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恩師の導え  6月19日

私の人生の恩師である、大河先生に、夜、電話でお話をさせて戴いた。兼ねてから、地域で活動をさせて戴くにあたり、大河先生にも、手品をご披露して戴きたいとお願いしていたのだが、先生から、ご都合が悪くて、いらっしゃれない旨のお便りを戴いたので、そのお礼の電話を差し上げたのだ。

先生とお話をしているうちに、今の自分の紙芝居の活動の、悩みを聴いて戴いた。こんなノー天気な性格の私ではあるが、こと、紙芝居に関しては、中途半端な気持ちですることが、どうしても出来ない性分で、全く自分でも困ったものだと、考えあぐねている。そんな人間関係の悩みを先生に、お話させていただいたのだが、先生は、「紙と鉛筆を持ちなさい。」とおっしゃった。

私は、言われるままに、夢中で筆箱から、鉛筆を取り出し、手帳の頁をめくって、書く準備をした。先生は「痩老蕾翁」という字を書きなさい。と、おっしゃった。

どういうことかと言うと、「痩老蕾翁」とは、痩せ老いた蕾のような翁と言う意味で、いくら、きれいな花を咲かす梅の木でも、手入れをしないでほっておいたら、醜い固い蕾になってしまう。人間も、同じように人の心にゆとりがなくなってしまい、社会性や道徳を重んじない人間関係で、歴史を知らない人物と付き合ってはいけない。人と人との心の繋がりの在る、美しい人生観の在ることが、極めて大切なのである。

大河先生は、このような事を、私にご指導して下さった。全くもって、おっしゃる通りである。また、このようなことも、述べらたれた。

「旅の醍醐味は、その土地の美しい自然の風景を愛でたり、そこに生息する生き物を見たり、その土地の風土や歴史を知り、そして、それらすべての事象を現している、宇宙の存在を実感することにある。」のだと・・・・

成程、まさしくそのとうりだ。ただ、お仕着せの観光名所を巡り、写真を撮って、土産を物色する旅では、底が浅い。

私は、先生のお話を聴いて、思った。「結局、人間の生涯も旅のようなもので、如何に、色々な、美しい、実の在る心で風景を観て、人と触れあい、人生観を築いていくことで、豊かな一生を過ごすことが出来るのだ。人間だから、時には失敗もし、過ちをおかすこともあるが、それさえも、自分の生きていく糧として生きていくことが、大切なのだと思う。

大河先生の導えは、私のような人間にとっては、計り知れないぐらい、在り難いものであると、いつも感謝の気持ちで一杯である。

「痩老蕾翁」(そろろうだいき)のような、生き方にならないように、自分もしていきたい、心がけたいと、背伸びをしいしい、後悔のない人生を送りたいと、何時もねがっている、みかんなのである。

         byみかん

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