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2008年4月

風邪ひきみかん 4月29日

柄にもなく風邪をひいてしまったが、生活とライフワークが、懸かっているので、寝込む訳にはいかない。だが、紙芝居を演ずる者が、声をやられてしまったら、如何に致命的なのかが、よく判った。

一昨日の全興寺さんでは、全く声が出ず、まるでカラスが、うがいをした様なガラガラ声で、本当に観客の方々に、お見苦しい、厭、お聞き苦しい実演を致しました。

今日は今日とて、大阪は、阿倍野区にございます、昭和町と云う所で、「どっぷり昭和」というお祭りで、公園で紙芝居を実演させて戴いた。風邪は、昨日お医者さんに行き、熱は下がったものの、まだ、身体中に砂袋を身にまとっているような、気だるさでしたが、公園には、紙芝居を観るのを楽しみにしていてくださる、子供さんや、大人の方々が、大勢お越しくださり、精一杯実演させて戴きました。

お祭りのスタッフで、以前或る講座で、ご一緒になったNさん、本当にお世話になりました。ありがとうございます。そして、プロの紙芝居師、鈴木常勝さんと、また、ご一緒に紙芝居をさせて戴き、在り難かったです。ありがとうございます。やっぱり、プロの鈴木さんの腕は、凄い!また、紙芝居仲間のKさん、実演も声が寸断された私を助けて、熱演して戴き、ありがとうございます。また、遠い所を朝から、お手伝いに懸け付けてくださったHさん、ありがとうございます

やっぱり、みかんは、声も身体も干からびたらあきませんなあ。みずみずしく、美味しそうにつやつやでこそ、初めて皆様に喜んで戴ける紙芝居を演じることができると、今回の絶不調の身体に身に染みました。ほんまにすんまへん。これから、体調管理に励みます。

でも、心は今日の青空の様な、清清しい気持ちです。皆様も、気候不順の折、ご自愛下さいね。

             byみかん

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まついのりこさんの話 4月27日

一昨日、体調不良をおして、東京の中野に在る、中野サンプラザで、絵本作家であり、紙芝居作家でもある、紙芝居文化の会代表の、まついのりこさんのお話を聴きに行かせて戴いた。

まついのりこさんは、昭和9年、和歌山市で、お生まれになり、お父様が、大学で経済学を教えておられた。のりこさん達家族は、慎ましやかだけれども、ごく普通の一般家庭が味わう幸せな生活を過ごしておられた。だが、その、平和な生活が、ある日、一編に音をたてて、がらがらと崩れ落ちてしまったのだ。

それは、まついのりこさんのお父様が、当時の特攻警察に逮捕され、自宅に上がりこんで、悉く証拠品を探しだそうと、家の中を粒さに調べられた時の、まだ、のりこさんが、小学校4年生だった時の記憶が、今でもはっきりと忘れずに、心の中に焼きついていると、おっしゃった。

のりこさんは、特攻の人達が家の中を探し回っている時、ただ、呆然と、茶箪笥にもたれて、ずっと立ちつくしておられたそうだ。だが、その目は、とても冷静で、その時にお母様がされた、行動の一部始終を見ておられた。そして、最初は、動揺して子供達(妹さんが一人おらえる)のことまで、気が回らなかったお母様が、はっと気が付いて、何を思ったのか、二人の幼い子供達に、夏みかんを手に持たせ、3月の初旬の寒い日だと云うのに、「これをもって、外で食べてなさい。」と、おっしゃったそうだ。

私は、これが精一杯の、家族が危機に瀕している時の、母親の智慧なのだと思うと、もう、目から泪が溢れそうになった。きしくも、自分と同じ名前のみかんを、手にして、この幼いのりこさんは、子供心にとても食べる気持ちになれなかったと、おっしゃった。また、のりこさんの家庭では、外で絶対、食べてはいけないと教えられていたと言う。この時のお母様の気持ちは、如何程、辛いことであったろう。

そして、その日から、のりこさんの人生は、180度逆転したような、逆境の生活が日常となったのである。特攻に逮捕された家族と云うのは、当時、国賊と呼ばれ、とても理不尽な生活や、屈辱的な態度を学校や、世間から強いられ続けた。

この様な、まついのりこさんのお話を聞かせて戴き、私はとても貴重な体験をさせて戴き、本当に有り難かった。今、日本人の恐らく、半分以上の人が、戦争を体験していないし、戦中、戦後の、飢えや、物資の乏しい経験をした記憶を持っている方は少ないであろう。

今、私達が出来ることは、色々な考えを持っている方がおられるとは思うが、少なくとも、戦争は、何をも生み出さないし、破壊と殺人を、犯罪と云われずに、堂々と出来る手段であり、人間の最も愚かな行為であるということを、もっと、声を大にして言わなければいけないのではないだろうか。

まついのりこさんもおっしゃっていた。「戦争というものは、いきなり起きるものではなく、何かおかしいおかしいと、思っている時を過ぎて、雪の玉が雪崩れのように落ちるように、勃発するものです。」そのことを、しっかりと、肝に銘じて、今の世の中で起きている現象を検証していくことが大切だというようなことを、おっしゃった。

私は紙芝居に携わる者として、紙芝居が、国策紙芝居という形で、全国の町会の津々浦々まで、演じられて、人々の心の中に、銃後の守りの気持ちを刷り込まれた時代が在ったことを、自分の心の轍にして、これからも、紙芝居を普及させて戴くことで、未来が明るい、子供さん達や、みんなが将来に夢と希望の持てる時代になれるお手伝いの一役を担わせて戴きたいと思う。

        byみかん

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自殺は、本人の勝手?4月26日

朝のテレビのワイドショーの番組で、最近、硫化水素を使って、亡くなる方が激増しているとの、報道をしていた。私は、痛ましいことだと、考えながらその番組を観ていたのだが、その、報道をされた、男性のコメンテーターの方が、信じられない言葉を口から発した。

「自殺するのは、本人の勝手ですが、家族や近隣の住民の方に迷惑をかけてはいけませんよね。」と言われた。私は、その言葉を聞いて、自分の耳をうたがった。そして、その無理解な言葉に言いようもなく、憤懣遣るかたない気持ちに陥ってしまった。

「自殺をするのは、本人の勝手なのか・・・・その人は本当に死にたくてしんだのかどうか判らないではないか。生きていることが、死ぬよりつらくて、自らの命を断たれたのだ。亡くなった方を責めるより、どうしたら、このような悲惨な事件が、社会から無くすることを、みんなで考える事の方が、大切だと思う。この人は、死ぬほど辛い思いをしたことが、ないのかなあ?だから、こんな無責任な発言をするのだろう。」

私は言いようもない気ちになって、このような痛ましい事件をなくする為には、自分はどうしたらいいのか。そして、社会に対してどう、働きかけていったら良いのかと、朝から、厭な気持ちになったが、このような、無理解な考えが、蔓延っている世の中だからこそ、皆様に、未来に夢と希望をお届けすべく、紙芝居をさせて戴いているのだと、改めて、自分のこの世の中の係を実感だきた、みかんであった。

         byみかん

       

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駒川商店街で紙芝居 4月23日

今月から、地域の駒川商店街の空き店舗のスペースで、紙芝居を口演させて戴く運びとなった。駒川商店街の北の入り口(地下鉄駒川中野駅下車)側から入って、二つ目の四つ角の斜め向こう側、「ふくしの駅」と云う所で、午後から、一緒に子育て支援のサークルをしている方と、紙芝居仲間の方と三人で、紙芝居、パネルシアター、アンパンマンの手遊び、オカリナとハーモニカの演奏で、「鯉のぼり」の歌を唄い、最後は、広告や新聞紙で、兜を折った。

大変盛りだくさんのプログラムで、初めての試みと言うことで、観客の方はそれ程ではなかったけれど、自転車に乗った若い人が、足を止めて見てくださったり、商店街のお店の方もわざわざ覗きに見に来てくださり、私としては、これからも、ずっとここでさせて頂けたら、有り難いなあと、想った。

駒川商店街は、地域の方々が、大勢お買い物に来られる、活気溢れる商店街で、7月、8月の夏休みには、子供さん達に喜んで戴けるイベントも計画中だ。笑顔溢れる街づくりを、目標に、これからも、毎月第4水曜日の午後3時から、紙芝居をさせて戴きますので、お近くにお越しの節は、是非、「ふくしの駅」にお立ち寄り下さいませ。次回は、5月28日(水)の午後3時から開演です。宜しくお願い申し上げます

          byみかん

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もう、いいやん!  4月21日

人間は疲れがたまると、機嫌がわるくなり、誰かにいじわるしたくなる。悪口を言いたくなる。なんでかな?もう、いいやん!忘れよう。細かいことごちゃごちゃと考えるのしんどいよ。「はい、つぎ、はい、つぎ。」これが、私の元気になる合言葉。

本音で話せる友達一杯つくろう。話を聞いてもらえる仲間をたくさん集めよう。みんなで話せば、淋しくない。元気が出るよ。パワーをもらえるよ。

過去と他人は変えられない。だから、前を見て歩こう。少しくらいつんのめってもかめへん。かめへん。ドンマイやで、スマイルや。許さんでもいいから、忘れよう、厭な事。

人間の記憶力なんて、あんまりたいしたことないやん。誰だって間違いがあるし、失敗もする。「もう、いいやん!済んだことや。」うじうじ考えてたら、頭に虫がわく。ああ、そんなんいややから、フレッシュ、フレッシュ、常にリフレッシュ!

ストレスたまれば、身体をうごかそ、口動かそう。そしたら、たまったストレス、消化する。誰でもええやん。人おらんかったら、犬でも猫でも、お花でも、月でも星でも、山でも海でも、何かに向かって、話しかけてごらん?きっと、「やる気」の芽がまた吹き出てくるよ。

しんどい時は、はよ休み。明日になったら、また元気になるわ。「もう、いいやん!」ゆっくりと、お休みなさい。今日もよく顔晴ったね。よかったね。

          byみかん

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誠の商い  4月19日

一昨日から、東京に所要が在り、今日、やっと帰阪致しました。この二日間、お休みを戴き、誠にありがとうございます。

東京で、大勢の方々と出逢わせて戴き、人生は、多くの人との良い出会いと、触れ合うことで豊かに過ごせるのだと、改めて実感致しました。東京でお世話になった方々、本当にありがとうございます。また、東京に行かせてくれた家族や、ご理解戴いた職場の上司の方や、友人、お仲間の方々に、心より感謝致します。本当にありがとうございます。

然しながら、二日間、長時間コンタクトを着けていた為か、両目がウサギの目の様に真っ赤になって、大阪に帰って来た、私は、在る駅の地下に在る、ドラッグストアーに飛び込み、少し年配の女性の店員さんに、「明日眼科に行くつもりですが、コンタクトで、目が赤くなり、涙が止まらないので、目薬を下さい。」とお願いした。すると、その店員さんが、少し困ったような顔をされてから、「明日、お医者さんに行かれるのでしたら、間に合わせに、わざわざ高い目薬を買わないでもいいと思いますよ。コンタクトの上から点す安い目薬も有りますが、もう、コンタクとをはずされているのでしたら、お医者さんでもらった目薬を点す方がいいと思いますけど・・・・」と、親切におっしゃってくださった。

見ると、成程、炎症を抑える目薬は、やはりそこそこお高い値段がついていた。私も、後、半日、コンタクトをしないで、明日の朝、眼科で診てもらって薬をもらった方が、自分の目の為に一番いいと考え直し、御礼を言って、その店を後にした。それにしても、なんという、誠意の在る接客であろうか?普通だったら、高い方の目薬を販売してもおかしくないのに、お客さんの立場に立って考えて、判断して販売しない選択をとられた姿勢は、素晴らしい。増して、薬を販売する側であるから、とても責任も思いと考えられたのであろう。

「あの方は無料で、お店の信用を売ったんだなあ。」と、気付かせてもらえた。

これが、「誠の商い」と云うものであろう。お客さんの立場に立って、商品を販売しないことも、商売の方法の一つなのだと、私は思った。私思う、みかんであった。

             byみかん

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掃除機をかけに来た先生4/17

気候の定まらぬ今日この頃、皆様如何お過ごしでしようか?

今日も猫の目の様な、めまぐるしいお天気で、夕方、雨が止んだのを見はからって、バイクで、アルバイト先の塾へと向かった。すると、ポツポツと雨粒が落ちてきて、瞬くうちに、どしゃ降りの雨となった。

私は見た!そのどしゃ降りの雨の中で、シャッターが閉まっている、教室の前で大きなボストンバッグを大事そうに持っておられる男性が、誰かが、開けに来てくれるのを待っておられる姿を・・・・・

私は、軽く会釈をして、バイクを止めてすぐさま、シャッターを開けようとしたが、びくともしない。「鍵が、かかっていますよ。」その男性は、そう、私に話しかけてこられて、私も、誰かが鍵を開けに来て下さるのを待った。

その男性は、何でもないような顔で、「最近、よく降って、変な天気ですね。」と、言われたので、私も、「本当に厭な天気ですね。」と応えた。

私達は、暫く待っていると、程なく塾長先生が駆けつけて来てくださり、鍵が開いて、階段を昇った。部屋に入ると、その一緒に待っていた男性を、私は、全く持って授業をしに来られたのだとばかり思っていたら、なんと、ボストンバッグから、掃除機を出して来て、「教室の掃除をする様に、言われたので、掃除機をかけます。」とおっしゃって、掃除機のコンセントをもう、引っ張り出されていたので、「私がかけましょうか?」と声をかけたが、もう、その方は、掃除機を慣れた手つきで、机をどけながら、かけ始められた。私も、あわてて、椅子をどけて手伝った。

そして、私の教える生徒さんが来られると、国語の指導シートを持っている私に、「前回は、僕が、こここを指導し、この宿題を出して、今日は、ここの処をお願いします。」と、きっちりと申し送りをされた後、「じゃあ、お先に失礼します。」と言う言葉を残して、風の様に去って行かれた。

私は、なんと凄い先生だと思った。掃除機をかけにのみ、やって来られ、御自分の責務をしっかりと全うされて、しかも、自分の指導された生徒さんの申し送りも済ませて、引き揚げる。とても、私には出来ない。本当に自分の仕事に対して、自信と誇りを持っているから、雨の中を自転車で、掃除機をボストンバッグに入れて、掃除しに来れるのだ。

私は、この先生を心から尊敬した。私も自分の与えられた役割を精一杯出来る人間にならなければいけないなあ。自分は、まだまだだなあと、生徒に国語の問題を一緒に考えながら、ふと、「雨が、小降りになっているといいのになあ。」と、雨の中を帰る、その先生を思い遣った。国語の問題は、阪神淡路大震災に遭った、学校の先生の授業の問題だった。

私の心のお掃除までして下さった、その先生に感謝の気持ちを抱きながら、精一杯、その生徒の国語の授業を進める、みかんであった。

          byみかん

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終わりなき挑戦  4月16日

夜、昼間の疲れで、うとうととまろどんでいて、ふと目が覚めると、つけっぱなしのテレビから、冬の登りに失敗して、凍傷で指を全部切断された女性と彼女を助ける為に、自分も右手の薬指と小指を失った夫の、ドキュメント番組を放送していた。

私は、この夫妻のロッククライミングの限りなき挑戦に、思わず見入ってしまい。とうとう、深夜にも拘わらず、最後まで観てしまっていた。それは、何故この二人が、一度は、雪山で滑落して、這い上がって、大切な自分の指を失ってまでいたのに、再び、岩山を登ろうと思って、登ったのか、その理由がどうしても知りたかったからだ。

彼らは、指を失って、暫くはロッククライミングから遠のいていた。だが、最初は、山歩きが出来れば、それでいいと思って、また、山に登り始めたのだ。この、再チャレンジが、二人の人生の生き方そのものを変えたのだろう。北極圏に在る、グリーンランドの氷河の在る岩山を何日もかけて、一本のロープで、お互いお身体を繋ぎとめて、交代で先頭をよじ登り、自分の長年培ってきた経験と勘とで、一歩ずつ、剥がれ落ちる岩肌を、確かめながら、自分で路を切り開いていく。何のために?私は、この疑問の答えを得たい為に、必死で、画面にしがみつく様に、テレビの前を離れるこたが出来なかった。

そして、とうとう、二人が頂上にのぼり着いた時に、始めてその意味が判った。まだ、誰も登ったことのない岩山に、自分の足で路を付けていく、そのプロセスが、この二人にとって、例えようもない喜びなのだ。そして、その頂上から見下ろすこの上もなく美しい景色は、何物にも換えがたい、登りきった者だけに与えられた、ご褒美なのだろう。

両手、両足の指を失ってでも、獲得したい喜び=それは、未踏の岩山を登る、先駆者の喜びに匹敵するのであろう。人間には、本当に無限の可能性が秘めているのだと、改めて、つくづく実感し、新たな感動と勇気をこの番組で、授けてもらい、明日からの希望が、見えて来た、みかんであった

          byみかん

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犬の注射  4月15日

今日は、我が家の愛犬、チャク様の恒例の、狂犬病の予防注射の日だ。本犬?は結構平気な様で、と言うか、全く知らされていないので、当たり前だが、何時もの様に、自分の身体より小さい犬小屋から、頭を向こう向けてふてくされた様に、お休みされておられる。

至極、いけずな私は、これから彼に起こるであろう災いを想像して、少しサディスティックな気持ちになってしまった。それと言うのも、この他家に嫁いだ娘の置き土産の愛犬が、物凄く愛想が悪いのだ。まだ、小学生だった彼女が、クラスメイトの家で、子犬が生まれたから、家で飼いたいと言われた時、何故か夫も私も反対しなかった。まあ、いいかと、あまり深く考えなかったのが、そもそも、この「ぼんぼん」いや、愛犬との因縁であろうか?

そして、年月は夢の様に過ぎ去り、子犬の時はぬいぐるみの様に可愛かった彼も、今はすっかり年老いて、老犬となり、まったくもって、ただ、寝るか、吠えるか、散歩に行くか、お食事とお水を摂るかの、この4つのパターンのみの生活の繰り返しの彼が、今日の予防接種で、どういう反応を示すのか、密かに楽しみにしていたのだ。

だが、私の予想に反して、彼は、いとも平気で注謝をしてもらい、平然としていた。全く動じない彼の態度に、私は尊敬の念すらいだいた。他の犬は、怯え、鳴き叫ぶ中を、彼だけが、余裕しゃくしゃくとしていたのだ。

考えてみれば、彼は小さい時に大病を患い、獣医さん通いに慣れていたのだ。やはり、環境が人、いや犬を育てるのであろう。増して、人間だったらなお更であろう。

今日は、我が家の愛犬に、人生哲学、いや、犬生哲学を教わったみかんであった。「威風堂々」か、はたまた、「馬耳東風」の言葉がぴったりの、我が家の愛犬チャクちゃんなのであった。

            byみかん

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みかん転がる? 4月14日

最近と言うか、ここ2、3日、ハードな日々を過ごさせていただているのか、自分の心のバランスが崩れそうになる時がある。だが、これは、これでいいのだ、と、自分に言い聞かせ、鼻歌の一つでも歌って、受けてたちましょう。

みかんが転がったら、3年長生きできるのだ。なんのこっちゃ?スマイル、すまいる、素間意留?紙芝居で、「わっしよい、わっしよい、ぶんぶんぶん」(かこ さとし作)と、言う作品が在る。楽しく演奏していた楽器や、美しく鳴く小鳥などを、意地悪な悪魔に奪われても、人々には、歌があった。さすがの意地悪な悪魔も、人々の口や喉を奪うことは出来ない。

そんな紙芝居を演じていると、私も、紙芝居をさせてもらえることが、在り難い。やらせて戴く場所や、観客の方々が居られるのが、嬉しいのだ。そうだ、忙しいことは、いいことだ。紙芝居をできることは、在り難いことなんだ。紙芝居を皆様にお届けすべく、みかんは今日も、重い舞台を片手に携え、いろんな街へ、笑顔と感動を配達する為に、「よいしょっ」と言いながら、長い地下鉄の階段を駆けのぼるのだ。

落ち込むと、私はまた、再燃するのだ。そんな強がりいってるけれど、やっぱり、一人になると、いろんな悪魔が、また、忍び寄る。そんな時は、お口の準備体操やりましょう。

「あめんぼ赤いな あいうえお うきもにこえびも泳いでる・・・・・」夜中に、大きな声は出せないけれど、小声でそっと、囁くだけで、元気になるよ。ありがとう!紙芝居。

           byみかん

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「謝謝」(感謝の言葉)4月12日

今日、私は自分の生まれ育った、田辺の街で、念願の紙芝居教室を開講させて戴ける運びとなった。本当に有り難い。この在り難い気持ちをどう表現して良いのか判らないので、或る言葉で、例えさせて戴きたいと思う。教室の場所をお貸しくださっている、鈴木住建の社長、鈴木宏昌様、今日、教室にお越し戴いた、生徒さん方、また、家族は元より、何時も、活動を支えてくださっている、全ての皆様方へ、感謝の心を込めて・・・・・

  「受け捉えている心が感謝で一杯だったら、感謝が人生を受け止めてくれる。」

 ありがとうございます!

            byみかん

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はは呑気だね! 4月11日

家の母は、確かに人がいいと言うか、物凄く気イ遣いだ。何故かと言うと、最近、口だけは元気だが、足腰が弱ってきて、やっと介護のお墨付きを、御上から頂戴奉り、晴れてヘルパーさんに来て戴くことになった。

すると、どうだろう?ヘルパーさんに部屋の窓を掃除してもらわないといけねいと言っては、建具やさんにお願いして、今までほったらかしにしていた開かずの窓を修繕してもらったのだ。ここまで来ると、介護してもらいにきてもらうのではなく、ヘルパーさんに働き易い環境を整える為に奉仕するみたいだ。

ヘルパーさんが来られる時にだけ、いつも物置の奥に大切に忍ばせてある、まっさらのスリッパを玄関に出しておく。

デイサービスに行く日は、お迎えの車がくるまで、何回も出たり入ったりする。何故なら、迎えに来られる方を待たせたらいけないと思い、外で待つ。でも、足が痛いから、中に入る。それの繰り返しが、5回か6回もあって、やっと玄関のチャイムが鳴る。それやったら、チャイムが鳴るまで家の中で待ってたら良いと思うのだが・・・・

兎に角、人様の世話はしても、されたことは滅多とない母が、継続的に介護のさーびすを受けようと思ったら、並大抵のない努力が要るようだ。介護慣れするには、まだまだ、時間がかかりそうだ。お母ちゃん、もっと呑気に構えててええんよ。せっかく認定もろてんから、有意義に遣い、若い頃から苦労しどうしやってんから、これからは、もっと楽しい人生を過ごして、一日でも多く、健康で長生きしてや!

            byみかん

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正義の味方みかんちゃん?4/10

私はよく、「紙芝居を自分で描くのですか?」と尋ねられることがある。だが、恥ずかしながら、自分では、とんと絵筆を持つことは出来ない。出版された紙芝居には、本当に素晴らしい作品が沢山ある。だが、やはり、色々な作品を演じさせていただきながら、こんなストーリーの紙芝居が在ればいいのになあ。と、望むことがたびたびある。

そんな私の願いを叶えてくださる、有り難い方が現れた。彼女とは、紙芝居の講座がご縁で、とてもユニークで、斬新なアイデアと、明るい色使いのはっきりとした絵のタッチで、全くもって、紙芝居を描くのには、打って付けの才能を持ち合わせておられる。

その彼女に、私は厚かましくも、自分を主人公にした紙芝居を描いて戴いた。題して、「せいぎのみかた  みかんちゃん」という作品である。内容は、故あって、まだ公開は出来ないが、私の想いを紙芝居と云う形にしてもらえて、本当に嬉しい。

彼女は、今からまた、別の作品に取り掛かると言う、物凄いバイティーの持ち主だ。彼女の製作の提供に感謝し、これから、場面の言葉を心を込めて、入れていきたいと想う。仏作って魂入れずでは、申し訳が立たないし、この紙芝居を生かすも殺すも、言霊を吹き込むことと、自分の持ち味を如何に出すかで、決まってくるのだ。

住み良い社会になって欲しいという、彼女と私の願いを込めて、この紙芝居が輝ける様に、これから、創っていきたいと想うみかんであった。

            byみかん

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「間」の話  4月9日

えー、昨日のブログのお約束どうり、今日は「間」(ま)についての、しょうもない私のうんちくに、お付き合いを願います。

そもそも、どんな芸事にも、皆、この間というものがございます様で、よく、「間が悪い」とか、「間に合わない」、また、「まぬけ」も「間抜け」という意味のことだと、どこかで教えてもらった様な気がします。昔のテレビ番組で、「素人名人会」と云うのがございました。この番組の審査委員の先生方が、よく、落語や漫才の芸を講評された時に、「間が早い」とか、「間がいい」とおっしゃっていたのを記憶しております。

ゆえに、私も紙芝居を演じさせて戴く時、この「間」というものをが、一番、難しゅうて、手を焼いているのでございます。紙芝居の裏にも、台詞と台詞の間や、ト書きの中に、「間」と言う言葉が書かれております。時には、「長い間」とか「短い間」などと書いてある場合がありまして、「長い間」て、どんだけ~?なんて、いつも頭を抱えて悩む時が、ようあります。

そもそも、「人間」だって「人の間」ていう字で、書きますやろ?不思議でんなあ。人間は、やっぱり単独で生きていけない動物やからでっしゃろか?この「間」を侮ると、きっと、とんでもない事になるみたいですなあ。「間」は、「魔物」。つまり、「間者」と云う事で、私達人間は、この「間」に翻弄されず、如何に、気持ち良く付き合っていくことが出来るかで、面白い人生を送っていけるかが決まってくるみたいですね。

昔から、落ち込んだり、悩んだりした時には、「間は、ええか!」、「間ぁ、ええか!」、「まぁ、ええか!」と言いますでっしゃろ?・・・・・お後が宜しいようで~下手な落ちで失礼致しました。

         byみかん

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大阪の文化  4月8日

何時も、この青空視観(みかん)のブログを観て下さいまして、ありがとうございます。私は、最近の大阪は、元気がないとか、名古屋や福岡におされているのではないか?などと言う言葉を聞くと、とても寂しくなります。

一昨日の大阪府狭山市のSAYAKAホールで演じられた、十代の若者達の「うどい」の公演や、天満の繁盛亭、NHKの朝ドラマ「ちりとてちん」の高視聴率、そして、何よりも、大阪の女性の逞しさ、これらを鑑みますと、まだまだ大阪の文化は廃れていない。これからも、どんどんと、大阪から活気とパワーを全国に発信していけたらと、想います。

元々大阪には、適塾と云う私塾が在り、ここから、有名な世に名を馳せた人達がおられるということは、私達大阪人の誇りに想ってもいいと思います。昔は「町人学者」と言う人達が居て、商いをしている町人の人々が、学んで学者と言われる程、博識を持った人々がおられたそうです。

私は、今、子供さん達の勉強のお相手をさせて戴いておりますが、大阪の子供さん達は、やっぱり、しっかりしたお母さん方に育てられて、逞しさが在ると思います。でも、少し自分自身に自信が持てず、遠慮される子供さんも中には、おられるようです。どうか皆さん、子供さんは、地域の宝だと思い、自分の子供さんでなくても、誉めたり、悪いことは悪いと言ってあげる様にしてあげてください。

これからの大阪が住み良い街になるかどうかは、今の私達大人の責任だと思います。大阪の文化として、有名なのは文楽が在ります。漫才が在ります。上方落語が在ります。そして、紙芝居も大阪独自の紙芝居の文化を培っていきたいと云う想いで、今、顔晴らしてもらっています。大阪ならではの紙芝居の文化とは、なんぞやなんて、たいそうなことをおこがましく言うつもりはありません。

全ての大阪の文化の根底には、皆「笑い」の要素が含まれているのだと云うことだけは、押さえておきたいです。それも、瞬間的な今のテレビに出ておられる、芸人さんの様なものではなく、「これは、おもろい!」と、だれもが納得して笑えること・・・・・それは、やはり、「間」というものが、とても大切なのだと、最近気がつきました。話が長うなりまっさかい、今日はこの辺で、お後が宜しいようで・・・この続きは、また、明日のお楽しみということで、コリャまた失礼!(すいません、テンションが上がってしまいました。)明日は、間(ま)についてお話させて戴きたいと思います。どうぞ、お楽しみに!

               byみかん

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一葉の花の便り   4月7日

どしゃ降りの雨の中で、我が家の郵便ポストから一葉のはがきを取り出した。「あっ!やっぱり、志織ちゃんからだ!」私は、嬉しさのあまり、そのはがきを、降りしきる雨で濡れた玄関に落としてしまった。大切な便りを、洋服の袖で拭きながら、まどろっこしい気持ちで、急いで家の玄関に入った。

その、はがきには、先日、見事第一希望の高校に合格し、私が送ったお守りを大切に持ってくれている喜びと感謝の気持ちを込めて、以前、彼女が送ってくれた、立派な一本桜の写真を見ながら、クレヨンで下手くそな絵を描いて、合格を祝福したお祝いとして贈った。そのお礼のはがきである。

彼女曰く、「先生にも是非、○○の桜を観に来て欲しいです。」と、書いてくれていた。私は、その便りを読んで、どうしても、本物のその一本桜がみたくなった。

志織ちゃん、ありがとう!きっと、観に行くからね!故郷に誇れる物が在るという、その気持ちを何時までも大切にしてほしい。柄にもなく、下手くそな自分が描いたその桜と、本物の桜とどれだけ違うのか見たい。いや、それよりも、まだ一度も逢っていない、その純真無垢で、一途な心を持った少女に逢ってみたいと、想った。

「まだ、若いし、青春18切符で、いっちょ行ってみるか?」なんのこっちゃ。私は早速旅の計画を練ることにした。一葉の花の便りが、私を遠い旅に出る決意をもたらしてくれた。「ありがとう!志織ちゃん。貴女に逢える日を楽しみにしているね。」

まだ見ぬ少女に逢える楽しみに変えてくれた、花の便りであった。

          byみかん

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感動の嵐  4月6日

それは、春真っ盛りの、桜の花が満開に咲き乱れる、大阪狭山市のサヤカホールと言う場所での出来事であった。

舞台の幕が上がった。真っ赤なTシャツに身を包んだ少女、少年達の、一糸乱れぬ踊りで、幕開けとなった。私は、この素晴らしい踊りが、まだまだ続くことをイメージしていた。だが、その予想は全く外れていたのだ。そこから、生の演奏(勿論子供達による)で、歌もライブで、それらの音楽をバックに、素晴らしいお芝居を、延々と3時間も演じ続けきったのである。

私は、今まで何度も芝居を観てきたが、こんな凄い芝居を観たのは、生まれて初めてである。それは、彼ら彼女らの、純粋でひた向きで、真剣な演じる姿勢と、作品のテーマ、自分達の郷土に在る狭山池に対する誇りとが、滲み出て、出演者は元より、音楽、照明、スタッフの方々の心が全く一つになって、出来上がった作品であることを実感できた。

自分のことを言うのも」なんだが、私も学生時代は演劇部の末席を汚していた身であるのでこれだけの公演を行なおうと想うと、相当な練習と準備とリハーサルをしないと行なえない。それを、僅か10何年生きてきた子供達が、やり遂げたのだから、凄い感動と言うよりも、私の心の中で、何かが弾けたのが判った。

最後のカーテンコールで、何度も「ありがとうございました!」と言っている彼らの目は、確かに輝いていた。そして、劇場をでると、これは驚いた。通路の両側に、今出演っした若者達が、私達を迎え、見送ってくれるではないか?私は、いちいち感動した。全てにかんどうした。そして、最後には、やはり、彼らと同じ感謝の気持ちが、怒涛の様に溢れ、「こんな素晴らしい舞台を見られて、わたしってついている。ありがとう!」

芝居の台詞の中で何度も出てきた言葉、「そのままの自分でいい。大人になっても好きになる。」?確かこんなフレーズだった。話は凄く飛躍するが、赤塚ふじおさんの「天才バカボン」という漫画で、バカボンのお父さんが、「それでいいのだ。」と、よく言っていたのが思い出された。今の私達は、現状に満足せず、もっと、もっと、と自分で自分を責め立てているような気がする。今の自分で充分なんだ。在りのままの自分を、私達は、もっと肯定し、自分を褒めたり、労わってあげることで、他の人にも優しくなれるのだと、気付かしてもらえたありがとう!感動をありがとう!笑顔をありがとう!そして、勇気をありがとう!そして、みんなが、大人になっても、ずっと変わらず、今の自分で在り続けていてくれることを感じさせてくれて安心し、サヤカホールを後にし、早速舞台となった、狭山池にと、友人と一緒に向かったみかんであった。

           byみかん

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夢をかなえるゾウ 4月5日

最近、或る方に薦められて、「夢をかなえるゾウ」と言う本を読んだ。久しく小説など読んでいなかった私だが、これは、面白い!いや、「おもろい!」と言った方が似合う傑作だ。

一人の夢もなく、人生に虚ろいを感じて生きていた青年の前に、インドへ自分を変えようと想って、其処で求めた、像の人形から不思議な神様が、彼の前に現れた。この神様は、なんと関西弁丸出しのぼよぼよの体形の象であったから、驚いた。このへんてこりんな象の神様が、青年を変えて、夢を叶える為に毎日一つずつ宿題を出す。それは、毎日靴を磨くことであったり、トイレ掃除をすることであるが、彼は、この物凄く自己中の神様と一緒に暮らしながら、自分磨きをはじめるのだった。その二人の会話のやり取りが、まるで、漫才みたいなボケと、鋭い突っ込みで進行していくのだから、これは、おもろい。いや、失礼、面白いのだ。

青年が最後のステージに到達すると、自然とこの象の神様とは、お別れすることになるのだが、それは、青年が自分の足で生きる路を見つけ、踏み出したと言うことになるということだ思う。象の神様は、ガネーシャと言うのだが、あんみつと、パチンコと、富士急ハイランドのジェットコースターをこよなく愛する、憎たらしいけど憎めない神様なのだ。

こんな神様が、日本中のいや、世界中の生きる意味に悩める人達の前に現れたら、これからの未来が、拓けていくだろう。但し、ナタデココではなくて、白玉団子が好物でパチンコをやるのが好きなので、日本人限定のそれなりにお金の在る人限定なのが、ちょっと困るのだが・・・・と、真剣に悩むみかんであった。「そんなゾウ、いてるわけないゾウ!?」

   「夢をかなえるゾウ」 水野敬也著  飛鳥新社

            byみかん

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温故知新と紙芝居  4月4日

私の好きな言葉の一つに、「温故知新」と言う言葉が在る。「故きを温(たず)ねて 新しきを知る」これは、まさしく今、私の紙芝居普及活動に繋がる言葉だと思う。

紙芝居は、今から約80年近く前、昭和の初めに、日本で生まれた文化である。そんなに古くからあった物ではないが、今の60代~上の人々は、子供の頃、小銭を握って拍子木の音が、カチカチと鳴ると、みんなワーッと掛け声を上げて、紙芝居のおじさんの前に集まった覚えの有る方が、多いと思う。

昭和の時代のブームに乗って、今、改めて紙芝居の良さが見直されて来ているのだと思う。それは、単なるノスタルジーと言うには、私は物足りない何かが在るのだと想う。人間同士の生の触れ合いの場所を提供してくれるのが、紙芝居の素晴らしい特性だと考える。ただ懐かしいだけではなく、この現代の平成の時代に紙芝居を観たり、演じたりすることは、人間の一番大切な、人と人との繋がりを育む役割を担っているのだと、自負している。懐かしさだけでは、語り尽くされい魅力を持ち合わせている、赤ちゃんから高齢者の方々迄、全ての年代に亘って楽しむことが出来、共感の環が広がり、生きることの素晴らしさを謳う事の出来る、みんなの居場所造りの出来る、今、一番旧くて新しいメディア、それが、現代社会の紙芝居の大きな特徴で在る。

故に、紙芝居の「温故知新」とは、蝕まれつつある現代社会に、三度現れた、人々の救世主なのだと、紙芝居を演ずることを自分の誇りであると想いつつ、活動をさせて戴いている、みかんなのであった。

          byみかん

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もう、我慢できない! 4月3日

また、東京で母親が、我が子の首を絞めて殺した・・・・もう、ええ加減にして。これ以上、子供さんが儀牲になるのは、沢山だ。犬や猫だって、自分の子を殺したりしない。

何故人間だけが、自分の勝手な思い込みや、感情で可愛い我が子を手にかけるのか?あの、子供を産むときの、死ぬほど痛い思いをして産んだ我が子を、どうして殺したり、虐待できるのか、私にはどうしても判らない。

人間の命は、神様から授かった自然の宝だ。誰もそれを犯してはいけないと思う。私達は、今一度、人間の尊厳を考え、心を見つめなおす時が来ているのだと思う。いつも申しているが、私は何処の政党も宗教にも属さないが、太古の昔から、人類が連綿と繋いで来たいのちの鎖を断ち切ることは、自然の原理に反する。

人間の寿命を全うすることを、断ち切り、未来の在る子供達を殺めることは、自然の摂理に反する暴虐である。私は、産む性として、二人の子の母親として、例えどんな理由があったとしても、命を守りたい。

もう、これ以上殺さないで!子供達を!

もう、これ以上傷つけないで!子供達を!

心が乾いて、苦しい時は、どうか、どうか、誰かに話を聴いてもらってください。

誰も話を聴いてもらえる人が傍に居ないのだったら、自分自身に問いかけてあげてください。「私って、子育て顔晴ってるよね?」って・・・・

決して自分も他人も責めないで、在りのままの自己と子供さんと人様の姿を認めてあげましょう。貴方は、貴方のままで充分素晴らしいのですから・・・・

宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の詩のフレーズの中に「アラユルコトヲ カンジョウニ イレズニ ヨクミキキシ ワカリ ソシテワスレズ」というのが在る。

この「カンジョウ」とは、「感情」と「勘定」と両方の意味が兼ね合わされているのだと、私は思う。「勘定」とは、お金を計算することではなく、物事の道理を推し測ることを言うのだと考える。人間は感情の動物で、どうしたって、情にながされる。(私自身も含めて)

難しいことを考える癖が在るのはいいけど、「なんとかなるわ。時が解決してくれる」そう思うと、少しは楽になると、私は思うのだ。人間の一生は、宇宙の時間に比べたら、ほんの僅かな時間に過ぎない。そんな僅かな時間だからこそ、一日一日を、一所懸命生きて行こうではありませんか?共に助け合いながら・・・・もう、貴方は独りぼっちではありませんから、安心してくださいね。人間を信じられるように、みんな生きていけばいいのです。

            byみかん

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4月のみかんの予定

4月2日(水)   子育てサークル「プーさんクラブ」お話し会     2時~3時

4月12日(土)  今林子供会さん                    12時半~13時15分

4月12日(土)  青空視観の紙芝居教室開講日           14時~16時 

           (すずき住建田辺スタジオ)

4月13日(日)  紙芝居大好きオブまなび・おおさか勉強会     13時半~16時

           (住吉人権文化センター)

4月17日(木)  高齢者デイサービス「わたの花」          14時~15時 

           (大阪市平野区正覚寺)

4月23日(水)  田辺親子サロン                    11時~11時20分

           (田辺会館)

4月23日(水)  駒川商店街内 福祉の駅               14時~15時

4月24日(木)  マザーズドリーム                    16時~16時半

4月26日(日)  青空視観の紙芝居教室                14時~16時

           (すずき住建田辺スタジオ) 

4月27日(日)  全興寺 街頭紙芝居                 14時と15時

           (大阪市平野区)

4月29日(火)  昭和のお祭り                     未定

           (大阪市阿倍野区昭和町)

全てのお問い合わせ先は、TEL・FAX  06-6621-2467  山口迄

 

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タワー?あふるる母 4月2日

先週から、母が、デイサービスに通うようになって、めっちゃ元気になってきた。自分でも、「タワーが溢れて、エネルギーが湧いてくるわ!」とのたまう。「それって、パワーのこととちゃうのん?」「そう、そのタワーやねん!」

私は何もここで、パワーとタワーを言い間違っている自分の親を馬鹿にしているのではない。凄く嬉しいのだ。「こんなに楽しいのやったら、もっと早く行ってたらよかったわ。」と子供の様に、前の晩からいそいそと、支度をして、迎えにきて下さる車を、今か今かと心待ちにして、玄関で座っている母。帰って来たら来たで、デイサービスの様子を、生き生きとした目で、話してくれる母。そんな母の幸せな笑顔を見るのが、私にとってこの上もない喜びなのである。

パワーであろうと、タワーであろうと、細かいことなんかどうでもいい。生きてきて良かった。幸せだと思ってもらえたら、それで充分だ。

一昨日、初めて母と二人だけで、旅をした。私にとっては、人生最高の親孝行の真似事をさせてもらえた様な気持ちになれて、有り難かった。

「お母ちゃん、長生きしたら、健康保険代も別枠で支払わなあかん大変な時代になってんから、何時までも達者で、長生きせんと損やで。私がお祖母ちゃんになるねんから、お母ちゃんは、大祖母ちゃんになるねんな。こないなったら、とことん、身も心も元気でいてて、お父ちゃんと一緒に、一杯、ひ孫や玄孫の顔見てやってや!」

私はこの夜、デイサービスに行って、めっちゃ元気になった母に、紙芝居の特訓を受けた。親孝行かはたまた子育てか判らぬ、この世はげに不思議な処なり。

           byみかん

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女の道は一本道! 3月31日

NHkの大河ドラマ、「篤姫」が、非常に人気を博しているそうだ。今までの大河ドラマは、正直言って、私もあまり興味が湧いてこなかった。何故か?それは、主人公が男性だという、簡単な理由ではなく、この幕末の動乱の時代に、しっかりと、自分の歩むべき路を見据えて、突き進んで行く篤姫の生き様が、今までの大河ドラマでは、実感出来なかった、武将の強さや、逞しさ、忠君への奉仕の心音とは、全く次元の違った切り口で、ドラマが創られているからだと思う。

ややもすると、それは、自の生き方其の物に、オーバーラップさせることが出来、篤姫の生き方そのものが、私もそんな生き方をしてきたい。自分の生涯を懸けて、この、平成の世を憂い、なんとか世の人々に夢と希望を抱いてもらえる様な、明るい未来がこれからもずっと、続いて欲しいと願い、私は紙芝居の一本道をこれからも歩んでいきたい。道を切り拓き、さわやかな春風の吹きすさぶ、人々の笑顔溢れる世の中になれる様に、真っ直ぐに歩んでいきたいと思うみかんである

綺麗ごとを並べ立てていると思われていてもいい。そんなこと出来っこないと、思われても構わない。自分の信じる路を、私は人様のご助言は、素直にお受けするが、自分で何もやろうとしないで、口だけ挟むことだけは、差し控えて戴けるとありがたい。青空視観が、これから、歩む道をどうか皆様で、温かく見守っていただけるだけで、私は、嬉しいのです。ありがとうございます。

            byみかん

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