故紙芝居が、見直されるようにになってきたのか?それを考えると、一言で述べさせてもらうなら、紙芝居は、コミュニケーション文化の典型だからだ。

現代社会に一番欠けている、コミュニケーションが、紙芝居を実演し、観ることで。得ることが出来るからだと、私は思う。

福岡に行って、えらそうな蘊蓄ばっかり述べて、えらいすんません。博多ラーメンも、明太子もお土産に買えなかったけど、私は、福岡に行かせて戴き、紙芝居の真骨頂のようなものをもらったような気がします。

帰りに、山口に寄って、中原中也の故郷を見てきました。学生時代に卒業論文を書く為に一度訪れたきり、数十年ぶりに、湯田温泉の駅に降りた時、駅舎は、昔のまんま、変わっていなかったけれど、街中を車が。猛スピードで行き交い、中原中也の、饅頭やせんべいこそなかったけど、あまりにも、デフォルメ化されていて、昔、田んぼと草原だらけだった、中也の生家の辺りも、綺麗に舗装され、立派な中也の記念館も出来ていた。

なんや、中也が、遠い存在になったみたいで、自分の心の中にずっとしまい込んでいた、中也の詩を愛する心を、温め直す為に、私は此処に来たのだと、漠然と感じた。

中也の詩が、本物だったから、こんなにも人々に愛され続けてきたのだろう。「紙芝居も、本物の文化として、普及していってもらうべく、私も、もっと紙芝居のこと勉強せなあかんなあ・・・・」と、中也所縁の、「高田公園」の小川に浮かぶ、あめんぼを眺め、じぶんも、このあめんぼのように、すいすいと、人生という川の上を器用に渡っていきたいと想う、みかんであった。

             byみかん

|

« 蝋燭の灯で紙芝居 6月29日 | トップページ | 次女のメール  7月3日 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。