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みかんの日本語考 6月18日

昨今、美しい日本語が失われつつあることを憂い、もう一度日本語について、見直そうという風潮になって来たことは、誠に喜ばしいことである。

正直、現代社会で、よく遣われている、「きもい」とか、「うざい」と云う言葉に対して、私はあまり、好感が持てない、堅物である。確かに、言葉は、時が流れていくうちに、変わっていく。だが、同じ変わるのなら、出来るだけ気持ちのいい形、響きの良い音の言葉として、残していき、次の世代に伝えていきたいと、私は考える。

増して、今は小学生の時から、英語の教育の必要性を尊ばれ、実際、小学校で英語の授業を課せられる時代がちかづいているのであるから、なお更、私達が日常で使っている日本語は、美しい言葉として在りたい。

少々時代錯誤と思われる方もおられるが、今や日本語の中で、一番欠落しているのが、敬語なのだ。日本人の心を象徴する、目上の人を敬う気持ちを表す敬語程、素晴らしいものはないと、私は思う。

なのに、今、日本語で、その敬語が危ないのである。敬語の概念自体が失わようとしていることに、私は、日本人が本来持っている、日本人の心が消えてしまうのではないかと、危惧する。

尊敬語、謙譲語、丁寧語、この三つの要素を持つ日本語を、私達はもう一度見直す時がきているのではないだろうか?敬語を正しく伝えていくことが、美しい日本語を残すことに繋がるのだと思う。

英語を学ぶことが、大切なのと同じくらい、美しい母国語を慈しむことが、必要不可欠で、ひいては、子供達の学力の向上と道徳心を養っていくことに繋がっていくのだと想う。

かなり頭の固い、旧い考えだとお考えの方もおられると思うが、紙芝居という、言葉や、人と人とのコミュニケーションに携わる活動をさせて戴いていると、それがとても気になるのである。心配になるのである。

何故なら、言葉は、その人の生まれてから、ずっと今まで生きてきた環境や、人間性が端的に顕われるものであるからだ。「いくら、綺麗な顔をして、美しい装いをしていても、その人が発する、一言、二言の言葉を聞くだけで、人間性が出てしまう」というのが、私の母の持論で、いつも私は、そのように教わってきた。

そう言っている、自分自身、かなりいい加減な言葉を遣っているのだと、反省するのだが、日本語しか話せないのだから、せめて、自分が生まれた国の言葉遣いぐらいは、ちゃんと話したいものだと、いつも思っているみかんであった。

            byみかん、

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