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2008年5月

みかんの休日 5月29日

昨日のブログでは、大変、未完のまま流してしまい、失礼を致しました。連日の活動と、仕事とで、私は、パソコンの前に座った時には、殆ど意識がなく、朦朧と夢うつつで、打ち込んでしまい、申し訳ございませんでした。

そういう事で、今日は、夜の塾のお仕事もお休みだったので、休息を摂ることにしました。と、言っても、家に居てても、ゆっくりと休めないのが、主婦の辛さ・・・・その上、今日は、恐怖の歯医者さんへ行って、奥歯を抜くことになっているのです。さようなら、我が歯、半世紀近く、よくぞ働いてくださった。ありがとう。

歯医者さんで、あっと言う間に歯は抜け、麻酔でしびれた口を我慢しながら、家路に着くと、今度は娘から電話があり、「お母さん、サツマイモと長ネギとどうやって炊くの?」とのたまう。私は、身重の娘に、「あんた、ええとこに電話してきてくれた。おかん今日歯抜いて、ダウンやねん。悪いけど、晩御飯作りに来てくれへん?」ということで、娘を迎えに行き、スーパーに寄って、買い物を済ませ、帰宅した。帰ってみると、何故か愛犬も母も疲れ果てて、熟睡していた。私も、歯医者さんでもらった薬が効いてきたのか、眠くなってうつらうつらとしていた。

その間に娘は、母親に似ず、手際良く、晩ご飯の用意をしてくれ、私が目覚めた頃には、支度は出来ていた。なんのこっちゃあない、私は娘と娘のお腹の中に居る、まだ見ぬ孫に会いたかったのであろうか?

そんなこんなで、娘を自宅まで送って行き、帰宅すると、母がようよう、起きていた。愛犬の散歩から帰ると、故障したトイレのウオシュレットを新しいものと取り替える為に、持って来て下さった、住宅会社の社員さんと、近所に8階建てのマンションが出来るから、用心がわるうなるから、どないしょこないしょと、立ち話をして、帰られた後、やっと目を覚ました、結婚した娘の置き土産の愛犬を散歩に連れて行き、帰宅すると、やっと、晩御飯を戴くことが出来、長女も帰ってきて、珍しく一緒に、晩御飯を食べた。長女曰く、「今日はご馳走やなあ」

そうや、そうや、何時も私の手抜きのおかずやから、次女が作った献立がやけに美味しそうに見えたのであろう。

そんなこんなで、母のお茶の間で、晩御飯の後、沢口靖子が主演のサスペンスドラマを観ている間に、また睡魔に襲われ、何時の間にか眠っていた私を、お目当てのドラマを見終わった母が、「はよ、紙芝居の練習するねんやったら、ちゃっちゃとしなさい!」という、かみなりで、目が覚め、また、今宵も紙芝居のレッスン、レッスンで、一日を終えるみかんであった。

たしか今日は、休みの日やったんやけどなあ・・・・

              byみかん

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駒川商店街で紙芝居5月28日

毎月、第4水曜日の午後は、地元、東住吉区に在る、駒川商店街の中にある、「ふくしの駅」で、紙芝居を中心とした、お話会を催させいて戴くことになった。

今日も、午前中に、これもまた地域の親子さんに、会館で紙芝居を楽しんでいただき、その舌の根も乾かないうちに、駒川商店街に自転車に、舞台と紙芝居を積んで、すわ!商店街へ!今回で、まだ2回目なので,観客の方は少なかったが、一緒に紙芝居の活動をして下さっている方と、これまた、楽しく紙芝居を演じさせて戴き、紙芝居を終えて、ほっとしていたら、お向かいの薬局の奥様から、ドリンクの想わぬ差し入れを頂戴し、在り難かった。

昨年、住吉人権文化センターの紙芝居を作って演じるという、私の講座を受講して下さり、それがご縁で、紙芝居を作って戴いたりしている方も、遠路はるばる2歳の子供さんを連れて来てくださった。本当に、紙芝居は、人と人とを結びつける、接着剤のような力を持っている。

サポートをしてくださった、方々本当にありがとうございます。次回の駒川商店街の紙芝居の実演会は、6月の第4水曜日の25日になります。時間は、2時頃から、ぼちぼちやらせてもらいます。よかったら、遊びにお越しくださいね。

           byみかん

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我が恩師の話 5月27日

今日は、私の生涯学習の恩師で在り、人生の師匠でもある、大河萬子次(ましじ)先生のお話をさせて戴こうと思う。

大河先生との出逢いは、私の担当するお話会で、子供さん達に手品を観て感動してもらいたいと想い、或る方から、生涯学習の巨匠であり、ボランティア暦がなんと、今年で60有余年になられる、凄い方を紹介して戴いたのが、大河先生とのご縁であった。

そのお話会で、私は「アンパンマン」の紙芝居をさせて戴いたのだが、その紙芝居を観られた先生が、「貴女はこの紙芝居をこれからもずっとやりなさい。」と、おっしゃってくださっった。その時の私は、絵本と紙芝居との違いが判らず悩んでいた。そこで、大河先生は、東京に「紙芝居文化の会」という会が在ることを教えて下さった。

早速、「紙芝居文化の会」の事務局に電話をしてみると、まついのりこさんの娘さんの、松井エイコさんが、電話に出られて、もうすぐ、東京で総会があると、教えてくださった。その頃の私にとって、東京は、アラスカか南極ぐらい遠い所だと感じていたので、躊躇していると、エイコさんが、「山口さんがそう思ってくださっただけで、嬉しいですよ。」と言って下さった。その言葉が、私を東京に誘った。

大河先生の話にもどるが、先生は今年の8月で、84歳になられるが、戦後間もない頃から、当時は「篤志家」と呼ばれ、大阪市の公務員のお勤めをされながら、日曜日、祝日、有給、お正月等の休みという休みを全て費やして、近畿2府4県を重い手品道具を、トランクに入れて、施設訪問をずっとされているお方だ。

その志の基は、小学校の時に教えて戴いた、日本で始めて孤児院を造られた、石井十次氏の話に深く、感銘の念を受けられ、御自分も、いつか石井先生のように、恵まれない子供さん達の為に孤児院を造りたいという、熱い想いから発している。

そして、先生は、手品の他にも色々なことを、これもお勤めをされながら、通信教育の大学等で学ばれた。そして、先生の凄い所は、手品を目の不自由な方にも披露したいと想われ、点字を習われたり、また、実際に目の不自由な方々の前で、マジックを実現されたのだ。

また、耳の不自由な方々にも、手品を楽しんで戴きたいと想われ、手話をマスターされ、手話サークルを設立されたりした。

本当に先生は、いろいろなことを生涯の学びとして、学習され続け、今でもその精神は、全く衰えを知らない。このエネルギーは、本当に驚くばかりである。

私は大河先生に、紙芝居と出逢わせて戴いたが、紙芝居のご指導は受けてはいない。だが、紙芝居を謗るわけではないが、もっと大局的な事で、人間哲学というか、先生独自が編み出された、「人間学」を私のような者に、ご指導してくださる。本当に在り難い。

大河先生を生涯の師と仰ぎ、これからも、「青空視観」という、素晴らしい名前を付けてくださった先生の名に恥じない様な、紙芝居を演じさせて戴き、皆様に喜んで戴けたら、こんなに嬉しいことはないと、先生と、奥様のことを、自分の親の様に慕っている、みかんなのである。

            byみかん

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まる「。」読みは大人気?5/26

私は、脳が一番活性化して、働くのは、声に出して文章を音読している時だと、或る先生から教わった。そして、頭で考えるよりも、出来るだけ簡単な数字の足し算や引き算等を繰り返す方が、脳は、これもよく働くのだそうだ。

一昨年の夏、斉藤孝先生の講演を聴かせて戴いた時に、とても面白い音読の方法を教えて戴いた。それは、長い文章を音読の好きな生徒は、苦にならないでするが、長文を、一文ずつ交代または、順番に変わりばんこに読むのだ。つまり、「。」から、「。」までの文章を代わる代わる読むことで、読む人は勿論、読まない人も、自分の番が来るので、読んでいる人の音読を集中して、聴くようになる。したがって、音読する力もつくし、文章の内容も、みんなで理解することが出来る。

私は、小学生の生徒に早速、この「まる読み」をやってみた。すると、最初は、おっかなびっくりだった子供達が、段々と慣れてきて、遊び感覚で、この「まる読み」を楽しむようになってきた。「先生、まる読みしょう!」と、私を指導?してくれる。

誠に手前味噌だが、この読み方が結構、子供達に人気があり、自分から進んで、長い読解問題の文章も、楽しく読んでくれるようになった。あと、これも斉藤孝先生が、おっしゃっていたことだが、「音読でも、計算でも、運動するように、身体覚えるといいのですよ。運動は、考えて上手になるのではなく、何回も練習して、身体で感覚を会得する。音読や計算も、何回も反復練習すると、自然に頭で考えなくても出来るようになるのです。」

成程。最近、回覧板で、「高齢者の寺子屋開講」というお知らせが来て、密かに認知症にならいように、いろいろなドリルをやっている母が、「行ってみようかなあ」と、言うので、私は、「お母ちゃんは、やめといた方がええと思う。物凄く負けん気強いから、プレッシャーになるで。それより、私の紙芝居を何時もの様に居眠りながら聞いてくれる方が、よっぽど有り難いよ。デイサービスで、結構たのしんでるやん。」と、大切な紙芝居の練習台の母を確保する為に、必死のパッチのみかんであった。「お母ちゃん、勝手なこと言うてごめんやで。いつまでも、お父ちゃんと一緒に、元気で長生きしてな!」今日も母は、詩吟のテープを子守唄代わりに聴きながら、眠るのだった

           byみかん

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心は快晴    5月25日

やっぱり、天は私達に味方してくれた。心配していた前日の大雨が、朝、目が覚めると嘘の様に止んでいた!私は、嬉しくて、思わず当日一緒に紙芝居をして下さる仲間の方々に、電話をした。

共生・共生マラソンの会場のある、鶴見緑地に着くころには、すっかりいいお天気になり、私の心も日本晴れになってきた。今までは、私一人でこのイベントで、紙芝居をさせて戴いてきたのだが、今回は紙芝居仲間の方々と、そして、マジックをする私の従兄弟と7にんで、会場の移動動物園の横の特別サイドステージで、紙芝居を実演させて戴いた。

本番には、こどもさん達も大勢観に来て下さり、本当に気持ち良くステージを努めさせて戴けた。有り難い。従兄弟のマジックの時には、子供さん達がステージの前まで出て来て、嬉しそうに手品を楽しんでくれた。

運営委員の皆様、当日音響を担当して下さったスタッフの方々、そして、私達の紙芝居を観て下さった観客の皆様、本当にありがとうございます。子の様な場所で、紙芝居を仲間の方々と実演させて戴いたことが、また、良い体験として、これからの活動の肥やしになります。

身も心も快晴で、今は、一つのイベントを成し遂げさせて戴いたという、心地良い達成感と、満足感に浸っております。

紙芝居を続けてやっていて良かった。これからも、子供さん達の笑顔の為に、顔晴るぞ!

           byみかん

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明日は晴れる! 5月24日

明日は、いよいよ共生共走マラソンの日だ。鶴見緑地公園で、どしゃ降りの雨の中を、一生懸命準備をされている、大勢の運営委員の方やボランティアさんの方がいらっしやる。私達も、祈る気持ちで、明日、雨が止んでくれることを願っている。

雨が降っても、紙芝居は水の館の屋内でさせて戴けるが、マラソンを楽しみにされている出場者の方々や、当日参加される方々で、屋外で活動される予定の方々に、冷たい雨の中で、濡れてもらいたくない。自分の名前の青空を、明日だけでもお貸しすることで、晴れるのなら、そう願いたい。

私が高校3年だった時、忘れもしない、学校の伝統行事である体育祭の前日は、どしゃ降りの雨だった。私達は次の日の体育祭の当日、誰が言うのでもなく、みんな早朝に学校へ行き、雨で水浸しになったグランドに、新聞紙で水を浸み込ませ、一心不乱になって、校庭の水たまりに、何度も新聞紙を積み重ね、水気を拭き取った。

学校の生徒が、心を一つにして作業したお蔭で、無事に体育祭を行なうことが出来た。私は、高校生活最後の体育祭を、みんなが一致団結してやることが出来た喜びで、体育祭が、終了すると、うれし涙が止めども無く流れた。朝早くから、学校に出かけていた私を心配して、見守ってくれていた母も、同じように泣いて喜んでくれた。前日が、大雨でなかったら、こんなに深い思い出として、私の心に残っていなかったであろう。また、新聞紙で泥んこになりながら、グランドに這いつくばっていなかったら、あんなにも沢山の喜びの涙は溢れなかったであろう。

、過去の郷愁に浸ることは、いい悪いは別にして、あの時の感動と、やれば出来るということを、高校生活の中で、特に私は、体育祭での体験を通して学ばせて戴けたことを有り難く思っている。

お天気は、運任せ、天任せ!人間は、そのお天とうさんの下で、泣いたり、怒ったり、笑ったりしている、ちっぽけでいて、偉大な存在だ。私は明日の晴天を願い、今から床に就く。

           byみかん

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テレビのない部屋 5月23日

金曜日の夜、久しぶりに、「探偵ナイトスクープ」を観た。今日の視聴者の依頼は、関東からきた後輩の大学生が、探偵ナイトスクープを知らないと言うので、何時ものように、金曜日の夜は、みんなこの番組を観ているかどうか、調査して欲しいという事だった。

探偵の、たむらけんじが、早速その学生の寮に行き、近隣の部屋を訪ね回り、みんなが、探偵ナイトスクープを見ているか、現場視察した。すると、ある3階の部屋の男性に建物の外から声を掛け、番組を観るように、たむらけんじが呼びかけると、その建物の窓という窓から、みんな顔を出してきた。所が、其処はなんと、浪人生ばかりの寮で、テレビもないし、なんと、出入り口も、鍵がかかっていると云うことだ。

私は、「成程、受験生にはテレビは禁物なのかあ。それも、一理在るなあ・・・」と、変に納得してしまった。竹村健一ではないが、テレビを観ている自分も含めて、「だいたいやね、テレビは観るもんとちがう。あれは、つけっぱなしにして、時々ながめるもんや。」だから、大切な受験を控えた、浪人生の寮にはテレビは要らないということか。納得!

戦後、街頭紙芝居が、街角から消えたのも、このテレビが出現したからだ。テレビが普及し始めた頃は、一家に一台しかなく、みんなお茶の間で家族一緒に観ていた。だが、だんだんと、豊かになって、一人に一台テレビを観れる時代になり、家族の団欒もなくなってきたのではないだろうか?そればかりか、家族揃ってご飯を食べるという時間がなくなり、人々は、孤立と孤独で喘いでいる。

今は亡き、百ます計算の産みの親、岸本裕史先生が、「家庭からテレビをなくせ!」とおっしゃていたということを思い出す。今やテレビの無い生活は考えられないけれど、せめて、観る番組は、選択の余地があると、私は思う。「昔は、松竹新喜劇をよう、観ていたなあ。あの頃は、一つの芝居観て、泣く場面と笑う場面と両方あったなあ。」と、幼き頃の思い出に思いを馳せ、テレビはあってもいいが、無くても困らないものなのだと、テレビを観て、気付かせてもらった、みかんであった。なんのこっちゃ?

          byみかん

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みかんのお知らせ 5月22日

改めまして。紙芝居の演じ手、青空視観(みかん)と申します。この、平成の生きにくい時代を憂い、世の為人の為、ひいては自分の為と、鑑みまして、日本で生まれた素晴らしいコミュニケーション文化、紙芝居を皆様にお届けし、子供さんは元より全ての方々に明るい未来と将来への夢が持てるお役に、少しでも紙芝居を普及させて戴くことで実現出来れば、幸いでございまする。(今日は、ちと、ハイテンションかな?)

みかんからのお知らせは、今度の土曜日、日曜日の活動の予定をさせて戴きたく存じます。まずは、24日の土曜日午後2時~4時迄、青空視観の紙芝居教室がございます。

この紙芝居教室は、紙芝居のことを体系的に学びたい、また、紙芝居を演じてみたいと思われる方は、是非お越し下さいませ。場所は、すずき住建田辺スタジオ(地下鉄田辺駅下車、南へ徒歩7分)でさせて戴きます。今回は、紙芝居と絵本との違いを、判り易く簡潔に、童心社の会長、酒井京子さんにご指導戴いたお話を中心に、述べさせて戴きたいと思います。受講料は、一回千円です。宜しくお願い致します。

さて、次なるお知らせは、25日(日)しょうがいの在る人もない人も共に、一緒に生きて行こうと云う、コンセプトで今回が15回目になります、「共生共走マラソン」が、鶴見緑地公園で有ります。私は、そこの会場の移動動物園横の、ステージで午後2時~3時迄、紙芝居と、マジックのステージを、仲間の方々と実演させて戴きます。

この共生共走マラソンは、自らも車椅子生活をされている、松場作治さんが率いる、平野のマッサクグループさんが主催され、毎年恒例で、熱い想いを持って、手がけて来られたイベントです。私も、足を怪我をした時、車椅子のお世話になったり、ガイドヘルパーの講座を受講させて戴いたり、また、近所に在る、しょうがいの方々作業所主催のウオークラリーの際に、紙芝居を観て戴いたりと、何かとお世話になっており、少しでも御恩返しが出来ればと思い、毎年、この共生共走マラソンで、紙芝居をさせて戴いております。皆様、宜しければ今度の日曜日には、是非、鶴見緑地に足をお運び戴けたら、嬉しいです。

以上、宣伝も兼ねた、みかんのお知らせでした。このブログを何時も御覧戴き、誠にありがとうございます。今日は、本当に久しぶりに、近所の紙芝居のお話会をされている、「マザーズドリーム」さんで紙芝居を演じさせて戴きました。私が驚いたのは、ほんの数ヶ月しか経っていないのに、何時も観にきてくれる子供さん達が、とても大きくなって成長されたなと言うことです。これからも、子供さんの成長を見るのを楽しみに、地域での紙芝居活動をさせて戴きたいと想いました。子供さんが紙芝居を観る、輝く瞳が私の心の源です。

         byみかん」

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後ろを見るな!  5月21日

二日間程、お休みを戴いた。ここ数日、私は夜になると、もう、フルスピードで走ったタイヤが、スリップしたみたいに、空回りして、動けなくなってしまっていた。

自分で自分が、歯がゆい。どうして、もう少し時間を上手に使えないのか?なんでこんなに不器用な生き方しかできないのかと、繰言ばかり言って、自分を追い込んでいた様な気がする。

もっと、自然体で自分に正直に向き合っていったらええやんか。済んだことは、忘れろ!「反省はしても、後悔はするな。」といつも自分に言い聞かせているではないか。紙芝居と云う、自分の信じた路をまっしぐらに進めばいいではないか。自分の値打ちは、人様が決めて下さる。

失敗してもいいから、プレッシャーに押しつぶされたら、また、底から立ち上がれ。立てなかったら、ちょっと、間を持て。無の境地になって、自分の息をつま先から感じ、じっと佇め。そしたら、きっと何かが見えてくる!

今はただ、自分に与えられた、「紙芝居で明るい未来を築きたい!」という、明確な目標が、段々と浮き出て来ることを希望し、信じるのみ。

「待てば海路の日和あり」

          byみかん

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かっこいい警備員さん 5月18日

或るスーパーの駐車場で、物凄くかっこいい警備員さんを発見した。かっこいいと言っても、容姿がかっこいいというのではなく、その警備員さんの車を誘導する動作が、きまっているのだ。

そんなに広い駐車場ではないのだが、その入り口で入ろうとする車や、出ようとする車に、全身のジェスチャーで、合図を送る。その型がピシッときまっていて、見ているだけで、様になっていて、気持ちがいい。

そんなに若くはない、ベテランの男性の方なのだが、きっとこの方は自分の仕事に誇りを持っておられ、全身全霊で持って、お仕事に励んでおられるのだろう。そして、何より自分自身が車の誘導をされるお仕事を楽しんでされているのだと思う。

私の家からこのスーパーまでは、そんなに近くに在るわけではないのだが、また、この警備員さんに会いたい。あの素晴らしい車さばきを見たいという想いで、日曜日にこのスーパーに出来るだけ買い物に行きたいと思った。何より元気がもらえる、パワーを分けてもらえることが、有り難い。

一緒に買い物に来た娘も、キャッキャッといって喜んでいた。人を怒らすのは簡単だが、人に喜んでもらうことは難しいものだ。どうか、何時までもお元気で、お仕事に励んで下さいね。ありがとうございます!

          byみかん

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嗚呼、巣鴨の赤パンツ!5/17 

またまた、性懲りもなく、紙芝居の修行に行って来た。所は、巣鴨に在る童心社の社屋の4階の紙芝居ホール。童心社の会長の酒井京子さんの、紙芝居と絵本の違いや、紙芝居の実演のお話を、飲み込みの悪い頭をフル回転させて、聴かせて戴き、実に内容の濃い勉強会であった。

だが、私は童心社さんが、四谷から巣鴨に引っ越されてから、何度か通っているというのに、巣鴨のとげぬき地蔵様をお参りさせて戴いていないことに、気がついた。

これでは、お地蔵様に申し訳ない。私の頭がぼーっとしているのも、こんな有り難い場所で紙芝居の勉強をさせて戴いていることに、感謝の念がないからだと思い、次の日、朝から巣鴨の駅を童心社へ行く道と反対のほうへと足を運び、お地蔵様へお参りに行かせていただいた。

すると、参道の道に、どうだろう?真っ赤なパンツが売られているではないか?お店の人に尋ねたら、何でも赤は縁起のいい色で、パワーがもらえて、しかも温かくて腰を冷やさないので、とても健康にいいのだそうだ。

私は早速、お腹の大きい娘にはかせてやりたいと想い、LLサイズの赤パンツをもとめた。そして、母と上の娘にも、はかせてやりたいと思い、後から追加して包んでもらった。何故自分のは、買わないのかと言うと、正直、サイズが予想できなかったし、また、そのサイズで入らなかったら、希望を失うと思い、パンツは止めて、赤いTシャツにした。

家に帰って、念の為、長女に赤いパンツとTシャツとどちらがいいか、選ばせたら、「どうせ、お母さんには、入れへんやろ!」と言われ、赤パンツを受け取ってくれた。良く判っていらっしゃる・・・・・

私はなんで、赤パンツをかったのか、もう一度つくづく考えたら、「やっぱりみんな、元気で幸せになって欲しいからやなあ」と、想う。因みに、パンツを入れた袋には、赤いパンツの由来が書かれていて、一番最後に、中国では、赤い肌着を身につけると幸せが訪れると云われれているそうだ。

本当かどうかは、やはり、信じて身につけてみることに他ならない。とげぬき地蔵様のご利益に、嗚呼、あやかりたい。あやかりたい。こんな単純な人間ですが、どうか宜しくお見知りおきを。

           byみかん

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紙芝居「貝の火」 5月15日

宮澤賢治の作品で、「貝の火」という作品が在る。だいぶ前に、書店で購入していたのだが、或ることがきっかけで、もう一度今日、作品に目を通してみた。

そしたら、この作品は、はるか昔の明治時代に、賢治が書いた作品とは思えない程、現代社会の問題を浮き彫りにしているような内容であった。

うさぎの子ホモイが、ひばりの子を命懸けで助けた。そのお礼だと言って、母ひばりが、貝の火の玉をホモイに渡した。ホモイの父親が、これはどんな鳥やけものでも、めったと持つことが出来ない凄い宝物で、この玉を曇らせることのないように、悪いことをしないように、ホモイに諭す。

ところが、悪いきつねが、ホモイを誘って、人間のパンを盗んだり、弱いもぐらの親子をいじめたりする。だが、貝の火は、全く曇らないどころか、益々美しく光り輝くので、ホモイは、すっかり安心して、きつねと一緒に、網で小鳥達を捕らえようとした。駆けつけた、ホモイのお父さんと、お母さんが、捕らえられた小鳥達を助けたが、時すでに遅し、貝の火は、ただの真っ白い玉に変わっていて、いきなり、パチッと割れると、破片が貝の火を手に持っていたホモイの目に当たり、ホモイは目が見えなくなってしまった。

だが、ホモイのお父さんは、それを嘆くどころか、目は必ずお父さんが治してあげるから、大丈夫だと言って、貝の火の玉がどうして割れて、ホモイの元をを去って行ったのか判って、おまえは幸せなのだということを教えるのであった。

この話は、動物の世界のお話だが、私は、この紙芝居と、そこに書かれている解説を読んで、そうだ、今の人間社会の子供達も、きっとこの貝の火を抱えているようなめに遭っているのではないのかと考えた。初めは純真無垢な心を持っていても、時には、きつねのような悪いことを誘う、世の中の悪を知って、それを乗り越えて生きていくことが、本当の素晴らしい生き方なのだということを、宮澤賢治は、子供達にいいたかったのではないだろうか?

堀尾青史さんの解説の一番最後に、「かわいらしい物語ですが、そういうことを腹にいれて実演してくださると、子どもたちも何かうけとるところがあると思います。」と書かれている。

私はこの作品の内容とテーマを知ることによって、改めて、紙芝居は本当におくが深い。作品の主題を「腹にいれて実演する」という、この紙芝居の実演の真髄を課せられて、これから、紙芝居というものと、向き合っていきたいと、小首をかしげて、「貝の火」の紙芝居を、じっと見つめるみかんであった。

           byみかん

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みかんの予定 5月14日

               みかんの予定

5月21日(水)  子育てサークルプーさんクラブお話会   午後2時~3時頃

5月22日(木)  マザーズドリームさんの紙芝居の会    午後4時~4時30分

5月25日(日)  共生共走マラソンのイベント会場にて紙芝居の実演

           鶴見緑地公園     午後2時~3時

5月28日(水)  田辺親子サロン               午前11時10分~11時30分

5月28日(水)  駒川商店街「ふくしの駅」         午後2時半~3時半

尚、今月の「青空視観の紙芝居教室」は、第4土曜日の、5月24日です。

場所は、すずき住建田辺スタジオ「なちゅらる」さんで、午後2~4時に行ないます。

以上、今月の予定のお問い合わせ先は、06-6621-2467 (山口)までお願い致します。

今後共、地域に根付いた活動をさせていきながら、大阪に紙芝居の輪が広がれば幸いでございます。紙芝居の活動を何卒、温かく見守って戴ければ幸甚です。ありがとうございます!

            byみかん

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やれば出来る? 5月13日

挑戦とは、自分の怠惰な気持ちとの戦いなのか、はたまた、自分の持つ未熟な力との葛藤なのか、それは判らない。だが、私は、物凄く生き方が下手で、世渡りが不器用で、ぶんぶく茶釜の、おたぬきさんみたいに、傘をさして器用に綱渡りなんかは出来ない。

そのくせ、アホやから、なんでも首をつっこんでやりたがる。全く困ったものだ。なんでこんなに、電車道みたいに、つっ走んねんな。それは、いつものあんたの口癖の性とちがうか?「やってやれないことはない、やらずに出来る訳がない。」そない、いつも自分に言うて、エネルギーを補給してますのやろ?

せやけど、あんたももう、そんなに若いことはないし、ちょっとは、身体のことも考えなはれ。こないだかて、風邪こじらして、ヒーヒーゆうて、しんどかったんやろ?

え!なんやて?ちょっと無理しただけやて?その無理がきかん歳になってきてますのやがな

え!歳は関係ないて?そんなこと言うてるさかいに、おかはんに心配かけるんやで。あんたはんも、もうお孫さんが出来るねんから、ちょっとは考えなはれ。

え!孫が出来るからこそ、きばって紙芝居の活動をして、住みよい世の中になってもらいたいて。

そうでんな。今の時代に子育てしてる親御さんを、なんとか応援したい。その気持ちわかります!やんなはれ。やれば出来る・・・かもしれない。

でけへんかっても、後悔せんと、この世とお別れできますな。何?縁起の悪いこと言うなて。判りました。もう、なんにも言いまへん。篤姫やないけど、「女の路は、一本道」後悔せんように、子供さんらに紙芝居で、楽しんでもらいなはれ。それがええ。それがええ・・・・・

          byみかん

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徳川家康公 遺訓 5月12日

         徳川家康公 遺訓

人の一生は重荷を負て遠き

道をゆくがごとし いそぐべからず

不自由を常とおもえば不足なし

こころに望おこらば困窮したる

時を思い出すべし

堪忍は無事長久の基

いかりは敵とおもへ

勝事ばかり知てまくる事しらざれば

害其の身にいたる

おのれを責て人をせむるな

及ざるは過たるよりまされり

慶長八年正月十五日     家康花押

    

       ひとはただ身のほどを知れ

            草のはの露も重きは 落るものかな

                               (原文ママ)

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ぼちぼちいこか!  5月10日

みかんはん、そんなにあせりなはんな。ぼちぼちいこか!せかいでいも、そのうち、なんとかなりますわいな。

いまは、あんたはんのできることを、できるかたちで、せいいっぱい、きばりなはれ。おてんとうはんが、きっと、あんたはんのやってること、みていてくれはってる。

そら、こんだけ、こどもはんらが、つらいめにおうて、たいへんなじだいになってきましたからな、あんたはんも、かみしばいをいろんなとこでみてもろて、いのちいううもんはひとつしかないたいせつなもんや。いきていくことは、しんどいけど、ええこともいっぱいあってたのしいこと、みらいはあかるいもんやということを、みなさんにおつたえしたいというきもちは、わかります。

せやけど、みかんはんひとりだけがんばったって、このでっかいよのなかが、そんなにすぐによくなるどうりはないさかい、いまは、みかんはんのかみしばいを、できるだけたくさんのひとにみてもろて、また、おんなじきもちのなかまのひとをつくっていきなはれ。

まあ、ぼちぼちいきまひょ。さきはながい。あせらんと、こんきよう続けてたら、きっと花が咲きます。それまで、あんじょうべんきょうしなはれや。かみしばいのこと。ぼちぼちと・・・・

           byみかん

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土を食べる犬  5月9日

先日、近くのお店で、花の苗とプランタンを買って帰って来ると、我が家の愛犬の顔が、凄く不安な顔をしているのに、気が付いた。私は、今まで生えていた雑草を、内緒で食べていたのが、食べられなくなるとおもったのか、はたまた、自分の平凡な日常生活に、このプランタンを置く事で、どの様な影響を及ぼすのかと、感じ取ったのであろうか?

どちらにしても、彼の生活になんら影響の無い様に、私は、彼が草を食べれる様に、雑草の生えた植木鉢を鎖の届く所に置いておいた。

所が、この犬は、全く予想外の行動をとった。どうしたかと言うと、植え替えているプランタンからこぼれている土をたべるではないか?私は、「可愛そうに、この犬は、獣医さんでもらうドッグフードしか食べられへんから、むしがわいてんねんやろなあ・・・この前も壁のコンクリートを爪でガリガリとかいていたのも、その落ちてきた壁の土を食べる為やったんかなあ」と思い遣った。

一見、異常な行動に見えることでも、全て理由が在る。私は、この土を食べる老犬が、愛おしくて、赤く熟したイチゴを、時々そっと食べさせてやるのであった。子供の頃に、親に内緒で、真冬の寒い時に駄菓子屋さんで、アイスキャンディーを買ったのが見つかって、えらい父親に叱られたことを思い出したみかんであった。

          byみかん

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感動してもらうと云うこと5月8日

これは、自分の紙芝居の力量が、決して優れているとか、勝っているということを思っているのではないことを、敢えて申し上げさせて戴きたい。何を言いたいかと言うと、紙芝居には、それだけ子供達は元より、全ての人々を感動させることが出来る、素晴らしい作品が沢山在る。そして、その素晴らしい、感動をみんなで共感し、感動を味わい、その余韻を大切にすることが、紙芝居では 、一番大切なsことだと、私は思う。

人間の感情の中で、一番高度な事は、笑うことと、感動するということだと思う。

私は、以前まだ紙芝居をさせて戴いて、間もない頃、在る中学校で紙芝居を演じさせて戴いた。その時は、私一人ではなく、他にボランテァ仲間の方と三人で、お話会をさせて戴いたのだが、終わってから、その中学の校長先生に、「感動した!」とおっしゃって戴いたことが、何より嬉しかった。

また、或る時は、命の大切さの心を込めた紙芝居を、これも、十代の若者の前で演じさせて戴いた時、その少女は、感極まって泣いてしまわれた。

私は、その時思った。本物の紙芝居を、魂を込めて演じることで、人は感動し、そして、自分の知らなかった、もう一人の自分に出会うことが出来るんや!

私は一人の、不登校の少年と出逢い、彼の為に、彼に紙芝居を観てもおらいたい一心で、毎月、紙芝居を演じる為に通ったことがある。その少年は、今は、元気に生き生きと、自分の夢に向かって生きている。

紙芝居は、皆様に、感動をお届けする、小さな劇場だと、私は考えている。「いつでも、どこでも、だれにでも」これが、紙芝居の素晴らしい特色なのではないでしょうか?

日本人が考えた、世界中の人々が、初めて紙芝居を観て、感動されたと聞く。この感動は、紙芝居の様な、形式の児童文化は、他に類を見ない画期的なものだという感動であろう。

だが、今、私のやらせて戴きたいと思っていることは、紙芝居の作品そのものが優れていて、演じることで、その作品に魂を吹き込むことを、させて頂けたら、こんな嬉しいことはない。それには、やはり、数多在る紙芝居の中から、本物の作品を選び取る力と、その作品を、人々の心の琴線に触れてもらえる様な、実演の力量を、これからも培っていく努力が、必要不可欠だと思う。

美しいものを観て、感動する様に、素晴らしい紙芝居を観て、心を揺さぶられるような、実演が出来る様に、私はなりたい。そしたら、みんな、自分のことを考えるのと同じ様に、他人を思い遣る心が、生まれてくるのだと、私は信じている。紙芝居しか出来ない私だからこそ、敢えて、自分の出来ることを、出来る形で、伝えていきたいと想う、みかんであった。

           byみかん

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生キャラメルが食べたい!5/7

午後、母の部屋でテレビを観ながら、うつらうつらしていたら、珍しくも、娘からの電話を受けた。すると、彼女曰く、「お母さん、今暇?あのな、二人で北海道に旅行に行った時に、食べられへんかった、生キャラメルをお店で限定販売してんけど、売り切れて買われへんかってん。お母さんの家の近くのお店やったら、多分一杯在庫してると想うから、こうてきてくれへん?ごめんな。用事てそれだけやねんけど。」と、彼女は、お店の仕事の合間を縫って、身重の身体で、私に生キャラメルを所望してきた。

親ばかの私は、妊娠したら、食べたいと想ったら、たまらんぐらい欲しくなるもんや。判る判る、その気持ち。よっしゃ!ここは、何としてでも、娘とお腹の子に、生キャラメルを食べさせてあげよう!ということで、すわ、近くのコンビにへ行くと、案の定売り切れで、限定販売で、八個しか入ってきていなくて、次はいつ入るか判らないとのこと。

ここで、諦めたらいかん。ここは、じっくりと作戦を練って、何処の店に行ったらいいか、無い頭を捻って、とくと考えた。「そうや!こんな時はやっぱり、直営店へ行くのが一番確実や。もし現物がなかっても、情報は入るやろ!」と、思い立つや否や、バイクでまっしぐらに、今川の直営店へ向かった。

お店に入って、目を皿の様にして探したが、見当たらない。私は恐る恐る、店員さんに、「あの、北海道の生キャラメル有りますか?」と尋ねた。すると、なんと店員さんが、「有ります。」と応えてくれるではないか。私は、小躍りしながら、その店員さんに附いて行った。なんと、あのまぼろしの、生キャラメルが一つだけぽつんと、在るではないか?店員さんが、「これは、私も今朝食べましたが、物凄く美味しかったですよ。」と笑顔でおっしゃってくださった。「そうですか、お腹の大きい娘がどうしても食べたいと言いますので・・・」と、私も笑顔で、受け答えた。

そして、一刻も早くこの生キャラメルを娘に食べさせてやりたいと思い、その足で、娘が働くお店に向かった。彼女は、本当に嬉しそうに、満面の笑みを浮かべて、生キャラメルを受け取った。私は、これが親ばかというものなのかなあと、考えながら、母の顔を思い浮かべながら、「そう言うたら、もうすぐ母の日やな。母の日は、自分を産んで育ててくれたお母さんに感謝する日やけど、自分も少しは母親らしいことをしてやれて、また、娘として母の話を聴いて、母に喜んでもらえるようにしていこう!想いは叶うやん!在り難いなあー」

そうつぶやきながら、家路に向かうはずが、また、もう一仕事とバイクを方向転換し、次の目的地へ向かうみかんであった。泣く子には勝たれへんというけど、そう言うたら、あの娘は、大きな声でよう、泣いてばっかりしてたなあ・・・・

           byみかん

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現代紙芝居考  5月6日

21世紀のこの、ITの時代に何故紙芝居をやらせて戴こうと想うのか?それは、現代社会が、非常に危険要素を孕んだ時代だからだ。

何が危険かと言わせて戴くと、今の時代は、なんでも実体験が少なく、頭の中のイメージと、ゲーム等の疑似体験で、思考され、人間が構築されていく。

実体験が少ないと、どうなるのか?それは、人間の行動に裏打ちされているのは、唯一、自分の体験した事による、五感に拠って実感し、判断力や決断力、洞察力等々の人間の生きる力を育む。また、自分が現実に痛みや苦しみ、痒みや不快感等を肌で感じることで、他人の痛みや苦しみを想像する力が培われる。

では、何故紙芝居で、その様な現代社会リスクをクリアー出来るのかというと、それは、紙芝居が、一番身近で、大人も子供も共に、共感しながら生身の人間が肉声で語る、最小の劇場体験をすることが出来る居場所となれるからである。

そして、紙芝居を観ていると、色々な突っ込みや、混ぜっ返しの声が掛かり、「なるほどなあ」とか「そんな、あほな!」などと、全く顔の知らない者同士でも、コミュニケーションが図れるのだ。そして、違う年齢の子供達が寄り集まると、そこで、小さい子は前の方で見せてあげるとか、紙芝居の内容を知っている子が、みんなに先を教えたり、いいことも悪いことも、其処の場で、判断出来るコミュニティーが出来る。

つまり、紙芝居の実演を通して、小さな子供社会が出来るのだ。複数で観るから、価値判断が生まれ、共感の感性が育まれ、実体験の構築が為されて、豊かな人間性を生み出すことが出来るのではないだろうか?

今、子供達が、色々な悲惨な事件や体験をしている。それは、現代社会の情報過多の狭間に落としこまれた孤立化に、少なからずとも起因すると考えられるのではないだろうか?

21世紀は、共感を尊ぶ時代にしていきたいと、私は考える。「個」を重んじるのと同じくらい、「共に実感すること」の出来る場を、私は紙芝居を普及させて戴けたら、こんな幸せなことはない。未来は、子供達が創るものだから・・・・

          byみかん

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篤姫が面白い! 5月4日

NHKの大河ドラマ「篤姫」が面白い。何故か?それは主人公が女性だらなのかもしれない。時代が幕末だからなのかもしれない。堺雅人の演技が凄く上手いとおもっているからなのかもしれない。

いろいろ理由は、多々在るが、兎に角、私はこのドラマが気に入った。こんなことを言うと、憚るかもしれないが、最近の大河ドラマは、戦乱の時代が大方で、それも、歴史上の登場人物の家来とか、家臣とか、おんなじか?名前の知らない人が主人公だった。それと、戦いの戦略や、合戦の場面が多く、新聞の川柳で、「鎧の虫干しみたい 大河ドラマ云々」(関係者の方々ごめんなさい)などと、言われていた。

篤姫の存在自体、正直言って、私もしらなかった。だが、このドラマを観るようになって、篤姫のことをもっと知りたくなった。幕末の歴史をもう一度、紐解きたくなってきた。何時の時代も女性は、時代の波に翻弄され、自分の生き方というものが、なかなか出来にくいものだ。篤姫もまた、そんな政局の橋渡し役の使命を持って生まれたきた。だが、彼女が戦国の時代の女性達と違う処は、自分の与えられた使命を自ら、嬉々として甘んじて受け入れ、その使命を全うすることであろう。

江戸城を無血開場したことは、篤姫の尽力が在ったことだと云う、女性ならではの歴史的検知に拠って、明治の時代に移り行くことが出来、また、彼女の存在がなかったら、歴史の史実は、大きく変わっていたであろう。私は、このドラマの一番興味の惹かれる処は、これから、堺雅人役の将軍、家定公とどの様に夫婦のコミュニケーションを図り、また、大奥でどの様な、確執や困難を乗り越えていくのかが、興味深い。

篤姫の部屋には、何時も彼女の故郷の鹿児島の絵の掛け軸を掛けてあったと聞く。だが、彼女は、薩摩を出てから一度も、生まれ故郷の鹿児島に帰ることなく、この世を去ったということは、何時の時代も政治に翻弄された女性達と同じであった。この世去る時の所持金も、とても将軍の御台所とは、程遠い僅かな金額であったそうだ。

          byみかん

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シンデレラみかん? 5月3日

夜、外出して、近鉄線の最終電車にぎりぎり間に合い、無事帰宅した。どっと、疲れが出て、暫し台所の椅子に放心状態で、座っていると、母が、パジャマ姿で、目を三角にして、「今迄、何処行ってたん?こんな遅い時間に帰ってきて、信じられへんわ!」とのたまう。

私は、母を安心させるには、自分の行き先を事細かに、つぶさに説明した方が、決着が早く着いて、自分も早く、自由の身になれると思い。自分が行って来た処の資料を見せて説明した。母は、穴のあくほど、その資料を食い入るように見て、「怪しい処やないやろな?」と、またのたまう。こうなっては、全く私は、頭に来て、そんなに自分の娘が信じられないのかと、怒鳴りたい気持ちをぐっとこらえた。

「ごめんね。心配かけて、もう、はよ休んで頂戴。」と、私は、笑顔を引きつらせながら、母に、言った。母は、「明日は、お父ちゃんの病院に行くのに、こんな時間に寝たら、明日、あんた運転でけへんから、私は、電車で行くわ。」と、まだ、私に絡んでくる。

(ええい!勝手にせい。)「私は車で行くわ。」と、少し母を突き放した。その言葉を聞いて、母はまた、おもしろくないようだ。

「もう、はよ帰っておいでや!こんなおそなって、車で行ったら、あの世へ一緒に道づれやがな。」(そこまで言うか。)私は、爆発したい気持ちを、何とか堪えて、「お母ちゃん、なんぼなんでも、それは、ひどいよ。口は災いの元やで。」

「兎に角はよ、帰っておいでや。」と、また、元の会話に戻った。私は「はい、はい、心配かけてごめんね。」と穏やかに応えると、自分の言いたいことを、一通り言ったので、気がすんだのか、やっと、自分の部屋に戻った。

やれやれ、シンデレラでもあるまいし、それに、朝帰りしたわけでもないのに、日頃の品行方正?すぎる、私の行動が災いしてか、この、苦労性で干渉家の母には、さすがの私も閉口してしまう。だが、心配してくれる家族が居ることの、有り難さに感謝して、シンデレラみかんは、母親に少し子離れしてもらえたらと、実績造りをどうしようかと、目論むみかんであった。親の心子知らずのみかんなのであった。

         byみかん

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ブームと文化  5月1日

最近、お蔭様でこのブログを覗いて下さる方も、だんだんと増えてきました。在り難いことです。毎日、今日は何をつぶやこうか。どんな戯言を述べようかと、四苦八苦しておりますが、今日もやはり、自分のライフワークとさせて戴いている、紙芝居について、蘊蓄させてくださいませ。

紙芝居は、日本で生まれた、他の外国には全くない形式のものであることは、以前にも述べさせて戴いたと思います。では、何故、紙芝居のような形式が、他の国には無いのかと言うと、それは、まついのりこさんの持論に拠ると、日本の建築様式に基づくのだそうです。外国は、全てドア方式ですが、日本の障子や、襖、等に見られる「引き戸」形式の建築様式は、日本だけなのだそうです。そして、この画面を抜いて差し込むという所作を外国の方が見ると画期的だと、驚かれるそうです。

だから、外国で紙芝居を演じると、人々は驚愕と感動を覚えられるのだそうです。紙芝居は、「KAMISHIBAI」と、表記され、他に変わる言葉がなく、世界共通語になります。

今、日本でもやっと、紙芝居のことを見直されて来た時代の風を感じられるようになって来ました。公園や、いろいろな処でさせて戴く機会も、お蔭様で増えて参りました。でも、ここで、一番私は気になるのが、、すぐに写真を撮られて、それで帰られてしまう方も、おられると云うことです。紙芝居に、如何に集中して観て戴く様に実演し、切磋琢磨するのは、私達の務めではございますが、安易に、紙芝居だというだけで、もの珍しいものとして、一過性のブームにするか、本物の文化として確立させていくかは、私達の使命と、観客の皆様の温かいご理解との、協働作業に懸かっているのだと、厚かましいくも生意気に考えております

人々の心の中に染み入るような文化として、根付いていって欲しい、ただ、その一心で、これからも、紙芝居をさせて戴きたいと想います。どうか、宜しくお願い申し上げます。

           byみかん

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油を売るのも大変? 4月30日

本日国会で、暫定税率成立云々とやらで、ガソリンの税金が上げられて、町のガソリンスタンドは、駆け込み需要で、大変な車の行列だという。私は、そのニュースをテレビで観て思った。「全く、油を売るというのは、大変な商売だ。」と・・・・

昔から、「油を売る」とは、仕事をさぼったりした時に例えて言う言葉だが、今回ばかりは、ガソリンスタンド屋さんが、本当に大変な思いをされているであろう。どんな商売でも、需要と供給のバランスが、或る程度保たれて、初めて商売が成り立つものだと思う。

私も商売人の娘の端くれで、昔から、「三方良し」とするのが、商いの基本だと、教えられてきた。つまり、「売り手良し、買い手良し、社会良し」で、初めて商いが成立する。この基本が崩れると、社会の基盤自体が崩壊してしまうのだ。

ガソリン屋さんも、何も大もうけをしようと思って、こんな忙しい思いをされているのではない。むしろ、早く家に帰って、ゆっくりとされたいだろう。「油を売る」のも楽ではない時代がやって来たのであろうか?汗だくになって、給油されている、お店の店員さんの姿を見て、大変な時代になって来たなあと、ため息と風邪ひきの咳にむせぶ、みかんであった。

         byみかん

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