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2007年9月

ブログのお休みのお知らせ

いつもこのブログを見てくださってありがとうございます。

私、青空視観は、この秋に結婚する娘と、最後の母子旅行に参ります。従って、このブログを3,4日お休みさせて戴きます。悪しからずご了承くださいませ。

また、旅からもどったみかんの、リフレッシュした姿をブログで御紹介出来れば幸いです。

ありがとうございます!

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過ちて改めざる・・・ 9月27日

石破防衛相大臣が、3年前の領収書を入閣直前に、訂正されたそうだ。孔子の言葉に、

「過ちて改めざる 是を過ちと謂う」という教えが在る。果たしてこれは、真(まこと)の過ちを改めたこたになるのかどうかは、皆さんの判断にお任せさたいと思う、

「人は誰でも過ちのあるものであるが、即座に改めるべきである。その過ちを改めないことで、本当に過失となる。孔子は過ちがあってはならぬとは言わない。改めよという。」

                                        論語のこよみより

さて、みなさんは、この石破殿の改めをどう受け止められますかな?ウオッホン!(孔子の咳ばらい)が聞こえてきそうですねえ・・・・

                       byみかん

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やればできる!  9月26日

私にはいつも自分に言い聞かせている、口癖がある。それは、「やってやれないことはない。やらずに出来る訳がない。あせらず、あわてず、諦めず、くさらずに、信じよう!ちっちゃなことでも、喜びがあるから・・・」

話はがらりと変わり、ラグビーのWカップ杯で、なんと日本チームが、13年ぶりに、カナダを相手に引き分けになったということだ。私はこの事実を自分の口癖にあてはめてみると、別に優勝したわけでもなく、勝利を得た訳でもない。私の夫さんが、ラグビーをしているので、分かるのだ。世界を相手に、何時も負けてばかりいて、絶対に勝てなかった日本が、引き分けになるということが、奇跡にも匹敵すということが・・・・

どこに自分の物差しをどんな形で見るかに拠って、その人の人生観や、世界観が変わってくると思う。真っ直ぐな30センチの定規でしか測れないひとも居れば、無限大の巻尺で、図ろうとする人も居る。

自分の可能性を伸ばすには、昨日よりもほんの少しだけ、努力すればいいと私は思う。

その積み重ねが、今日のラグビーの試合のような奇跡を起こすのだ。信じることと、努力することが大切・・・

でもね、それは誰かに見せたいとか、自慢したいためにするのではなく、自分自身の為にするのだよ。自分が、楽しめてその上、観客の皆さんが喜んで下されば、一番いいね。

まずは、自分を一番大切に考えてあげよう!無理せず、楽しみながら、自分の夢にゆっくりと、歩んでいこう。どこまでも・・・

              byみかん

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私が紙芝居で想うこと 9月25日

紙芝居は、ご存知のかたもおられると思うが、絵本と決定的に違う処は、演じ手が存在して、演じ手に拠って、演じられる作品を、集団で観ることで、みんなと同じ空気を感じ、隣の人の存在を実感して、自分は独りではない、みんなと一緒に居ることを、喜びとして、受け止めることが出来る。これを共感の感性と云う。

現代社会で、一番欠けていて、必要なのは、この共感の感性を育むことだと私は思う。

仕事で、一日中パソコンと向き合ったり、携帯のチェックに、神経を使い果たしり、テレビやゲームに娯楽を求め、、人間同士の生の触れ合いが少なくなってきた昨今、こんな時代だからこそ、自分は、独りではない、みんなと一緒に居るんだという、確かなl実感を感じ取ることが出来る、一番身近で簡便なものが、紙芝居だと思うので在る。

何が言いたいかというと、確かに紙芝居は、絵本と違って、演じなければならないし、自分の今まで生きてきた人間性が、そのまま観ている人に感じとられてしまうという、絵本に比べると、非常にシリアスな面を沢山持っている。だからこそ、尚一層、自分磨きを怠らず、観客の方々に喜んで戴き、自分自身も心から楽しむことが、一番大切なことだと思う。

生意気なことばかり、羅列致しましたが、この時代の混沌としている、先の見えない時代を少しでも明るく灯し、人々と、共に生きる喜びを紙芝居を演じさせて戴くことで、分かち合えたら、こんな嬉しいことはございません。どうか、これからも、何処かで紙芝居を観ることがございましたら、思いっきり、その場に居る方々と、作品世界に浸りながら、一緒に紙芝居を楽しんでくださいね!

                  byみかん

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理念過剰型からの脱却9月24日

ようやく日本丸を曳いていく首相が決まった。福田総理、貴方に日本のこれからの未来を託すのですよ。もう、途中で逃げられません。だって、日本丸は、もう、出航するのですから・・・・

今日の毎日新聞に書かれていた記事にこんな言葉が在りました。[理念過剰型政治からの脱却と目線を低くした政治の復権は、世界的な潮流でもある]

私は、この言葉に言いようもない共感を覚えた。そうだ!安部さんの言葉「美しい国造り」という言葉や、「戦後れレジームの脱却」というスローガンも何か中身の無い空虚な言葉に思えたのは、航海に例えれば、日本丸の形や、デザインにばかり凝り、一体どのようにして、何処へ進もうとしているのか、方向性が全く見えなかったのではないだろうか?

確かに理念は大切である。だが、其処で色々と迷っていたら、いつまでたったも航海できないではないだろうか。そこに、確固とした羅針盤を持った船長が、進む方向を決断し、舵を執ることが、必要だ。

この新しい日本丸の船長、福田康夫首相が、果たして、素晴らしい羅針盤を駆使して、鮮やかな舵さばきを執ることが出来るかを、これから私達、乗員は、しっかりと見守る必要があるのではなかろうか?

さあ、イカリが、解き放されたぞ、出発出航!

              byみかん

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みかんの紙芝居情報 9月23日

今後の予定

10月14日(日) 午後1時半~15時半  住吉人権文化センター

紙芝居大好きオブまなび・おおさか学習会 参加費200円

10月18日(日) 午前10時~12時  大阪市立難波市民学習センター第1研修室

「The紙芝居入門教室」  ~紙芝居のルーツと歴史を紐解く~ 受講料1000円

10月21日(水) 午前11時~11時半  東住吉区田辺会館

親子サロン   地域の赤ちゃんとお母さんに赤ちゃん紙芝居を披露

10月25日(日) 午後2時と3時   全興寺(平野区)

街頭紙芝居の口演

        

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みかんからの挨拶 9月23日

何時も青空視観のブログを、見て戴き、ありがとうございます!

早いもので、このブログを始めさせて戴いて、はや、一年半以上が過ぎました。

最初は、パソコンを全くいじれなかった、私は毎日、YUI(結い)企画の代表、山田重昭さんに、毎晩携帯で、メールを送り、山田さんが、私の代わりに打ち込んでくださっていました。

でも、何時までも山田さんに甘えてばかりいては、申し訳ないと思って、このブログを、機械に弱い私でも、文字を打ち込むだけで、続けられる様に、セッティングしてくださいました。山田さん、本当にありがとうございます。

始めたばかりの頃は、例え、一人の方でもこのブログが、目にとまればいいかなと想い、とにかく、続けようと眠い目をこすりながら、毎晩、パソコンと格闘していました。

お蔭様で、最近は紙芝居の活動も順調に広がっていき、このブログを覗いて下さる方も増えてきて、本当に嬉しい限りです。

これからも、このブログをずっと続けさせて戴き、紙芝居の活動のお知らせも、皆様に紹介させて戴きたいと想っております。どうか、宜しくお願いいたします。

また、このブログにコメントを戴けたら幸いです。皆様と一緒に、このブログを充実した、有意義な出逢いの場に出来たら嬉しいと想っております

また、これは宣伝になりますが、紙芝居の口演依頼や、講座のご希望等、私でお役に立つことが在れば、遠慮なくご依頼下さいませ。皆様のお声をお待ち申しております。

                  byみかん

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紙芝居の普遍性  9月22日

今日は、大阪は北区に在る、高齢者施設「北野やすらぎ苑」にお邪魔させて戴いた。

お彼岸ということで、皆さんで、おはぎを楽しそうに作って食された。

その後、高齢者リーダーのお琴の先生であらっしゃれる、赤川ふくさんのお琴の音の調べに、じっと耳をすまされて、聞き入ったり、一緒に子供の頃に口ずさんだ、懐かしい童謡を、唄われた。私は、今日は急遽参加させていただいたので、プログラムの番外編ということで、昔話の紙芝居と、参加型の紙芝居を演じさせて戴いた。

きょうの訪問は、予定外のことで、紙芝居の紹介程度に、軽く考えていたので、二つの作品しか持って行かなかったので、紙芝居が終わっても、まだ何名かの方が車椅子に乗って、じっと、私の方を名残惜しそうに見ておられるようだった。私は、もう少し持って来れば良かったとと、反省したが、次にお邪魔するときには、もっと一杯紙芝居を観て戴いて、楽しんでもらおうと、心に決めた。

今までは、比較的、子供さんの前で演じる機会が、多かったが、紙芝居は、本当に赤ちゃんから、高齢者の方まで、全ての人々に受け入れてもらえる要素がたくさん在る文化だと実感した。これからの私の 想いは、学生さんや、若い世代の方々にも、紙芝居を観て戴く機会を設けたいと考えている。

若い悩み多き思春期の時代や、働き盛りの疲れている方々に、紙芝居を観て戴き、共に生きる喜びを分かち合えたら、こんな嬉しいことはない。

紙芝居は、永遠に不滅です!今、一番古くて新しいメディアで在る紙芝居の普遍性を活かし、これかも紙芝居をより、多くの方々に観て戴けたなら、幸いです。ありがとうございます!

               byみかん

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我が紙芝居の原動力 9月21日

  今日も、何時もの如く母の部屋に押しかけ、紙芝居の練習台になってもらった。とにかく、私の紙芝居の、唯一人のお師匠さんが、母である。

練習が終わると、きょうは、母も体調がいいのか、テレビの映画の話から、演劇の話、果ては、推理小説の話と広がっていき、母の嬉々とした顔を見ることが出来、いつまでも、元気で、ずっと私の紙芝居の相手をして欲しいと願った。

母は、学生時代から、演劇少女で、なんでも扇町公園で、シェークスピアの「真夏の夜の夢」のせむしの男から、果ては、今宮工業高校で、事務員をしていた時に、男性ばかりなので、母が駆り出され、「盲目お弟」の茶店の女中のお琴さんの役まで、かなり舞台の場数を踏んだようだ。

そんな母の演劇好きの血を、どうも私も引き継いだようだ。学生時代に演劇部に入り、2年上の男の先輩に、徹底的にしごかれた思い出は、今となっては、その時の経験が無駄になっていないのだと、実感する昨今である。

母の血と、学生時代に培った経験を活かしつつ、これからも、青空視観は、紙芝居街道をまっしぐらに歩んで参りたいと想います。どうか、宜しくお願い申し上げます!

                  byみかん

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今月の全興寺

今月の全興寺の紙芝居口演のお知らせ

9月23日(日) 午後2時と3時(予定)

地下鉄谷町線平野駅下車、徒歩15分 平野商店街を歩いて行くと分かり易いです。

プロの紙芝居師、鈴木常勝さんと御住職の絶妙のコントラストに、私、青空視観も子供さん達の突っ込みや、混ぜ返しに冷や汗を流しながら、口演させて戴きます。飛び入りのゲストも登場されることもありかも?何が飛び出すか分からないのが、生のライブ、街頭紙芝居のおもしろさだとおもいます。乞うご期待!

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子育て支援の原点 9月20日

今日は、3ヶ月ぶりに前のお店の大家さんと一緒に、活動させて戴いている、子育てサークル、「プーさんクラブ」のお話会で、紙芝居をさせて戴いた。

この、プーさんクラブの活動こそ、わたしの子育て支援の原点である。今から3年半程前、私は、このプーさんクラブをされている、元保育士のOさんと偶然に、出会った!

当時のわたしは、お店で働きながら、何か子育てのお役に立つことをさせて戴きたいと、強い想いが在った。それは、年子の娘達を親里を離れた私が、大阪の郊外の住宅地で、子育てをしていて、とてもしんどい時、近隣の子育てを一段落された方々に、大変お世話になり、お蔭様で孤立せずに、育児をさせてi戴いた恩返しをしたいと想っていた時だった。

子育て支援の集まりがあると云う、広報誌の情報を頼りに、勇気を出して一個人として参加した場所で、偶然、いや、必然的にお店の最上階で、子育て支援を実践されていた大家さんと出逢い、私もお手伝いをさせて下さいと、迷わず願い出た。

それが、私の子育て支援の始まりであった。決して大々的に活動するのではなく、細く長く、地道に続けさせて戴いている。今年の11月で、丸5年になると、今日も大家さんと話していて、参加されている母子の皆さんの笑顔を拝見するのが、何よりも自分の原動力だ。

私の子育ての原点は、この大変な時代に子供さんを産み、育児にがんばっておられるお母さん方に、自分が子育てをしていた時の万分の一でも、報いたいと、これからも、ずっと、紙芝居を観ていただいて、子育ての孤立感から、開放して頂けたら、幸いである。

しかしながら、私の方が何時も、皆さんの笑顔に支えて戴いているのだと、今頃、気が付いたみかんであった。

                 byみかん

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美空ひばりの妹 9月19日

今日の「徹子の部屋」の番組に、あの、美空ひばりさんの実の妹さんが出演されいた。

その日は、何故かわたしは、とても落ち込んでいて、朝から何も出来ない心境で、悶々とした時間を過ごしていた時だった。

ひばりさんが、今生きておられたら、ちょうど七十歳になられるそうだ。一歳年下のその妹さんが、「川の流れの様に」を歌われた。ひばりさんのような声量こそなかったが、そのうたごえを聴いた私は、ガ~ンと後ろから、頭に石をぶつけられたような気がした。

ひばりさんは、どんなに生きたかったであろう?そして、その想いを、今、妹さんが引き継ごうとしておられる。人々にひばりさんが果たせなかった、夢と希望と勇気を、人々に分け与えるために・・・当然お姉さんと比較されることは、百も承知で、この方は、それでも、ひばりさんが、遣り残したことを成し遂げようと努めておられる。本当に素晴らしい!

それに引き換え、私は自分の感情に押し流され、大切な時間を浪費していたと、心から反省した。

さあ、また明日からは、新たな気持ちで、紙芝居で明るい社会造りに励んでいこうと、張り切っているみかんであった。

                    byみかん

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娘の国語の授業 9月18日

夜のくつろぎの時間、下の娘が私の部屋に侵入して来た。

目敏い?彼女は、私の本立ての隅っこに立てかけていた、彼女の高校の時の国語の教科書を見つけ、手にした。国語の教科書には、結構興味深い内容の文章が、載っているので、どうしても、処分出来なくて、取っておいたのだ。

彼女は、その中で、三島由紀夫の「美神」と云う項を開き、この作品の授業をした時に、一度だけ先生に誉められたという話をし始めた。

それは、作品の中に登場する、臨終の学者が大切に研究していた、或る像の長さを測ったとき、実際に測った長さよりもわざと3センチ長く、発表した。だが、他の学者達のどの文献も、自分で測っていないのに、その博士の発表した長さで論述し、臨終まぎわの博士は、そのことに激しい憤りを覚え、臨終に立ち会った親友の博士に、その像の長さを測らせた。すると、どうであろう!その像の長さは、博士が発表した、1,7メートルであった。

ここで、娘が何故この像が、博士の測った長さより3センチ伸びていたかと云う、問題だったのだが、彼女は、臨終の博士のことを思い遣って、自ずと伸びたのだと答えたそうだ。私は、自分の娘ながら、彼女のその夢の在る、ミステリアスな回答に感動した。普通なら、「その博士が測り間違えていた」と、答えたくなるが、物事には、色々な見方が在ると云うことを、私は、娘に教えてもらい、自分の視野や見識をもっと深めなくてはと、自戒した、みかんであった。

             byみかん

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災難に遭う時は遭う 9月17日

今日のわたしは、午前中は、東大阪の加納と云う町の公民館で、敬老祝賀会に呼んで戴き、お元気な、人生の先輩方の前で、紙芝居を口演させて戴いた。

この日は、私に紙芝居の口演を橋渡しして下った、まなび・大阪の先生は元より、大勢の方々にお世話になり、本当に楽しいひと時を過ごさせて戴き、心から感謝の念を抱いて、帰宅した。

所が人生、何が在るか判らない。私は、お昼から主出勤する為に、バイクで勤め先の塾に向かった。私は、少し急いでいた。そして、何時もの道を右折しようとした時に、物凄い衝撃で、私はバイクから投げ出された!それは、一瞬の出来事だった。

「嗚呼、塾に間に合わない!」わたしは、まず、自分のおかれている状況が判らず、そのことばかりが、頭を過ぎった。

昔、友人から教えてもらった言葉」に、「災難に遭うときは遭う」と云う言葉がある。わたしは、その言葉の意味が、どうしても理解できなかった。だが、今は、なんとなくわかってきたような気がする。

幸い右肩の打撲だけで済み、今も、このブログを右肩の痛みを堪えて、打たしてもらっているが、この事故で私が学んだことは、現実を直視し、災いに遭ったら、決してうろたえずに、在るがままの現実を受け止める心の在り方が、大切なのだということであろう。

人間、明日は、何が起きるか判らない要は、じたばたせず、時には、流れに身を任せ、静かに、事の成り行きを静観する、気持ちになることが、災難の一番上手な対処法なのかもしれない。終わり良ければ、全て良しである

                     byみかん

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徳川家康公  9月16日

巷では、自分は、どの武将がいいっかというサイトが流行っているという。

先日、わたしは、或る小学校へお話会に行かせてもらったと時、織田信長と、豊臣秀吉と、徳川家康のうちから、一番好きな武将を聞いた。すると、以外にも、織田信長がすきだという子供さんが、一番多かった。

因みに、わたしは徳川家康が好きだ。一時期、彼の小説にはまった時期が在り、幼い頃から、艱難辛苦を舐め尽くし、ひたすら、天下を取る時期を辛抱強待ち続けた彼の心根には、全く頭が下がる。

先日わたしは、家康の生まれた故郷、愛知県岡崎市に、行ってきた。残念ながら、岡崎城は耐震工事中で、登れなかったが、徳川家康館に入場した。

そこで私は、家康が最期に残した言葉、「徳川家康遺訓」と出逢い、自分の魂を揺さぶられ、身体中に戦慄が走った!

およそ、三百年続いた徳川幕府を築いた家康の魂の叫びのようなものを実感した。

特に、最後の行の言葉「及ばざるは、過ぎたるより勝れり」という、言葉の教えを私は、これからの、人生の教訓としていこうと、心に誓ったみかんであった。

                 byみかん

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紙芝居教室の案内 9月15日

このブログの場をお借りして、紙芝居入門教室の案内をさせて戴きます。

9月16日(日)  午後2時~午後4時

大阪市立総合学習センター 第5会議室 (大阪駅前第2ビル5階)

受講料 各1000円 (毎月第3日曜日) 9月~来年3月迄(全7回)

第1回目 紙芝居と絵本とでは、どこがどう違う?「紙芝居ならではの独自性を探る」

お問い合わせ、お申し込みは、TeI,Fax 06-6621-2467  紙芝居専門部会山口迄

尚、当日来館もOKです。お気軽にお越し下さいませ。

*この教室は、大阪を中心として、すぐれた印刷紙芝居をすぐれた演じ手によって、この閉塞した、先行きの見えない現代社会を少しでも明るく、子供さん達は、元より全ての人々に夢と希望と生きる素晴らしさを、紙芝居の演じ手の仲間を増やしていき、大阪を活性化させ、各人が地域で素晴らしい紙芝居を演じて戴くことで、共感の輪がひろがっていくお役に立てば幸いと鑑み、始めさせて戴く事に致しました。

どうか奮ってご参加下さい。紙芝居の素晴らしい独自性を実感してください。

                    byみかん

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赤ちゃん紙芝居  9月13日

今は、子育てに絵本を読み聞かせることの大切さが、言われるようになった。

本屋さんに行くと、所狭しと、絵本が並んでいる。

紙芝居を手がけている私にとっては、少し寂しい気持ちだ。

でも、今年の2月から、地域の公民館で、赤ちゃんとお母さんの親子サロンで、月に一度紙芝居をやらせて戴いている。

だが、果たして赤ちゃんが、紙芝居を観るのかと、経験の浅いわたしは、困惑した。所が、私の紙芝居を演じているとき、一歳の赤ちゃんと目が合ったのだ!

私は、その時自分の身体中に、電流が走った。確かに、意味は、判らないが、声のする方、絵の見える方に、しっかりとその瞳は、一直線に紙芝居を見つめていた!

赤ちゃん紙芝居は、本当に作品も少ないし、集中する時間も短い。だが、これほど、難しくて、やりがいの在るものはない。

地域のお母さん方も、子育ての疲れをほんの一時でも、忘れてくだされば、こんなに嬉しいことはない。

三つ子の魂百までと申します。どうか赤ちゃん達に素晴らしい紙芝居と絵本と、たくさん出逢い豊かな感性を育んでいって欲しいものである

                       byみかん

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現代社会に必要な者 9月12日

安部首相が総理大臣を辞めた。

世論は、皆、晴天の霹靂と驚いた。

だが、私は、テレビで拝見したり、新聞に写し出された彼のお顔を拝見し、いつか必ずこんな日が来ると、予期していた。

美しい国だけでは、駄目なんだ。彼には、遊び心がなかった。

言い方が、不適切かもしれないが、政治に対して、嬉々として取り組む余裕が見られなかった。

昨今、現代社会の日本人に一番欠けているのが、ユーモアを解する心だと思う。

真面目一方では、心は疲弊してしまう。車のハンドルにも遊びが有るように、人間にも、どこか気持ちのゆとりや、自分を笑いとばしてしまうとうな、余裕が必要だ。

24時間、きちんとして、ちゃんとした、立派な人なんて、疲れますよ。

「いい加減が、良い加減」・・・・いつも自分に言い聞かせている言葉なんです。

次の日本丸の舵を執るリーダーは、誰になるかは、未定だが、少なくとも、心に余裕がありゆったりとおおらかに、大局を見ることが出来、冗談の一つも言える人材を望みます。

安部さん、貴方様は本当に、御自分なりに頑張られました。どうか、これからは、御自分の健康をまず、一番に考えて、ゆっくりと静養して下さい。「休むこともお仕事のうち!」と考えたら、案外、気が楽ですよ。

                   byみかん

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笑うも泣くも人生ならば9月10日

夫さんの伯父さんが亡くなった

娘から訃報を聞いた

今年のお墓参りに会えなかった

結婚してから、一度だけ行けなかっただけで、毎年元気な顔を拝見するのが楽しみだった

私の胸は、理不尽な思いで一杯になった

一目、生きておられるときにお会いしたかった・・・

泣いても、還ってこられないのなら、このやるせない思いを乗り越えて、

せめて笑顔で、ご冥福を祈ろう

誰も悪くない、誰も恨まない、誰も非難しない

平静な気持ちで、故人を見送り、今、自分が生かされていることの有り難さを感謝し

伯父さんのぶんまで、私は自分の与えられた命を大切に大切にして

これからも、自分らしくいきていこう

笑うも一生、泣くも一生、同じ生きるなら笑って生きて、周りの人々をほっこりと、

温かくつつみこんでいけるような、生涯を送りたいと思う、みかんであった

                 byみかん

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TO 9月5日の愛さんのコメント

愛さん、コメントありがとうございます。私の思っていることに、共感して頂き、大変嬉しいです。仕事をしたくても、出来ない人、やる意欲が湧いて来ない人、そんな人々が、これからの日本の社会に増えていったら、日本は、一体どうなるのか、本当に不安です。

働くのが、馬鹿らしくなる社会になるようなことだけは、絶対に避けたいと思います。子供さんや若者達が、夢と希望と勇気の持ってる、明るい社会にするためにも、私達大人が、今のl政治や社会について、しっかりと見つめていき、おかしいことは、おかしいと言う、勇気が必要だと私はおもいます。

                                   みかん

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感謝のメッセージ 9月9日

本日、

大阪市立難波市民学習センターにて、「The 紙芝居」の講座を開かせて戴いた。

お蔭様で、講座には紙芝居に対する熱い想いや、感心を抱いておられる方々が、出席されて、無事に終了することが出来た。

この講座をさせて戴くにのに、本当にたくさんの方々のご支援やご協力を賜った。

今は、一つの目標を成し遂げた達成感と、心地良い疲労感が、私の心身を駆け巡り、このような、言葉しか出てこないのが申し訳ない気持で、一杯です。

皆さんの温かい支援に、心から「ありがとうございます」と、この場をお借りして、感謝の思いを述べさせて、戴きます。

次の新たなる目標に向かって、進むことが皆様への恩返しと鑑み、これからも、紙芝居の普及運動に努めて参ります。どうか、宜しくお願い申し上げます!

ありがとうございます!

                byみかん

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またか・・・    9月5日

落語をご存知の方は、こんな小話を思い出されるのではないだろうか?

「お母ちゃん、パンツ破れた!」

「またか・・・」

こんな面白い話は、お笑いの世界だけにしてもらいたい。

私もたいがい、学習能力がなく、同じ失敗ばかりして、周囲の顰蹙をかうほうだが、今回、またしても、安部内閣から、その他1名程のグレーマンが、また出没したそうだ。

「国民の為、国民の為、」と、宣っておられるが、貴方の国民はみんな怒っております。若干の方々をのぞいては・・・・・

わたしが言いたいことは、大臣の首を挿げ替えることが、国民の為とおっしゃるのなら、もっと、抜本的な改革が在るはずです。大臣の身体検査をする労力の目を、もっと格差社会にあえぐ、庶民の私達に向けてください。

私は、何処の政党にも、宗教にも属していません。唯一、私という人間をこの世に設けてくださった、ご先祖様と両親を敬い、時代を担う子供さん達に夢と希望と豊かな心を持って欲しいだけです。

「またか・・・」はもう、いいです。「はい、その次!」と云う何か、国民のためになる行動を起こすことを考えて下さることを切に願う、一庶民です。今日はかなり、辛口を申しました。

                byみかん

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追い風に乗って・・・ 9月4日

お陰様で、9月9日に行う、紙芝居の公開講座は、思いの外反響が在りました。

問い合わせのお電話や、申し込みの葉書に書かれている文面を読ませて戴き、改めて紙芝居に対する感心の高さ、期待度の大きさに、主催者と致しまして、改めて身の引き締まる思いが致します。

皆様の紙芝居に対する想いに応え、満足していただける講座にしたいと想いますので、どうか、宜しくお願いいたします。

今、時代の追い風に乗り、紙芝居は、単なるブームにしたくない、確固たる日本が、世界に誇れる文化として、閉塞した、行き場のない現代社会に一隅の灯りを灯す一端を担うお役に立てるべく、私、青空みかんは、仲間の皆様と一緒に、これからも紙芝居の普及に努めて参りたいと考えております。

どうか、温かく見守って戴けたら、幸いです。ありがとうございます!

               byみかん

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おまけの人生   9月1日

織田信長が謡った、「人生五十年」は、有名な逸話である。

所で、或る研究者が、動物の一生涯に動かす、心臓の鼓動は決められていて、人間が、一生懸けて、動かす心臓の年月は、なんと五十年だそうだ!

織田信長が、謡ったことは、強ちまちがいではなく、現代社会では、人の寿命は、大体八十年と言われている。

と言うことは・・・私の年齢が暴露されるが、これから後、セオリー通りに生きることが出来るとすると、後の30年は、おまけの人生となる。これは、幸運だ!

人はどれだけ生きたと云うことよりも、如何に生きて来たかが、大切だ。が、しかし、私があと30年生きられるなら、今までの人生をクリアーして、これからは、この、グリコのおまけのように、おまけの箱を開ける時の様に、ワクワク、ドキドキすることが、待っていると、信じよう!

明るい希望が開ける人生も素晴らしいが、おまけの、得した人生を楽しく生きていくことも、嬉しいことではないか?そして、私には、紙芝居と云う生き甲斐が在る。

おまけは、もれなく現代の人々に付いてくる。その上、これからの、科学と医学の進歩いかんによっては、おまけが増える公算が大きい。

人間は、どれだけのことを人様にしてもらったということよりもどれだ人様に尽くしたかという事の方が大切だと、或る映画で教えられた。

これからの、我が人生が、あとどれだけ在るかは、定かでないが、とにかくどうせ、おまけの人生なのだから、思いっきり、楽しく明るく愉快に、人様に喜んで戴ける生き方をしたいと思う、みかんであった。

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