まついのりこさんの話 4月27日
一昨日、体調不良をおして、東京の中野に在る、中野サンプラザで、絵本作家であり、紙芝居作家でもある、紙芝居文化の会代表の、まついのりこさんのお話を聴きに行かせて戴いた。
まついのりこさんは、昭和9年、和歌山市で、お生まれになり、お父様が、大学で経済学を教えておられた。のりこさん達家族は、慎ましやかだけれども、ごく普通の一般家庭が味わう幸せな生活を過ごしておられた。だが、その、平和な生活が、ある日、一編に音をたてて、がらがらと崩れ落ちてしまったのだ。
それは、まついのりこさんのお父様が、当時の特攻警察に逮捕され、自宅に上がりこんで、悉く証拠品を探しだそうと、家の中を粒さに調べられた時の、まだ、のりこさんが、小学校4年生だった時の記憶が、今でもはっきりと忘れずに、心の中に焼きついていると、おっしゃった。
のりこさんは、特攻の人達が家の中を探し回っている時、ただ、呆然と、茶箪笥にもたれて、ずっと立ちつくしておられたそうだ。だが、その目は、とても冷静で、その時にお母様がされた、行動の一部始終を見ておられた。そして、最初は、動揺して子供達(妹さんが一人おらえる)のことまで、気が回らなかったお母様が、はっと気が付いて、何を思ったのか、二人の幼い子供達に、夏みかんを手に持たせ、3月の初旬の寒い日だと云うのに、「これをもって、外で食べてなさい。」と、おっしゃったそうだ。
私は、これが精一杯の、家族が危機に瀕している時の、母親の智慧なのだと思うと、もう、目から泪が溢れそうになった。きしくも、自分と同じ名前のみかんを、手にして、この幼いのりこさんは、子供心にとても食べる気持ちになれなかったと、おっしゃった。また、のりこさんの家庭では、外で絶対、食べてはいけないと教えられていたと言う。この時のお母様の気持ちは、如何程、辛いことであったろう。
そして、その日から、のりこさんの人生は、180度逆転したような、逆境の生活が日常となったのである。特攻に逮捕された家族と云うのは、当時、国賊と呼ばれ、とても理不尽な生活や、屈辱的な態度を学校や、世間から強いられ続けた。
この様な、まついのりこさんのお話を聞かせて戴き、私はとても貴重な体験をさせて戴き、本当に有り難かった。今、日本人の恐らく、半分以上の人が、戦争を体験していないし、戦中、戦後の、飢えや、物資の乏しい経験をした記憶を持っている方は少ないであろう。
今、私達が出来ることは、色々な考えを持っている方がおられるとは思うが、少なくとも、戦争は、何をも生み出さないし、破壊と殺人を、犯罪と云われずに、堂々と出来る手段であり、人間の最も愚かな行為であるということを、もっと、声を大にして言わなければいけないのではないだろうか。
まついのりこさんもおっしゃっていた。「戦争というものは、いきなり起きるものではなく、何かおかしいおかしいと、思っている時を過ぎて、雪の玉が雪崩れのように落ちるように、勃発するものです。」そのことを、しっかりと、肝に銘じて、今の世の中で起きている現象を検証していくことが大切だというようなことを、おっしゃった。
私は紙芝居に携わる者として、紙芝居が、国策紙芝居という形で、全国の町会の津々浦々まで、演じられて、人々の心の中に、銃後の守りの気持ちを刷り込まれた時代が在ったことを、自分の心の轍にして、これからも、紙芝居を普及させて戴くことで、未来が明るい、子供さん達や、みんなが将来に夢と希望の持てる時代になれるお手伝いの一役を担わせて戴きたいと思う。
byみかん
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