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2008年6月

蝋燭の灯で紙芝居 6月29日

今日は、何時も、紙芝居教室をさせて戴いている田辺にあるスタジオ、すずき住建さんの「なちゅらる」で、夕刻も終わりかけた時間に、キャンドルナイトのイベントが行なわれた。

私も、其処で、集まられた子どもさんや、親御さん方の前で紙芝居を実演させて戴いた。この日に臨んで、どんな紙芝居をさせてもらったらいいか、いろいろとない知恵を絞って、考えていた。

そして、やっぱり夏至の日のイベントなんだから、太陽に関係の在る紙芝居をしようと、考えた。

私の好きな紙芝居の一つで、ベトナムの人が創られた、「太陽はどこからでるの」という。紙芝居がある。これを、是非させて戴こう!と、心に決めた。この紙芝居は、かにと、しかと、さるの三匹の動物のそれぞれの立場から、太陽が昇る場所が、全く違う。それで、三匹は、本当のことが知りたくて、もの知りのふくろうのおじさんの処へ、聞きに行くが、ふくろうは、昼間は寝て夜だけ起きているので、そんなものは、存在しないという。

そこで、一番知恵のあるさるが、一番早起きの鶏に聴きに行こうと、提案する。そして、最後の場面で、鶏の凛々しくも、美しい姿が描かれていて、「太陽が昇るのは東。」という、本当の真実を告げる。

この紙芝居は、先ほども述べたが、ベトナムのチョン、ヒュウさんという方が創られた、非常に美しい絵で、日本人とは全く違った色合で描かれた紙芝居である。そして、紙芝居の唯一の賞、「高橋五山賞」を受賞した、傑作だ。

みんな、それぞれの立場で見て、いろんな価値観があるが、本当の真実は、普遍的な事象であることを、最後の鶏の美しい絵で、象徴されている

この紙芝居の他にも2作品、演じさせて戴き、ほのかに揺れる、蝋燭の灯かりの下で、紙芝居を子供さん達の前で演じさせて戴き、私自身が、自分の心と向き合い、時が止まったような、充実した体験をさせて戴き、本当に有り難かった。

紙芝居は、動かない絵だから、揺れる蝋燭の灯かりの下で演じると、動いている様に実感出来たのかもしれない。本当に、奥の深い、凄い文化だと、つくづく実感させて戴いたひと時であった。

本日、このような素晴らしい場を設けて戴き、本当にありがとうございます。子供さん達の真剣な眼差しが、また、これからの自分の活動の原動力となりました。

明日は、福岡の紙芝居講座!、4時半起きです。また、紙芝居のいろんな秘密をお土産に持って帰りたいです。お休みなさい。

           byみかん

             

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人が人を裁くということ 6/27

裁判員制度が、来年から行なわれる。この制度の内容を、つぶさにご存知の方が、どれだけおられるだろうか?仕事をしている人も、そうでない人も、みんな、否が応でも裁判に出席し、判決を下さなければならないそうだ。

これを、拒否することは、よほどの理由がなければ、できないそうで、拒否すると、罰則さえも与えられるそうだ。

もともと、裁判というもの自体、人間が人間を裁くという、ややもすれば、過ちを犯しやすい可能性のあるものである。無実の人間が有罪になることにもなりかねない。

実際、冤罪事件は、今までにも少なくはなかった。裁判員も、人間だから、過ちを犯したり、主観的な考えで、判決を下すことが、全く無いとは言えないと、私は思う。

私が、この制度のことで、一番、何が言いたいかと言うと、一般市民の人が、人を裁くという、こんな大切な制度を、私達の全く知らない所で、なんの議論も、国民の意思も問わず、決定してし、施行しようということが、あまりにも、時期尚早と言うよりも、国民の意思を無視した、制度なのではないかと思うのだが、如何なものであろう。

裁判員制度では、有罪か無罪の判決、量刑の決定、その上、死刑を下すかどうかまで、決定しなければならない。なんの、法律の知識を持たない人が、殆どだと思われる、この現状で、今一度、裁判員制度について、今からでは遅くないので、もっと議論する余地が、ひつようなのでは、ないだろうか?

同じようなことの、繰り返しになるのだが、私が、もっと問題にしたいことは、こんな大切な制度を、私達国民の全く知らない処で、決められ、殆どの人の意思を無視して、このような制度が、一方的に決められたことが、非常に問題だと思う。

これは、一制度にすぎないが、この制度が、されたら、また、もっと別の、第二、第三の国民の意思を無視した、一方的な制度が出来、最後には、民主主義の根幹から、崩壊してしまう時代が、来るのではないかという、そのことが、恐ろしい。

これって、今までの歴史で、繰り返されてきたことだと思いませんか?歴史は繰り返され、私達の未来は、どうなっていくのでしょうか? 

私達国民は、裁判員制度よりも、もっと、この国を良くする為に、やらなければならないことが、山積していると、考えるのは、私だけなのであろうか?

真の民主主義は、国民一人ひとりが、自主的にこの国の未来を、真剣に考えることから、生まれるのだと、思う。する、しないの選択の余地のない、裁判員制度 に対して、私は、何か釈然としない気持ちで一杯である

           byみかん 

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不快指数100%  6月26日

言いたくないけど。毎日暑い・・・それに、雨が降るには降るが、その雨も、何故か湿って、じとじとした雨だ。一番、最近私が感じていることは、風が吹かない。それも、さわやかな涼風が吹かないのだ。

昔は、クーラーなんて便利なもんがなかった時代、うちら一般庶民の子供らは、晩御飯の後に、外に出て、夕涼みというのをしていた。時には、近所の友達と花火をしたり、とりとめもない話をしながら、夜空の星を見上げたりして、暑い夏の夜を過ごしていたと思う。

夜寝る時も、窓を開けて寝ると、涼しい風が入って来て、とても心地良かったような気がする。地球温暖化と関係があるかどうかはしれんけど、そんな、さわやかな風、最近、感じんようになってきたと思う。

そんな不快な気候も、この現代社会の人々のストレスに相乗効果を及ぼし、嫌な事件や、忌まわしい出来事ばかりが続くのであろうか?

人間が、快適に過ごすには、やはり、私は自然の風を感じることが大切だと、最近考えるようになって来た。こんな無風状態な時代やから、人々の心も蝕まれていくのか?

嗚呼、時代にそよ風を吹かす人間は居ないのか?

もう、私達は、さわやかな風を実感することが出来ないのか?

人間の実力なんて、たかだかしれているのか?それとも、視点や論点、目の付け所がずれているのか?

うちら一般庶民は、今日もクーラーをかけるのを、節約しいしい、汗をふきながら、扇風機の前で、団扇であおぎ、涼むみかんなのであった。あああつう・・・・

          byみかん

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逆襲亭ゴジラさんへ

東京から、はるばるこのブログに書き込みを戴き、ありがとうございます。

また、いろいろな情報を教えて戴き、有り難く思っております。東京で紙芝居の活動をされているとのこと。東京は、紙芝居の発生に地ですよね。東京での御活躍を願っております。ありがとうございます。

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西奔東走   6月25日

お蔭様で、今日も今日とて、午前中は、地域の親子サロンで、赤ちゃんとお母さん方に、紙芝居を楽しんで戴いた。一番前の赤ちゃんと目が会い、とても楽しい時間を過ごさせて戴けた。

この親子サロンさんも、かれこれ、通い始めさせて戴き、月に一度ではあるが、一年と半年の月日が過ぎた。私の活動の原点である、子育て支援の役割を担わせて戴けて、本当に有り難い。もうすぐ、自分の孫もデビュゥーさせて戴ける日も近いことであろう。ばあちやんは、顔晴るぞ!

午後は、午後とて、駒川商店街の中にある、「ふくしの駅」で、紙芝居の仲間の方と、子育て支援の同志の方とご一緒に、紙芝居&パネルシアター劇場を努めさせて戴いた。少しばて気味のみかんにとって、仲間の方々の助っ人は、本当に有り難かった。私も、しんどいと言いながら、「ごきげんのわるいコックさん」の紙芝居を、楽しく演じさせて戴けた。

そんなこんなで、わいわいと楽しい時間はあっと言う間に過ぎ、駒川商店街の「ふくしの駅」の紙芝居とパネルシアターのお話会は、盛況のうちに、お開きとなった。

次回は7月23日(水)に一日イベントとして、「昭和のお祭り」をやりま~す。駄菓子や、型抜き、バルーンアート、昔の遊びも再現したいと考えています。勿論、紙芝居も実演致します。マジックショーもあります。クラウンさんも来られます。なんでもありの、楽しいお祭りで、老若男女の方々に喜んで戴けたら、有り難いです。是非、お越し下さい。

夜は夜とて、塾のバイトへ、直行!国語は、すぐに結果は出ない、地道な科目だけど、とても大切な母国語の学習だと鑑み、少しでも漢字や、言葉に興味を持ってもらえると、嬉しい。最近、ホワイトボードを使って、漢字を覚えてもらうようにしている。ホワイトボードに書くことが、楽しいみたいで、紙に書くより、正確に書ける。すごい!子供さんは、やっぱり天才だ。インクの吸い取り紙みたいに、吸収していく。

やっと、我が家に帰宅して、今日も一日、無事に過ごさせて戴いた。愛犬にも出迎えられることもなく、家族もみんな、寝静まり、一人で遅い夕食を食べながら、今日も、いい一日を過ごす事が出来たと、感謝しいしい、お腹の大きい次女に、メールを送り、変わりはないかと、尋ねたら、大丈夫やけど、なんきんの炊き方教えてと聞かれた。「あのな、この前、うまいこと炊けたて、言うてたんちがうん?」と、突っ込みたくなるところを、なんきんの炊き方を伝授した。「お腹の子も食べるんや・・・」そう、考えると、まだ見ぬ孫の顔が、なんとなく、今日、親子サロンで目が会った、赤ちゃんの顔を思い浮かべ、一人でに嬉しくなる、みかんであった。

           byみかん

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みかんの挨拶  6月24日

とざい、とーざい、何時も青空みかんのブログを、覗いて戴き、誠にありがとうございます。この、私のつまらない、毎日のつぶやきを送らせて戴いて、なんとか、はや2年半が、たとうとしておりまする。

とぎれとぎれで、お休みの日も多々在り、写真も、動画もない、つまらない私事の戯言ではございますが、皆様に支えられて、なんとか続けさせて戴くことが出来ました。

正直言って、もう止めようかと、何度思ったかは分かりませんが、こんなつまらん文章でも、毎日見てくれているという、友の声を聴くと、それだけで、私は十分幸せなんだ。そう、思える自分が嬉しくて、また、苦手なパソコンと、格闘しながら、いろいろ試行錯誤しながら、このブログを続けさせていただいております。

お蔭様で、紙芝居の活動も、ぼつぼつとお声がかかり、こんな私でも紙芝居を演じさせて戴けることが、とてもありがたいです。

紙芝居は、私に人生の生きる方向性を示してくれ、紙芝居は、私に生きる喜びを与えてくれ、紙芝居は、私に沢山の人々と出会わせてくれ、紙芝居は私に、この世に生まれて来た意味を教えてくれました。

紙芝居と出逢ってなかったら、私は、死ぬほど辛い思いをしても、自分の紙芝居を楽しみに待ってくれている子供達に会いたいと想うこともなく、この世に存在していなかったでしょう。

紙芝居を演じることで、私は生きさせてもらってるなんて、かんがえるとしんどいので、紙芝居のお蔭で、楽しい人生を送ることが出来るのだと、思います。

美人薄命なので、私はあとこれからも、物凄い長生きできると思います。そして、これからも、ずっと紙芝居を続けていきたいと思います。

正直言って、重たい舞台を提げて、炎天の中を坂道を上って行く時なんか、こんな舞台ほったろかと、思ったことも、何回かありました。でも、母が買ってくれた大切な舞台をどうしてほかせましょうか?また、自分が死ぬほど大切に思っている紙芝居を、何故捨てることができるでしょう?そして、何より、この路のゴールには、私の紙芝居を待ってくれている子供達が居る。そう、思って、続けていくことが出来ました。

この平成の生きにくい時代を必死に、子育てをしている親御さん達の笑う顔が見たい。(橋下さんみたいやなあ)少しでも子育てを楽しんでもらえたら、嬉しいです。

長々と、書き、いつもしまりのない、牛のよだれみたいな文章ですが、この暑さと、疲れから、ちょっとへばっている自分に、エールを贈ってやりたかったので、皆様にも観客になって戴きました

最後までお付き合い戴き、誠にありがとうございます。これからも、みかんの紙芝居は、永遠に不滅です!(オーバーやなあ・・・)どうか、宜しくお願い申し上げます。ありがとうございます!

            byみかん

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紙芝居は、総合芸術? 6/21

紙芝居を創ると云うことは、大変なことである。まずは、ストーリーを考えるという、とてつもない想像力が必要だ。また、その考えたお話を脚本にするための、文章力が培われる。

そして、何よりも重要なのは、勿論、絵を描くことだ。この絵が、また、紙芝居としての絵を描くのに、いろいろな制約があり、しかも、人々の心に焼きつくような絵を描かないといけない。

そして、最後にその創られた紙芝居を演じることで、初めて、その作品が生かされるのだ。

こうして考えると、紙芝居を創り、演じるということは、演劇や、映画に似ている。だが、紙芝居の一番の醍醐味は、創る、創らないは別にして、たった一人で演じることだ。

演劇でも、一人芝居があるし、落語だって、一人でする。だから、紙芝居は、奥が深いのだ。

また、動かない絵を抜いて、差し込むという、この単純な動作によって、あたかも絵が動いている様に見せることも、紙芝居の大きな特色だ。

このように、紙芝居は、昭和の初めから現代まで、色々な先人達に研鑽され、大変な苦労によって出来た文化である。

紙芝居は、いつでも、どこでも、だれにでも、簡便にお届け出来る、素晴らしいミニ劇場なのだと、私は思う。そして、それを観る人々の心を震撼させ、また、みんなが一緒だという気持ちを提供し、心の底から、笑い泣くことの出来る、芸術なのだ。

今、何故紙芝居が、三度脚光を浴びつつあるのか?それは、物質的には豊かであるが、この生きにくい平成の時代に、紙芝居で、心の豊かさと、共感出来る居場所を人々は求めているからではないだろうか?

紙芝居を活動させて戴いている自分が、このような生意気なことを言わせて戴くのは、、大変憚るのだが、少なくとも、私は紙芝居の活動をさせて戴いていることに、誇りを持って、これからもずっと続けていきたいと思っている。

ありがたいことに、私は健康で、動ける。だから、この身体が自由に動く限りは、皆様に、少しでも喜んで戴き、子供さん達の明るい希望の光として、これからも、紙芝居を世界中の子供さんはもとより、全ての人々に観て戴き、生きる希望と喜びを持って戴ければ、こんな嬉しいことはない。雨あがりの虹のように、私は空を架けていきたい。

              byみかん    

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また、やってしまった・・・6/20

私は、父親譲りの頑固者で、むこうっ気が強くて、とても不器用な生き方しかできない所がある。その上、いたって馬鹿正直なので、思ったことをストレートに言ってしまい、人から誤解されることが、多々ある。

今日も今日とて、仕事先で、自分に全く思いもよらないことを、会社の方に言われた私は、大人になれず、相手の言うことを、まともに受けて、大変失礼な言い方をしてしまい、反省している。私ののいい所は、正直の上に馬鹿がつく所なのだが、それが高じすぎて、何時も失敗の連続のみかんである。「馬耳東風」「柳に風」といかないのが、私の一番の弱点であり、また、このくそ真面目さが、私の取り得なのであろう。

自分の気持ちを上手にコントロール出来る人は、世渡りが上手なのであろう。だが、その反対に、私の様に、自分の気持ちに馬鹿正直な人間は、笑顔の一つでもサービスするとか、お世辞の上手な言葉をかければ、もうちっと、行き易い人生を歩めるのであろうが、悲しいかな、父親の血を引いた私は、自分の信じた気持ちを変えようとしない、無骨者である。

だが、こんな私であるが、このごろは、「まあ、ええか。」と、やっと開き直ることが出来るようになってきたまさに、おおさかのおばちゃんの乗りで、これからも、多々失敗があると思うが、どんな時でも自分を責めず、「はい、次!」という、前向き思考で、もう少し、したたかに生きられたら、ええやろなあと、今日の失敗の心の整理を、思案するみかんであった。「覆水も盆に還る時もたまにある。」この、厚かましさで、乗り切ろう!

           byみかん

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恩師の導え  6月19日

私の人生の恩師である、大河先生に、夜、電話でお話をさせて戴いた。兼ねてから、地域で活動をさせて戴くにあたり、大河先生にも、手品をご披露して戴きたいとお願いしていたのだが、先生から、ご都合が悪くて、いらっしゃれない旨のお便りを戴いたので、そのお礼の電話を差し上げたのだ。

先生とお話をしているうちに、今の自分の紙芝居の活動の、悩みを聴いて戴いた。こんなノー天気な性格の私ではあるが、こと、紙芝居に関しては、中途半端な気持ちですることが、どうしても出来ない性分で、全く自分でも困ったものだと、考えあぐねている。そんな人間関係の悩みを先生に、お話させていただいたのだが、先生は、「紙と鉛筆を持ちなさい。」とおっしゃった。

私は、言われるままに、夢中で筆箱から、鉛筆を取り出し、手帳の頁をめくって、書く準備をした。先生は「痩老蕾翁」という字を書きなさい。と、おっしゃった。

どういうことかと言うと、「痩老蕾翁」とは、痩せ老いた蕾のような翁と言う意味で、いくら、きれいな花を咲かす梅の木でも、手入れをしないでほっておいたら、醜い固い蕾になってしまう。人間も、同じように人の心にゆとりがなくなってしまい、社会性や道徳を重んじない人間関係で、歴史を知らない人物と付き合ってはいけない。人と人との心の繋がりの在る、美しい人生観の在ることが、極めて大切なのである。

大河先生は、このような事を、私にご指導して下さった。全くもって、おっしゃる通りである。また、このようなことも、述べらたれた。

「旅の醍醐味は、その土地の美しい自然の風景を愛でたり、そこに生息する生き物を見たり、その土地の風土や歴史を知り、そして、それらすべての事象を現している、宇宙の存在を実感することにある。」のだと・・・・

成程、まさしくそのとうりだ。ただ、お仕着せの観光名所を巡り、写真を撮って、土産を物色する旅では、底が浅い。

私は、先生のお話を聴いて、思った。「結局、人間の生涯も旅のようなもので、如何に、色々な、美しい、実の在る心で風景を観て、人と触れあい、人生観を築いていくことで、豊かな一生を過ごすことが出来るのだ。人間だから、時には失敗もし、過ちをおかすこともあるが、それさえも、自分の生きていく糧として生きていくことが、大切なのだと思う。

大河先生の導えは、私のような人間にとっては、計り知れないぐらい、在り難いものであると、いつも感謝の気持ちで一杯である。

「痩老蕾翁」(そろろうだいき)のような、生き方にならないように、自分もしていきたい、心がけたいと、背伸びをしいしい、後悔のない人生を送りたいと、何時もねがっている、みかんなのである。

         byみかん

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みかんの日本語考 6月18日

昨今、美しい日本語が失われつつあることを憂い、もう一度日本語について、見直そうという風潮になって来たことは、誠に喜ばしいことである。

正直、現代社会で、よく遣われている、「きもい」とか、「うざい」と云う言葉に対して、私はあまり、好感が持てない、堅物である。確かに、言葉は、時が流れていくうちに、変わっていく。だが、同じ変わるのなら、出来るだけ気持ちのいい形、響きの良い音の言葉として、残していき、次の世代に伝えていきたいと、私は考える。

増して、今は小学生の時から、英語の教育の必要性を尊ばれ、実際、小学校で英語の授業を課せられる時代がちかづいているのであるから、なお更、私達が日常で使っている日本語は、美しい言葉として在りたい。

少々時代錯誤と思われる方もおられるが、今や日本語の中で、一番欠落しているのが、敬語なのだ。日本人の心を象徴する、目上の人を敬う気持ちを表す敬語程、素晴らしいものはないと、私は思う。

なのに、今、日本語で、その敬語が危ないのである。敬語の概念自体が失わようとしていることに、私は、日本人が本来持っている、日本人の心が消えてしまうのではないかと、危惧する。

尊敬語、謙譲語、丁寧語、この三つの要素を持つ日本語を、私達はもう一度見直す時がきているのではないだろうか?敬語を正しく伝えていくことが、美しい日本語を残すことに繋がるのだと思う。

英語を学ぶことが、大切なのと同じくらい、美しい母国語を慈しむことが、必要不可欠で、ひいては、子供達の学力の向上と道徳心を養っていくことに繋がっていくのだと想う。

かなり頭の固い、旧い考えだとお考えの方もおられると思うが、紙芝居という、言葉や、人と人とのコミュニケーションに携わる活動をさせて戴いていると、それがとても気になるのである。心配になるのである。

何故なら、言葉は、その人の生まれてから、ずっと今まで生きてきた環境や、人間性が端的に顕われるものであるからだ。「いくら、綺麗な顔をして、美しい装いをしていても、その人が発する、一言、二言の言葉を聞くだけで、人間性が出てしまう」というのが、私の母の持論で、いつも私は、そのように教わってきた。

そう言っている、自分自身、かなりいい加減な言葉を遣っているのだと、反省するのだが、日本語しか話せないのだから、せめて、自分が生まれた国の言葉遣いぐらいは、ちゃんと話したいものだと、いつも思っているみかんであった。

            byみかん、

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みかんの予定6月後半 6/17

何時も、青空視観の紙芝居を温かく、見守って戴き、誠にありがとうございます。

誠に僭越ではございますが、今月のみかんの紙芝居の口演予定をお知らせさせて戴きます。お近くに参りました折は、お気軽に足を運んで戴ければ、幸いでございます。(事前にお問い合わせ下さいませ。06-6621-2467 「山口」)

                  

6月21日(土)  榎本小学校にて紙芝居教室     10時~12時

           (地域連携事業の一環として)

6月22日(日) 全興寺街頭紙芝居実演      14時、15時

            大阪市平野区全興寺  (地下鉄谷町線平野駅下車南港通東南へ)

6月25日(水)  田辺親子サロン         11時15分~

             田辺会館にて

6月25日(水)  駒川商店街「ふくしの駅」で、紙芝居実演と、パネルシアター

           (地下鉄谷町線駒川中野駅下車) 14時~15時                    

6月26日(木)   マザーズドリームさんの紙芝居のお話会  16時~16時半

             地下鉄田辺駅、東へ徒歩3分

月27日(金)   「あずまデイサービス」さんにて紙芝居の実演 13時半~2時半

             JR西宮駅下車

6月28日(土)   青空みかんの紙芝居教室    14時~16時

            「すずき住建田辺スタジオ」さんにて   紙芝居の実演の基本のキ

            (地下鉄谷町線田辺駅下車南へ徒歩7分)

これかれも、まだまだ未熟ではございますが、少しでも皆様に喜んで戴ける様な紙芝居を選ばせて戴き、稽古に励み、実演させて戴く所存でございます。何卒、宜しくお願い申し上げます。ありがとうございます!

               byみかん

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されど紙芝居 6月16日

今日は、紙芝居についての、私の思いを語らせて戴きたい。私と紙芝居の出逢いは、以前にも、このブログや、また私のホームページで述べさせて戴いている。

私は、子供さんに関わりたいと想い、図書館のボランティアを始めた頃、絵本と紙芝居との違いが、判らず、どうしてもそのことが知りたくて、ボランティアの師匠で在る、大河萬子次先生に、紙芝居文化の会の存在を教えて戴いた。そして、年に一度、東京で開かれる、紙芝居文化の会の総会の分科会で、まついのりこさんの、お話を聞いて、絵本と紙芝居の違いが、はっきりと、手に取るように理解出来、紙芝居を私は生涯学んでいきたいと心に誓ったのが、紙芝居との出逢いであった。

では、何故紙芝居をずっと学んでいきたいと想ったのか?それは、紙芝居は日本で生まれた、世界に誇る独自の文化であるとともに、紙芝居の持つ、紙芝居ならではの素晴らしい特性が、私の心を揺り動かしたのだ

紙芝居は、生身の人間が肉声で語る、作品世界をその場で観ている観客の全ての人が、共有し、また、紙芝居の作品を観ることで、演じ手と観客、また、観客同士でコミュニケーションが生まれる、素晴らしい特性を持っているのだ。

今、この時代に一番必要な、人と人との、大切な触れあいの場を設けてくれるのも、紙芝居の作品世界を通して、生まれるのであると想う。

人間同士の関係が希薄になり、実体験が無くなって来て、携帯やパソコンの世界でしか、コミュニケーションを図れない現代社会に於いて、私は、優れた作品を優れた演じ手によって、紙芝居を観ることによって、この世知辛い世の中に、一筋の光明を灯していけたら、こんな嬉しいことはないと思っている。

勿論、私ごときが、ひとりがんばった所で、どうにもならないのは、百も承知だ。だが、紙芝居の奥深さ、その凄さを知ってしまった私は、行動を起こすことをしないと、何も始まらないのだ。そして、何より、紙芝居を演じることが、本当に楽しいのだ。

今日も、或るデイサービスの施設にお邪魔し、紙芝居を実演させて戴いた。観てくだる皆さんの嬉しそうな顔、楽しんでいる表情、集中して下さることを実感できる空気、これを味わってしまったら、もう、止められない、とまらない、かっぱえびせん!いや失礼、はまってしまうのだ。

こんな人間が、一人ぐらい居ても、世の中のお邪魔にならないのであれば、私は、紙芝居を演じ続けさせて戴いて、生きていきたいと想う。

たかが、紙芝居。されど、紙芝居。紙芝居程、自分の生きてきた足跡を、等身大に写し出し、人々に感動を味わって戴けるものはないと、紙芝居を誇りに思い、次の世代に伝えていかせて戴きたいと切に願う、みかんである。

          byみかん

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旅のもくろみ   6月15日

今、私は密かに、旅の計画を立てている。密かにと言いながら、このブログに書き込みをしているのだから、なんのことかあ判らないが・・・・

それは、今月の末に福岡へ紙芝居文化の会の、講座に行く予定なのだ。その帰りに、兼ねてから、ずっと行きたいと想っていた山口に在る、中原中也の文学記念館に、立ち寄ろうかと、考えているのだ。

中原中也は、私の最も愛する詩人であり、卒業論文の主人公でもある。学生時代に、一度、彼の故郷である、山口の湯田温泉を訪れたことがある。彼の故郷を見つめる目は、とても懐かしいと云う一言では、語りつくせないものが在る。

中原中也の詩の中の世界に描かれている故郷を、今一度確かめたい想いと、また、学生時代には、存在しなかった彼の文学記念館を、是非、この目で見てみたいという、強い衝動に駆られているのだ。

そんな訳で、福岡からの帰りに、山口に寄るのは、私にとってはとても勇気の要る冒険なのだが、この機会を逃すと、もう行けるチャンスがないのではないかと、考えている。

八月には、次女がお産をしに帰って来る。その前にどうしても行っておきたい。これは、私の自分勝手な想いであるが、このもくろみを決行するのは、今しかなのだ。孫が生まれたら、私は多分、嬉々として子育ての手助けに専念するであろう。

今、この時を大切に、自分に正直に生きていきたいと切に望み、ずうずうしい考えで、色々と、旅の計画を練っている、みかんであった。

             byみかん

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涙の天変地異 6月14日

明日の父の日を目前にして、また、東北地方に大きな地震が襲った。亡くなられた方々に謹んで、哀悼の意を込めて、ご冥福をお祈りする。また、災難に遭われた被災者の方々に、心からお見舞いをもうしあげます。

「天災は、忘れた頃にやって来る。」と、申しますが、現代社会の科学が如何に、発達しようと、自然の偉大な力の前では、如何ともし難いことが、まざまざと思い知らされる。

どんなに人間の叡智を結集しても、私達は自然には、勝てない。否、そう思うこと自体が、不遜だと思っても仕方がない。

では、このような災害に遭った時、どうすれば良いのか?それは、やはり、人間は独りでは生きていけない動物なのだから、お互いに助け合い、励ましあって生きていくことが、賢明であろう。

今回の、災難に遭われた方々に対して、対岸の火事として見るのではなく、各人が、自分で出来る形で、何か手助けをするアクションを起こすことをしようと、私は敢えて、ここで申しあげたい。

私独りでは、何も出来ないけれど、災難に遭われた方々が、今、何を必要としておられるのか、どのようなことを望んでおられるのかを考え、少しでもお役に立てれば、幸いである。

これは、人事ではない。誰もがこのような地震の災害に遭う可能性が在る。今、私達が助け合うことで、ひいては、自分にかえってくるのである。

明日の楽しい、父の日を楽しみにして、色々と行楽や行事やイベントを練っておられた方もおられるであろう。涙にくれる方々に、私は少しでも、心が安らいで戴ける方法はないかと、思案中なのである。

            byみかん

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みかんの言い訳 6月12日

最近、気候が不順で、私の胸の動悸?も不順でえらいすんません。なかなか、ブログを毎日流せなくて・・・

最近、歳の性か手帳がないと、自分の予定が判らなくて、すんません。曖昧な返事をすることが、多くなって・・・・

最近、老眼か、はたまた、コンタクトの調子が悪いのか、すんません。よく、見間違いをして、ご迷惑をおかけすることが、多々ありまして・・・

最近は、だいぶ開き直る癖が身について来て、すんません。とんちんかんな返答ばかりして、言い訳じみたことばっかり、云うてます。

人間、誰しも歳を重ねると図太くなるのでしょうか?体形に比例して、私も随分と厚かましい生き方をするようになって来たと、反省しています。

もっと、謙虚に、もっと慎ましく、もっと、真摯になることが肝要と思いつつ、ついつい、テレビの前で、おせんべいをかじりながら、吉永小百合のテレビのコマーシャルを観ては、私も、吉永小百合のように、綺麗に美しく、歳を積み重ねていきたいと、想いつつ、想うことと、行動が矛盾しています。

それでも、紙芝居だけは、自分の心の絆であり、生きて行く原点であると、自負しつつ、毎日、紙芝居の練習の時だけは、口の中は空っぽにして、励んでいるみかんなのであります。

        byみかん

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忘れることは、罪か? 6月10日

忘却とは、忘れ去ること也」「風化とは、人間の過ちを繰り返す前兆なり」

人間は、何度も轍を踏む。そして、反省し後悔し、改めずにまた、過ちを繰り返す・・・・

東京の秋葉原で起きた、「歩行者地獄無差別殺人事件」が、それだ。もう、たくさんだ。こんな悲惨な事件は。人間の理性と尊厳は、もはや地に落ちたのか?

私達は、このような悲惨な事件を二度と起こさないようにする為には、どうすればいいのか?私なりに、未熟ではあるが、考えさせられた。

男は、勉強がよくできた。男は、親の期待を一身に受けていた。男は、友達が少なかった。男は、大人になって、自分を卑下するようになった。男は、世間に自分を認めてもらいたかった。男は、静岡から、わざわざ、東京にトラックに乗って、人を殺しに行った。

男は、日曜日の歩行者天国で、無差別に人を殺した。誰でも良かった。人間ならば・・・・

孤独と、自己顕示の葛藤が、彼を犯行に走らせたのか?自分の存在のアピールを、無差別殺人という形で・・・

若者が今危ない。子供達が危険だ。世の中のねじの何処かが狂っている。

忘れることは、罪だ。風化させることは、罪悪だ。嬉しいことも悲しいことも、みんなが共に感じ、共有し、分かち合いながら生きていくことが、必要な時代になって来ているのではないだろうか。

大それたことは、言えないが、今、私達がすることは、人間の英知を取り戻し、心と心が直接触れ合える、そんな社会を創っていくことが大切なのだと想う。

人間を信じたいと想っている、お人よしな私は、今日も胸が潰れる思いである。明るい未来を信じて、この事件を忘れず、風化させず、人々の心に笑顔が戻る時代を私は生意気だが、思わんばかりである。

           byみかん

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飛べたホタル 6月8日

心配していたお天気にも恵まれ、無事に「ほたるの夕べ」のイベントでの、紙芝居の実演を終えさせて戴いた。

それにしても、なんという大勢の方々が来られたのであろう?都会の夜を舞い上がる、幻想的な蛍の光を、一目見ようと、凡そ2千人位の方が来られたそうだ。

そのうちのどの位の方々に、紙芝居と、従兄弟がしてくれた、マジックを楽しんで戴けたかは判らない。ただ、私が言えることは、今回のような有り難い舞台で、紙芝居という、日本の文化として、老若男女の方々を前にして、実演させて戴く機会を設けて戴いたことに、深く感謝している。

ホタルの様に飛べたかどうかは、観客の皆様の心の中の問題なのだが、少なくとも、多々失敗や不備はあったけれど、とにかく、皆様の前で紙芝居を実演させて戴いたことに、深い意味があると思う。

昨今、心の豊かさを求められて来ている時代だからこそ、紙芝居の様な、ゆっくりとした、演じ手と醸し出す、お話の世界へと誘う時が必要なのではないだろうか?また、みんなが一緒だという、共感を持てる空間を求められるようになって来たのではなかろうか?

残念ながら、私はホタルを見ることは、出来なかったが、この上ない貴重な体験をさせて戴き、まさしく、舞台の上で自分自身が、羽のないホタルではあるが、都会の空へと飛び立つ気分になれた。こんな気持ちにさせてくれた紙芝居をやっていて、本当に良かったと思う、みかんであった。

            byみかん

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嗚呼、涙の研修! 6月7日

本日、勤め先の塾の研修会に行って参りました。なんと、そこには、今まで見たことももない、百名余りの大学生を中心とした、講師の先生方が、座っておられた。

私は、全く場違いなところへ来たという感じで、一番後ろの席に、ちいさくなって座っていた。本当に、こんな場所に、自分が居ていること自体不思議で仕方がない。

生活の為、紙芝居の勉強の為、そして、何より生徒さんや子供さん達が、少しでも勉強が好きになり、学校へ行くのが楽しくなってくれたら、「三方良し」である。

塾の社員さん方の熱いお話と、冷や汗一杯の研修問題に取り組み、こんなことなら、もう少し、数学の勉強をまともに、しておいたら良かったと、涙と冷や汗と、鼻水で、脱水状態のみかんであった。「後の後悔、先に立たず」「待てば海路の日和あり」「石の上にも三年」「瓢箪から駒」・・・・なんで、ことわざばっかり出てくんの?数学の問題よりも、諺に愛着が湧く、みかんであった。

              byみかん

明日の「ほたるの夕べ」のおしらせ

あすの夕方に行なわれる、東田辺小学校での、「ほたるの夕べ」での、紙芝居の実演は、雨天の場合でも、場所の変更等が、あるかもしれませんが、予定通り行いますので、宜しくお願い致します。

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不快指数0%?  6月6日

梅雨の真っ只中、体調の不調を訴えておられる方も大勢おられると思う。ご他聞に漏れず、私も連日のボランティア活動と、夕方からの、塾のアルバイトと、家事を及ばずながらら、こなしていくことは、かなりきつい。そして、何より在り難いことに、母が、むっちゃ元気で、パワーが炸裂しそうなので、私は、そのパワーに押しつぶされそうになりながら、彼女に脳トレの算数の問題や、解らない漢字を聞かれたら、教えさせて戴いている。

そんな、ずぶ濡れも服を着て、歩いている様な私だったが、今日は、5時から、何時もの様に駅前の塾に出向いた。この塾で、一番困るのは、学生さんか講師の先生か判らない時があることだ。今日も、若い男の先生が来られ、挨拶をして、生徒さん達が、やって来た。

私は、今日は以前から約束していたように、諺のカルタを持って来て、諺の学習をしようと計画していた。小学5年生の男の子と女の子と一緒に、ことわざカルタを机の上にならべた。このカルタは、普通のカルタと同じように、ことわざの上の言葉のカードと下の言葉のカードに分かれていて、上の言葉を読んで、下のカードを取って、競うというカルタだ。

初めは、分からない諺に、ちょっと途惑っていたが、段々と興じてきて、終いには、一緒に指導している、中2の学生に読んでもらい、テストによく出る諺の傾向と対策を考えてくれて、大変実の在る授業が出来たと、自画自賛している。

何時の間にか、私は連日の疲労感も消え、子供達と楽しく笑いながら、学習の時間を過ごすことが出来た。やはり、どんなことでも、「楽しむんでする」ということが、一番長続きする秘訣ではなかろうか。

特に、梅雨のこのしんどい時には、なお更だ。私の不快指数も、何時の間にか、段々と下がり、晴れ晴れとした心で、塾を後にした。

              byみかん

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話がかみ合わない時?6月6日

コミュニケーション程、難しいものはない。聴くことからまず、始めよう。笑顔で話そう。アイコンタクトを忘れずに、頷き、相槌を打つ。これだけで、貴方は、コミュニケーションのオーソリティーになれるかも。但し、自分の考えを相手に決して、押し付けるべからず。出来るかな?

人間関係のややこしい、この時代を生き抜くのは大変だけど、人間に生まれた限りは、やりましょう。話し合いましょ。どうせ、やるなら楽しくするのが、一番!

話が咬み合わない時は、まず、相手の言うこと聴きましょ。共感しましょ。解ろうと努力しましょ。出来るだけ。コミュニケーション図ることは、難しいけど、やり甲斐が在るのだと、思うのだ。

          byみかん

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みかんの種の用意 6月4日

今朝、たまった洗濯物を干し、そろそろ、出かけようと、携帯を見ると、次女様からのメールが来ていた。それは、一言「おはよう」という、見事なお日様の絵文字付きのメールである。私は、やっぱり、そういうことなんか。と、一人でがてんして、彼女に電話した。「しもしもおはよう!」「お母さん、暇やねん。」「今から、出かけるけど、家に来る?」「うん、行く、行く!」と、云う訳で、今日は、午前中に用事を済ませ、昼から、近くの赤ちゃん用品のお店へ、出産準備品を求めに行った。

ある、ある、赤ちゃん用品の数々が、所狭しと陳列されている。こんなお店、昔は無かったなあ。今は、本当に便利と言うか、在り難いというか、妊婦様も、重宝されている。

そして、彼女と私は、まだ顔も見ぬ赤子の、産着を買った。そして、真っ白いベビーウエアーも買って、生まれてくる児を待つことにした。

今も私の横には、もうすぐ生まれるであろう、初めての孫の着る、ドレスが掛かっている。

みかんの種の児は、どんな人生を携えて、生まれて来るのであろうか。願わくば、泣く時よりも、少しだけ、笑う時を余分にもらえる人生であって欲しい。まだ、見ぬ児の為にも、私はまだまだ、これから一所懸命に、生きていきたい。否、生かされて続けていきたい。

でも、それにしても、娘は何故にスヌーピーの柄にこだわるのであろう?まったく、母親が着るのではあるまいに。ま、いいか。私は、ミッフィーちゃんだったもんねん!

           byみかん

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みかんの予定  6月3日

何時も、青空みかんの今日の一言のブログを御覧戴き、誠にありがとうございます。

今月も、青空みかんは、皆様のお手元に、紙芝居をお届けすべく、日夜、練習に励んでおります。どうか、お近くに参りました折は、宜しければ、おたち寄り下されば、幸いです。

              記

「紙芝居大好きの会」勉強会 6月8日(日)午後2時~3時半

                 住吉人権文化センターにて

「ほたるの夕べ」    6月8日(日)午後6時20分~7時   

              大阪市立東田辺小学校 運動場のステージにて

              

「青空視観の紙芝居教室」   6月14日(土)午後2時~4時

               鈴木住建田辺スタジオにて 

デイサービス「わたの花」  6月16日(月)午後2時~3時

               大阪市平野区加美正覚寺

以上、6月前半の青空視観の紙芝居の実演のお知らせでした。

まだまだ、拙い紙芝居ではございますが、皆様に愛され、親しまれる紙芝居をお届けさせて戴きたいと、心より願っております。どうぞ、宜しくお願い申し上げます。ありがとうございます。

               byみかん             

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雨降る夜は・・・・  6月2日

完全無欠な人間なんて、この世には存在しない。

これからの自分の人生を見据え、過去の記憶の棚卸しをし、今、この時を生きる私は、何処をどう彷徨ったらいいのか、判らぬが、こんな私でも、慕ってくれる子供達が居る。

欠けているから、円くなりたいと願うのだ。線引きや、価値観の押し付けは、もう、やめにしよう。力を抜いて、しぼんでもええやん!また、何時かは膨らむよ。

今日から、近畿も梅雨入り。雨は、降るもの、やまむもの。生まれたての子猫の鳴き声が、雨の音から聴こえてくる。

嗚呼、お前も生きていたいのか。お母さん猫に甘えたいのか。それとも、雨の降るのを憂いているのか

お母さんは、大変だけど、この上なく、素敵なお仕事です。私は、充分、子育てを楽しませてもらいました。子供達と、「忍しゅごっこ」や、「座布団回しごっこ」をよくしたっけ。

私は、自分の運命を恨んだりは、しないけど、御天とう様の下を、堂々と胸を張って、歩いていける。たいしたお役に立つことが出来ていないのが、歯痒いだけだ。

だから、私は、これからも、口笛吹きながらスキップして、楽しく自分の人生を、駆けていこう。歩んでいこう。無限大の可能性に向かって、希望溢れる、子供達の笑顔を信じて・・・

重い紙芝居の舞台を片手に持ちながら、未来に向かって、進んでいくぞ!

          byみかん

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わが恩師の教え 5月31日

大阪市の地域連携事業ということで、この度、大阪市の或る学校で紙芝居を作る講座を、させて戴くということになった。その御報告も兼ねて、私の恩師である、大河萬子次先生のお宅に、お伺いした。

大河先生は、私が来るのを待ちかねていてくださったようで、来るや否や、早速、手話のレッスンをして下さり、小学校の打ち合わせでの緊張もほぐれた私は、少し疲れを覚えていたのだが、大河先生の矢継ぎ早のような、講座を受講させて戴き、だんだんと目が覚めてきた。奥様が、お茶を持って来てくださり、私はやっと、一息ついた。

こんなやりとりを、何時もさせて戴きながら、私は今日は、釈尊の説かれた、「父母の十の尊い恩」についての教えを請うた。

それは、「父母の慈愛の恩を裏切ることは、犬畜生にも劣る、あさはかなことである。」という、ありがたい十個の恩を弟子に説法されたということの、内容を詳しくご指導戴いた。

私も、幸いにして、もう孫もうまれようかという年齢にして、両親が健在であるということは、本当に在り難いことである。だが、その掛け替えのない両親を大切に思って、敬い、親孝行をしているかと言うと、本当に、お恥ずかしい気持ちで一杯だ。

大河先生に教えて戴いた、この教えを胸に、父母に喜んでもらえる様にするのには、いらぬ心配を懸けないことが、何より大切だと、それだけは、頭の疎い私にでも判る。

これは何時も思うことだが、父母が、生きていて良かった、嬉しかったと思ってもらえるように、精一杯尽くしていくことが、私の本当の親孝行なのだと、思う。自分自身に課せられた、宿題を、恩師の教えで気付かせて戴けた、みかんであった。

自分はこの世に生を受け、また、今を生かされているのは、父と母の深い縁(えにし)と、温かい愛情で以って、慈しんで育ててもらったお蔭であるこを肝に銘じて、生きたいと思う、これまたみかんであった。明日は、父の入院している病院に行ってみよう!お天気がいいみたいやから、外出して、車椅子で近くの観音様に、親子三人で、出かけてみようと、計画を練り、もう、その明日と云うのが、今日になっていることに驚き、おののくみかんである。年月の経つのは、あまりにも速い。まさしく、「光陰矢の如し」である。

            byみかん

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